礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

岩波新書を刊行するに際して(1938)

2014-05-12 06:11:37 | 日記

◎岩波新書を刊行するに際して(1938)

 戦前の岩波新書(旧赤版)に付されていた刊行の辞「岩波新書を刊行するに際して」(一九三八年一〇月)を紹介する。これは、岩波新書43、小泉丹〈マコト〉『野口英世』の初版(一九三九年七月)の巻末(奥付の裏)に載っていたものである。

 岩波新書を刊行するに際して   岩波茂雄
 天地の義を輔相〈ホショウ〉して人類に平和を与へ王道楽土を建設することは東洋精神の真髄にして、東亜民族の指導者を以て任ずる日本に課せられたる世界的義務である。日支事変の目標も亦茲に〈マタ・ココニ〉あらねばならぬ。世界は白人の跳梁に委す〈イス〉べく神によつて造られたるにあらざると共に、日本の行動も亦飽くまで公明正大、東洋道義の精神に則らざるべからず。東洋の君子国は白人に道義の尊き〈タットキ〉を誨ふ〈オシウ〉べきで、断じて彼等が世界を蹂躙せし暴虐なる跡を学ぶべきでない。
 今や世界混乱、列強競争の中に立つて日本国民は果して此の大任を完う〈マットウ〉する用意ありや。吾人は社会の実情を審か〈ツマビラカ〉にせざるも現下政党は健在なりや、官僚は独善の傾きなきか、財界は奉公の精神に欠くるところなきか、また頼みとする武人に高邁なる卓見と一糸乱れざる統制ありや。思想に生きて社会の先覚たるべき学徒が真理を慕うこと果して鹿の渓水を慕うが如きものありや。吾人は非常時における挙国一致国民総動員の現状に少からぬ不安を抱く者である。
 明治維新五ケ条の御誓文は啻に〈タダニ〉開国の指標たるに止らず、興隆日本の国是〈コクゼ〉として永遠に輝く理念である。之を遵奉〈ジュンポウ〉してこそ国体の明徴も八紘一宇の理想も完きを得るのである。然るに現今の情勢は如何〈イカン〉。批判的精神と良心的行動に乏しく、やゝともすれば世に阿り〈オモネリ〉権勢に媚びる〈コビル〉風なきか。偏狭なる思想を以て進歩的なる忠誠の士を排し、国策の線に沿はざるとなして言論の統制に民意の暢達〈チョウタツ〉を妨ぐる嫌ひなきか。これ実に我国文化の昂揚に徴力を尽さんとする吾人の窃に〈ヒソカニ〉憂ふる所である。吾人は欧米功利の風潮を排して東洋道義の精神を高調する点に於て決して人後に落つる者でないが、驕慢〈キョウマン〉なる態度を以て徒らに欧米の文物を排撃して忠君愛国となす者の如き徒に与する〈クミスル〉ことは出来ない。近代文化の欧米に学ぶべきものは寸尺と雖も謙虚なる態度を以て之を学び、皇国の発展に資する心こそ大和魂の本質であり、日本精神の骨髄であると信ずる者である。
 吾人は明治に生れ、明治に育ち来れる者である。今、空前の事変に際会し、世の風潮を顧み、新たに明治時代を追慕し、維新の志士の風格を回想するの情切なるものがある。皇軍が今日威武を四海に輝かすことかくの如くなるを見るにつけても、武力日本と相並んで文化日本を世界に躍進せしむべく努力せねばならぬことを痛感する。これ文化に関与する者の銃後の責務であり、戦線に身命を曝す〈サラス〉精兵の志に報ゆる所以でもある。吾人市井の一町人に過ぎずと雖も、文化建設の一兵卒として涓滴〈ケンテキ〉の誠を致して君恩の万一〈マンイツ〉に報いんことを念願とする。
 曩に〈サキニ〉学術振興のため岩波講座岩波全書を企図したるが、今茲に現代人の現代的教養を目的として岩波新書を刊行せんとする。これ一に〈イツニ〉御誓文の遺訓を体して、島国的根性より我が同胞を解放し、優秀なる我が民族性にあらゆる発展の機会を与へ、躍進日本の要求する新知識を提供し、岩波文庫の古典的知識と相侯つて〈アイマッテ〉大国民としての教養に遺憾なきを期せんとするに外ならない。古今を貫く原理と東西に通ずる道念によつてのみ東洋民族の先覚者としての大使命は果されるであらう。岩波新書を刊行するに際し茲に所懐の一端を述ぶ。  昭和十三年十月靖国神社大祭の日

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