礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

ケルロイター教授、美濃部達吉博士を危険視

2015-08-01 03:38:17 | コラムと名言

◎ケルロイター教授、美濃部達吉博士を危険視

 昨日の続きである。『法律時報』第一三号第六号(一九四一年六月)から、五十嵐豊作の「ケルロイター教授の『現代日本国家体制』」という記事を紹介している。本日は、その二回目。昨日、引用した部分に続き、次のようにある。

  ◇
 ケルロイター教授によれば明治維新は二重の目的をもつた革新運動であつた。すなはちそれは一方においては古来の日本の政治的遺産の復活を、他方においては西欧の精神的・技術的成果の獲得を目的としたのである。かやうな明治維新の二重目的はその後の日本憲法および国民生活の中に現はれてゐる。日本憲法は伊藤〔博文〕公の努力にみられるやうに古来の日本の憲法的遺産を保持しつつ、西欧の立憲的形式を採り入れたものでてある(S.8/10)。 かくてケルロイター教授はいふ。「いかなる場合においてもその外部的形式に拘らず、一八八九年の日本憲法を西欧的意味における立憲主義憲法といふことはできない。一般的に西欧の解釈方式の日本憲法への適応が危険を蔵してゐることは東京の国法学者美濃部〔達吉〕の例が示してゐる」(S.11)。かやうにケルロイター教授が日本憲法の独自性を理解するために、その政治的背景である明治維新から出発してゐるのは、われわれにはもちろん自明的なことであるが、しかしさきにもいつたやうに外国人としては却つて強調しなければならぬ点であらう。
 ところでケルロイター教授は憲法における古来の日本的遺産をとりわけ 天皇の憲法上の地位にみてゐる。憲法第一章は 天皇の地位を規定してゐるが、これが日本憲法のもつとも決定的な問題である。「 天皇の地位は西欧の憲法学的表現によつてはまつたく記述しえないものである」(S.11)。 天皇は神道の具体化であり、最高の権威である、かやうな 天皇の宗教的・権威的地位にたいしてはいはゆる「国家機関」という概念は適用することができない。この 天皇の天皇の地位に表現される日本独自の国家観念こそ「完全に具体的な国家観念」(ein durchaus konkretes Staatsdenken)といふことができよう(S.11/12)。かやうにケルロイタ一教授は 天皇の憲法上の地位をのべて、この独自な地位によつて日本における政治指導の問題が西欧とはちがつた形式をとり、しかもこの問題の解決のために現在の日本はもつとも努力してゐるのだとする(S.12)。このことをケルロイター教授は他のところでもしばしば論じて、わが国現在の緊急な問題としてゐるのであるが、つぎにそれをみよう。【以下、次回】

 文章は、もう少し続くが、ここで、コメントを挟んでおこう。ケルロイターは、大日本帝国憲法を、西欧的に解釈する(「立憲主義」的に解釈する)ことはできないと指摘している。そういう解釈をおこなっていた美濃部達吉博士を、「危険」視している。
 ここ数日、磯崎陽輔首相補佐官の言動が、問題になっている。この人は、立憲主義について、ツイッタ―で、「この言葉は学生時代の憲法講義では聴いたことがない。昔からある学説なのか」とつぶやいたという(東京新聞2015・7・31特報欄)。立憲主義を主張してきた憲法学者が、外国人学者から「危険」視されてしまう時代も異様だが、立憲主義を理解していない人物が、首相を「補佐」している時代も異様である。

*「国家鮟鱇」さんにお伺いします

 昨日、先月二九日の当コラム「『ワイマール憲法』から『ナチス憲法』へ」につきまして、「国家鮟鱇」さんから、コメントの形でご質問をいただきました。拙いブログに目をとめていただいた上、ご質問まで頂戴して恐縮しています。
 ご質問は、比較的かんたんに答えられるものと、そうでないものとがありますが、お答えする前に、こちらから、「国家鮟鱇」さんにお伺いしたい点が、いくつかございます。

一、いま仮に、「国家鮟鱇」さんとお呼びしましが、これで失礼はないですか。ことによると、「国家鮟鱇」は、ブログの名前で、ブロガー様に呼びかけるべきお名前が、ほかにございますようでしたら、お教えください。
二、コラム「『ワイマール憲法』から『ナチス憲法』へ」に対しまして、二回にわたってコメントをいただきましたが、最初にいただいたコメント(七月二九日付)のなかで、「国家鮟鱇」さんは、「あなた方」という言葉を使われています。この「あなた方」に、礫川もはいるのでしょうか。もし、はいるのであれば、その「あなた方」というのは、どういう括りになるのか教えてください。また、その括りに、礫川が含まれると判断された根拠もお教えください。
三、「国家鮟鱇」さんは、一昨年八月一〇日付の貴コラム「(メモ)麻生発言と日本史関係の研究者」において、「たとえば麻生氏と安倍氏が一枚岩のように考えている。彼らから見れば似たようなものということなのだろうが、そんな大雑把な解釈でいいのだろうか?彼らのような政治的立位置にいるものにとっても決して良いことではない。」と、お書きになっています。この「彼ら」に、礫川もはいるのでしょうか。もし、はいるのであれば、その「彼ら」というのは、どういう括りになるのか教えてください。また、その括りに、礫川が含まれると判断された根拠もお教えください。
四、「国家鮟鱇」さんは、「麻生氏と安部氏が一枚岩のように考え」ることを批判されているわけですが、その「国家鮟鱇」さんが、「彼ら」、「あなた方」といった大雑把な括り方をされているのは、どういうことなのでしょうか。この疑問にわかりやすく、お答えください。もし、私の疑問が見当はずれなものであるなら、そのあたりを、どうかご指摘ください。
五、「国家鮟鱇」さんは、七月二九日付のコメントのなかで、「麻生氏は麻生氏でナチスの台頭を恐れているということです」と、お書きになっています。この「ということです」というのは、伝聞のようにも読めますし、推定(断定)のようにも読めます。麻生氏が「ナチスの台頭を恐れている」と判断された根拠をお聞かせください。

 とりあえず、以上です。なお、二番目にいただいたコメント(七月三一日付)のなかで、「礫川全次先生」とお呼びいただきましたが、当方は、在野の独学者にすぎませんので、「先生」という呼称は、ヒラにご容赦を願います。

*このブログの人気記事 2015・8・1

 

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1 コメント

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Unknown (国家鮟鱇)
2015-08-01 14:02:38
書きました


礫川全次氏の質問に対する返事
http://d.hatena.ne.jp/tonmanaangler/20150801/1438405187

比較的かんたんに答えられるものだけでもお答えいただけますか?
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