◎森友学園事件と二・二六事件
報道によれば、今月一〇日、学校法人「森友学園」の籠池泰典理事長が、豊中市内の塚本幼稚園で記者会見をおこない、大阪府に対して「瑞穂の国記念小学院」の認可申請を取り下げたことなどを明らかにしたという。
ほぼ、「完全撤退」と言える。これを聞いた関係の役人は、さぞかし、安堵の胸をなでおろしたことであろう。
ところで、インターネット上の「The Huffington Post」(三月一〇日二〇時四七分更新、吉野太一郎さん執筆)によれば、この会見の中で、籠池泰典理事長は、次のような歴史観を示したという。
○先の大戦前の二・二六事件の将校のことを思いました。ああ、国家のために殉ずる気持ちで頑張ってきた人たちが、指導部に抹殺された。
○勝者にはいい印象、敗者には悪い印象が与えられます。ただ一〇〇年たてばひっくり返ることがあろうかと思います。
ここで、籠池理事長は、みずからを「二・二六事件の将校」に擬している。すなわち、国家のためを思ってとった行動が、はからずも国家の「指導部」によってとがめられ、ついに抹殺されることになった存在として、みずからを捉えたのである。
では、籠池理事長は、みずからの抹殺を指示した「指導部」として、いったい、「誰」を想定していたのだろうか。
二・二六事件の際、叛乱軍の討伐を命じたのは昭和天皇であり、その決意を支えたのは、木戸幸一内大臣秘書官長、湯浅倉平〈クラヘイ〉宮内大臣、広幡忠隆侍従次長という三人による協議だったという(斎藤実内大臣は死亡)。端的に言えば、昭和天皇と、木戸内大臣秘書官長、湯浅宮内大臣、広幡侍従次長、このメンバーが、叛乱軍の討伐を決定した「指導部」であった。
このとき、天皇の周辺にいた、本庄繁侍従官長、伏見宮博恭〈ヒロヤス〉軍令部総長、香椎浩平戒厳司令官は、いずれも皇道派の軍人であったが、天皇の決意を変えることはできなかった。
さて、今回、籠池理事長の抹殺を決意し、実行した「指導部」は、誰だったのだろうか。常識的に考えれば、安倍晋三首相ということになるだろう。
しかし、安倍首相は、もともとは籠池理事長のシンパだったとされる。その夫人は、一時、「瑞穂の国記念小学院」の名誉校長の地位にあった。安倍首相の役回りは、二・二六事件でいえば、「黒幕」と目されながらも、最後は、青年将校らを見捨てた真崎甚三郎大将に近い。籠池理事長抹殺の司令塔は、やはり、安倍首相とは別のところに存在したと見るべきだろう。
もちろん、「真相」はわからない。だからこそ、会見の場にいた記者には、聞いてほしかったと思う。「あなたを抹殺した指導部として、あなたは、いったい、誰を想定していますか」と。
問題の主である籠池氏は普段から夫人とともに『通名』を使用するなど、一般的な日本人ならやらないようなことを平気で行っている。なんとも胡散臭く腑に落ちない。もしや、本件は長年をかけて用意周到に練られた日本沈没のための『反日工作』かもしれない。
それでは『長年にわたる反日工作』とは何か?
① 年月をかけて周囲に対し自らの信条が『右傾』であると信じさせる。
② 本心は反日・保守政党へのダメージ(革新与党の誕生)なので周到な工作を開始する。
③ 機を見て自ら今回の如き問題を引き起こし与党自民党へのダメージを目論む。
④ 与党による政治関与について数々の偽装を行い自民党を不利な立場に追い込む。
このような計画がじわじわと進行していたらどうであろうか?
稲田氏が弁護人になっていた裁判の問題…。あれほど本人が忘却してしまうことなどあるのだろうか?当該裁判の弁護人出廷記録は偽造かもしれない。安倍総理の寄付については全くのでたらめで、籠池氏は当初より国会に招致されることを、そしてその場で与党の足を大きく引っ張ることを計画していたのかもしれない。そうならば夫人も息子も『グル』である。
もしかすると本件の背景には反日左翼や一部野党党員が絡んでいるかもしれない。本件は発覚の経緯もその後の進行や報道の在り方も何か不自然で『腑に落ちない』ことが多すぎるのである。
反日へのトラップ、トリック…もしそうなら今すぐに『歯止め』をかける必要がある。