礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

日露戦争とウクライナ戦争

2023-07-08 04:20:48 | コラムと名言

◎日露戦争とウクライナ戦争

 日露戦争に際して、高橋是清(当時、日銀副総裁)は、戦時国債募集のためにアメリカ、イギリスに渡った。ロンドンで、アメリカの銀行家ジェイコブ・シフ(Jacob Henry Schiff、1847~1920)と出会い、500万ポンドの戦時国債を引き受けてもらった話は、よく知られている。
『高橋是清自伝』(1986)には、当然、この話が出てくる。本日は、なぜ、シフが日本の戦時国債を引き受けたのかについて、高橋が語っている部分を引用してみよう。

   我公債を引受けしシフ氏の真意
 シフ氏は何処までも誠実な人であつた。むろん銀行家であるから、自分が損をしてまでわが公債の募集を援助するわけはないが、さればといつて、これで一儲けしようといふ単なる利益の打算から思ひ立つたのであるかといへば、必ずしもさうでもない。
 あの時シフがが五千万円といふまとまつた金を、とつさの間に引受けることを決心するに至つたについては、シフが心中自ら成算あり、一般募集には相当の成績を挙ぐべき自信があつた上に、万一それが不成功に終つた場合は、自分達の組合だけでゝも、それを引受けるだけの覚悟と資力とを十分に持つてをつたのであらうが、普通の銀行者から見れば、冒険視せざるを得ぬところであつた。
 したがつて、シフ氏が何故【なにゆゑ】に自ら進んで、残りの五千万円を引受けやうと申出て来たのであるか? 当時私【わたし】にはそれが疑問で、どうしてもその真相を解くことが出来なかつた。
 何しろ私はこれまでシフといふ人については、名前も聞いたことがなく、わづかに前夜ヒル氏の家で唯一度会つたきりである。殊に二ケ月前、日本【につぽん】からアメリカに渡り、ニユーヨークの銀行家や資本家に当つて見てアメリカでは到底公債発行の望みはないと見込をつけ、英国へと渡つたくらゐであるから、アメリカ人のシフ氏が、しかも欧州大陸からの帰路、一夜偶然に出会つて雑談したのが因【もと】となり、翌日直ぐに五千万円を一手で引受けてくれやうとは、丸で思ひもかけぬところであつた。
 しかるに、その後シフ氏とは非常に別懇【べつこん】となり、家人同様に待遇されるやうになつてから、段段シフ氏の話を聞いてゐる中【うち】に初めてその理由が明かになつて来た。
 ロシヤ帝政時代ことに日露戦争前【まへ】には、ロシヤにおけるユダヤ人は、甚だしき虐待を受け、官公吏に採用せられざるは勿論、国内の旅行すら自由に出来ず、圧制その極に達してをつた。故に、他国にあるユダヤ人の有志は、自分らの同族たるロシヤのユダヤ人を、その苦境から救はねばならぬと、種々物質的に援助するとともに直接ロシヤ政府に対してもいろいろと運動を試みた。したがつてロシヤ政府から金の相談があつた場合などには、随分援助を惜まなかつたのであるが、ロシヤ政府は金を借りる時には都合よき返事をして、それが済んでしまへば遠慮なく前言を翻してしまふ。だからユダヤ人の待遇は何年経つても少しも改善せらるゝところがない。これがために長い間ロシヤ政府の財務取扱ひ銀行として、鉄道公債のごときも多くはその手を経て消化されてをつたパリのロスチヤイルド家のごときも、非常に憤慨して、既に十数年前よりロシヤ政府との関係を絶つてしまつたくらゐである。
 右のやうな次第であつたから、シフ氏のごとき正義の士は、ロシヤの政治に対して大【おほい】に憤慨してをつた。殊に同氏は米国にゐる沢山のユダヤ人の会長で、その貧民救済などには私財を惜まず慈善することを怠らなかつた人であるから、日露の開戦とゝもに大に考へるところがあつたのは、さもあるべきことであると思ふ。さうしてこのシフ氏が第一番に考へたことは、日露戦争の影響するところ、必ずや、ロシヤの政治に一大変革が起るに相違ないといふことであつた。勿論彼は、帝政を廃して共和制に移るといふごとき革命を期待したわけではないが、政治のやり方の改良が、正にこの時において他【た】にないと考へたのである。すなはちこの政治のやり方を改良することが、虐【しひた】げられたるユダヤ人を、その惨憺たる現状から救ひ出す唯一つの途【みち】であると確信してをつたのである。そこで出来るなら日本に勝たせたい、よし最後の勝利を得ることが出来なくとも、この戦【たゝか】ひが続いてゐる内には、ロシヤの内部が治まらなくなつて、政変が起る。少くともその時までは戦争が続いてくれた方がよい。且つ日本の兵は非常に訓練が行届いて強いといふことであるから、軍費にさへ行詰【ゆきづま】らなければ結局は自分の考へどほり、ロシヤの政治が改まつて、ユダヤ人の同族は、その虐政から救はれるであらう、と、これすなはちシフ氏が日本公債を引受けるに至つた真の動機であつたのである。【以下、略】

「この戦ひが続いてゐる内には、ロシヤの内部が治まらなくなつて、政変が起る。少くともその時までは戦争が続いてくれた方がよい。」――日露戦争当時、アメリカの銀行家シフは、そのように考えていたという。
 これを読んで、今日のウクライナ戦争のことを想起した。今日、ウクライナを支援している政治家あるいは資本家の多くは、やはり、同じようなことを考えているのではなかろうか。だとすれば、この戦争はすぐには終らない。ロシヤ内に政変が起って、初めて停戦交渉ということになるのではなかろうか。
『高橋是清自伝』の紹介は、ここまでとする。ただし、明日は、7月5日の記事について、若干の補足をおこないたい。

*このブログの人気記事 2023・7・8(9位になぜか雑炊食堂)

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