◎だれが機密を漏らしたかは、おおよその察しがつく
昨日は、大久保泰甫氏の『日本近代法の父 ボアソナアド』(岩波新書、1977)から、ボアソナード・井上毅の「対話筆記」に言及している部分を引用した(146~147ページ)。本日は、その部分に対し、若干、コメントをおこないたい。
大久保泰甫氏は、次のように述べていた。
このようにして、井上〔毅〕は、山田〔顕義〕司法大臣を新条約案反対に回らせたばかりか、自らも意見書を伊藤博文〔首相〕に奉呈した。かれは、この問題でも、狂言回しの黒幕役を果たしているのである。〈147ページ〉
「かれは、この問題でも、狂言回しの黒幕役を果たしている」とあるが、ここで「この問題でも」とあるのは、明治十四年政変(1881)の際も、井上毅が狂言回しの役割を務めている(大久保泰甫説、127ページ)という含みである。
なお、条約改正問題の「黒幕役」を井上毅に見出すことに、私は若干の疑問を抱く。ボアソナードを訪ねた井上は、ボアソナードから、「本国ノ為ニ古今未曾有の危急ニ際シ、何等ノ尽力ヲモナサゞル乎」と詰め寄られ、その気迫に押されて、ようやく本格的に動きはじめたのであって、この問題の「黒幕役」は、むしろボアソナードに見出すべきではないのか。
大久保氏は、また、次のようなことも述べていた。
ボワソナアドの「対話筆記」と「意見書」は、外交上の重要機密文書であるにもかかわらず、その後政府部外に漏洩し、秘密出版物となって世上に流布した。だれが機密を漏らしたかは、おおよその察しがつくが、いったんこれが流布すると、がぜん諸方面にごうごうたる反対論がわき上がった。〈147ページ〉
「だれが機密を漏らしたかは、おおよその察しがつくが」とあるが、こういう書き方は適切でない。察しがつくのであれば、その名前をハッキリと挙げるべきである。こういう表現をされると、読み手は、機密を漏らしたのは大久保氏のいう「黒幕役」、すなわち井上毅だろうと思うに違いない。井上毅だったのかもしれない。しかし、別の人物だった可能性もある。岩波新書という権威ある叢書においては、こういう思わせ振りな表現は、避けなければならなかったと考える。【この話、さらに続く】