◎翁は親しく筆を執って補正せられた(上塚司)
本日は、高橋是清口述・上塚司手記『高橋是清自伝』(千倉書房、1936)の「手記者の言葉」を紹介してみたい。上塚司(うえつか・つかさ、1890~1978)がこれを書いたのは、1936年(昭和11)1月30日である。
手 記 者 の 言 葉
翁【をう】の側近に在ること二十余年。而【しか】して私【わたし】が翁に仕へたのは、翁が最も円熟の域に達せられ、然も非常なる難関に遭遇し、身を艇して邦家【ほうか】の大事に奮闘せられつゝある時代からであつた。従つて、私は事々物々【じゝぶつぶつ】に、翁の純忠至誠の発露を見て、訓【おし】へられるところ甚だ大なるものがあつた。
その後私は、翁が朝【てう】に在る時も、野【や】に在る時も、翁の膝下【しつか】に参じては、その謦咳【けいがい】に接してゐる。常に私にとつては翁の傍【かたはら】に在ること自体が、大【だい】なる感激であり、修養である。
翁の行蔵【かうぞう】には神韻縹渺【しんゐんへうべう】の趣【おもむき】がある。翁の言葉には無限の含蓄を包蔵する。私は翁に参じ、翁の訓【おそへ】を受けるごとにその一句をも聞き漏らすまじと、いつの間にか筆を走らせて記録に留めるやうになつた。かくて、或【あるひ】は〔赤坂〕表町【おもてちやう】の翁の居間において、或は応接間において、或ひは庭前【ていぜん】の芝生にて、時には大臣室にて、或は自動車の中において、或は又湘南葉山の別邸において、翁の口より漏れ出づる言葉は、私のノートのページを、後【あと】から後からと埋めて行つた。
その中〈ウチ〉に、私は翁の一生の思出【おもひで】を書き綴つて置きたいと願つて、その許しを得た。春の朝【あした】、冬の夕【ゆふべ】、書き続けた私のノートは既に三十余巻の多きに達してゐる。私は尊【たふと】むべき翁の言葉をありのまゝに残さんと欲して、細心の留意をなした。唯恐れる所は、私如き未熟の筆と心境とを以てして、果してよく翁の真髄【しんずゐ】を伝へ得【う】るや否やであつた。従つて、この物語の中には、手記者自身の私見や第三者の意見は少しも含まれてゐない。然して書き取られたる物語は、一節を終るごとに清書して翁の検閲を請うた。翁は親しく筆を執つてこれを補正せられた。しかして、この補正は一回、二回に止【とゞ】まらず、三回、四回、中には五回に及ぶものすらある。
本書は、波瀾重畳【はらんちようでふ】、数奇〈サッキ〉極まる七十有余年の思出を、数年の長きにわたり翁自ら口述せられたる、偽【いつは】らざる告白である。翁に関する如何なる記述も、これ以上に正確を帰する能はざるべく、また翁自身の物語の世に公けにせらるゝ、これが唯一【ゆゐつ】無二ものであらうことを確信する。
本書は、先に東京・大阪両朝日新聞社より発表されたものを、今回更に全内容を整備し、訂正して、これを全一冊に収め、高橋是清自伝として刊行するに当り、翁の与へられた深甚なる御好意に、更【あらた】めて感謝の心を捧ぐるものである。
昭和十一年一月三十日 上 塚 司 記