礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

編輯の一切を上塚司君に任した(高橋是清)

2023-07-06 02:53:11 | コラムと名言

◎編輯の一切を上塚司君に任した(高橋是清)

 本日は、高橋是清口述・上塚司手記『高橋是清自伝』(千倉書房、1936)の「序」を紹介してみたい。高橋是清(1854~1936)がこの「序」を書いたのは、1936年(昭和11)1月。まさか、その翌月に命を奪われるとは、予想すらしていなかったであろう。当時の高橋は、岡田啓介内閣の大蔵大臣。

     
 私【わたし】は最初自分の伝記を公刊するの考へは少しもなかつた。唯【たゞ】子孫に残すために、その概略を綴つて置きたいと、数年前【ぜん】から暇を見ては、日記、手帳、往復文書など諸般の資料を整理して来た。
 何しろ、維新前【ぜん】に遡【さかのぼ】つてからの諸資料であるから、誠に多種多様で且つ広汎なものである。それを順々に整理して、資料になりさうなものは総【すべ】て上塚【うへつか】君に渡して置いた、すると上塚君はそれを分類し、各資料について私に話を聞きに来る。それに対して私は気憶を呼び起して口述する、上塚君はそれを筆記し、清書して持つて来る。それを又私が補正するといふやうな訳で、最初の間【あひだ】は別段順序もつけず、ある事柄【ことがら】を中心として話をして、それが纏まると、記述中の事実に相違なきや否やを確かめ置く程度に止【とゞ】めて置いた。さうして此【かく】の如き事が数年間続いた。
 その後、東京・大阪朝日新聞社より一代記の発表方【はつぺうかた】の交渉を受け、それより順序をつけて口述することにした。
 それを上塚君が手記して、更に原稿用紙に書き直して持つて来る。目が悪いから、自【みづか】ら一々見て加除訂正を加へる訳に行【ゆ】かないから、それを上塚君に読上げさして事実に間違ひなきや否やを確かめた。さうして出来上つたのが一代記である。今回、さらに自伝として、一冊に纏めて版にするに際し、補正、校正と編輯の一切を上塚君に任【まか】した次第である。本書の補遺はあらためて上塚君の手によつてなされることゝ思ふ。

   昭和十一年一月       高 橋 是 清

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