◎国民主権を宣言しながらも天皇制を存置した新憲法
昨日の続きである。東京大学学生文化指導会が編集発行した『法学研究の栞 上』(一九五〇)を紹介している。本日は、その三回目。昨日は、「憲法」の部から「二 新憲法」の最初の部分を紹介した。本日は、それに続く部分を紹介する。
(1) 主権、国体、天皇 憲法に含まれる個々の問題についての文献は、その概論書に比して余り多くない。そしてそれらが概ね実際の運用に関して問題となつた点を取上げていることは、法学の一部門としての憲法学界に於て当然のことであるが、之らの論議の中〈ウチ〉、最も早く論議の対象となつたのは実際運用についてではなく国体問題、更に国民主権についてであつた。この問題は、新憲法が国民主権を宣言しつつも天皇制を存置したことにより、概念上にいろいろの紛糾をもたらし、それは直接間接に天皇制論としての意味をも持たねばならなかつた。
国体・主権問題については和辻哲郎・国民統合の象徴(昭二三)、佐々木・天皇の国家的象徴性(昭二四)・宮沢・八月革命と国民主権主義(昭二一世界文化五)、国民主権と天皇制とについてのおぼえがき(六二国家六昭二三)、ノモスの主権とソフィスト(六三国家一二昭二四)、尾高朝雄・国民主権と天皇制(昭二二)、ノモスの主権について(六二国家一一昭二三)、金森・憲法随想(昭二二)、恒藤恭・新憲法と民主主義(昭二二)、横田喜三郎・無条件降伏と国体(四五国際一・二昭二一)、主権抹殺論(昭二一社会一一)、新憲法における主権の概念(新憲法と主権所収昭二二)、鵜飼信成・主権概念の歴史的考察と我国最近の主権論(同上)、大西邦敏・国体概念の再構成(早稲田政経九六昭二三)、黒田覚・憲法に於ける象徴と主権(昭二一)、今中次麿・国体と主権について(二季刊二昭二二)、渡辺宗太郎・国民主権論(昭二二)、特に天皇制に関するものとして市村今朝蔵・天皇(講座所収)、宮沢・新憲法と天皇制(一法タ一昭二二)、森順次・象徴としての天皇と英国国王(佐々木編・人間生活と法及び政治所収昭二四)、横田・天皇制(昭二四)、牧野・新憲法と国民統合、(一八警研四・五-七、八昭二二)、戒能通孝・政治的思惟としての天皇制(一八時報一・三昭二一)、神山茂夫・天皇制に関する理論的諸問題(昭二二)、戸田慎太郎・天皇制の経済的基礎(昭二二)
(2) 戦争放棄 之についてはいまだ論戦らしきものは見られず、その研究書も国際法学者による概説的なものが多いが、特に自衛権の問題が注意されなくてはならない。
横田・戦争の放棄(昭二二)、新憲法と平和立国(一管理九昭二一)、戦争放棄と自衛権(六八法協三昭二五)、恒藤・交戦権の放棄(新憲法と民主主義)【以下略】
『法学研究の栞 上』には、ほかにも紹介したいところがあるが、とりあえず明日は、話題を変える。
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