◎「ワイマール憲法」から「ナチス憲法」へ
一昨年の七月二九日、麻生太郎副総理兼財務大臣(当時)が、「ナチスに学べ」云々と発言して、大きな問題になった。このときの麻生氏の言葉は、報道によって、多少、表現が異なっていたが、私が読んだ記事(朝日新聞デジタル、2013・8・1)では、「ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていた。誰も気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね」となっていた。
「ワイマール憲法がナチス憲法に変わった」というのは、どういうことなのか。少なくとも、いわゆるワイマール憲法(正式には「ドイツ国憲法」)に替って、「ナチス憲法」という憲法が作られたという事実はない。この点について、当ブログの一昨年八月一日のコラム「麻生財務相のいう『ナチス憲法』とは何か」において、疑問を呈しておいた。
その後、調べてみたところ、戦前戦中の日本において、ワイマール憲法が死文化した状態におけるドイツの憲法状況、すなわちナチス・ドイツにおける憲法状況を指し、「ナチス憲法」と呼んでいた事実があったことを知った。たとえば、一九三八年(昭和一三)には、錦松堂書店から、土橋友四郎著『ナチス独逸国の修正憲法』という本が出版されている。また、一九四一年(昭和一六)には、白揚社から、大石義雄著『ナチス・ドイツ憲法論』という本が出ている。このほかにも、タイトルに「ナチス憲法」という言葉を含む論文が確認できる。
ただし、この「ナチス憲法」という呼称が、欧米などでも、広く用いられていたのかどうかは不明である。
さて、一昨年八月一日のコラムで私は、次のように書いた。
ことによると、麻生財務相は、ナチスの全権委任法のことを、「ナチス憲法」と呼んでいるのではないか。
このあたりについて麻生氏は、おそらく基礎的な知識を欠いたまま発言しているはずであり、日本の政治家の教養の低さを、世界に知らしめることになった。
しかし、戦前の日本において、「ナチス憲法」という呼称が用いられていた事実がある以上、「ワイマール憲法がナチス憲法に変わった」という麻生財務相(当時)の認識は、誤りとは言えない。したがって、上記、引用部の表現が適切でなかったことを反省する。同コラムの表現は、自戒の意味をこめて、そのままにしておくが、その末尾に、表現が適切でなかった旨の断りを入れて置きたい。
なお、念のために言うが、麻生財務相(当時)の発言で最も問題なのは、「ナチスの手口に学んだらどうか」という部分なのであって、その問題性は、当時も今も変わっていない。今、国会では、安倍首相を初めとする政府与党が、憲法九条の空文化をおこなおうとしているが、まさにこれは、「ナチスの手口」に学んだ結果と言えるだろう。
明日は、いわゆる「ナチス憲法」について、すなわち、全権委任法(授権法)によって、ワイマール憲法が空文化された当時の、ナチス・ドイツにおける憲法状況について、紹介したいと思う。
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なお麻生氏の言う「良い憲法」とは現行憲法のことではなく改憲後の憲法のことです。そしてその「良い憲法」が質的に変化することを麻生氏は憂慮しているのです。護憲派にとっては「良い憲法」じゃないでしょうが麻生氏の立場で考えなければ間違った解釈になります。何でこんな簡単な事を知識人の方々が理解できないのか理解に苦しみます。
あなた方から見れば麻生氏はナチスに近い人物なんでしょうけれど、麻生氏は麻生氏でナチスの台頭を恐れているということです。「ナチスの手口に学ぶ」とはもちろん、見習おうという意味ではなくて、ドイツがナチスの台頭を許してしまったことを教訓にするべきだという意味です。
礫川全次先生への質問
http://d.hatena.ne.jp/tonmanaangler/20150731/1438307137