礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

核戦争の瀬戸際に立ったキューバ危機(1962)

2015-07-25 07:25:19 | コラムと名言

◎核戦争の瀬戸際に立ったキューバ危機(1962)

 昨日の続きである。松尾文夫氏は、その著書『銃を持つ民主主義』(小学館、二〇〇四)から、第一章「ルメイ将軍への勲章」の内容を紹介している。本日は、その三回目。昨日は、ルメイ将軍の「核先制攻撃」構想について述べている部分を紹介した。すなわち、「ソ連が百五十発の核爆弾の発射準備に一カ月の時間を必要としているうちに、アメリカは七百五十発の核爆弾を一気に使用して、数時間でソ連を壊滅状態に追い込む」(「日曜日のパンチ」計画)といった類の構想である。
 この構想を耳にして、スタンリー・キューブリック監督の映画『博士の異常な愛情』(コロンビア、一九六四)を連想された方がいたとしたら、その方は、相当の映画通、あるいは軍事通のはずである。
 同映画のストーリーは、明らかに、カーチス・ルメイ将軍が主張していた「核先制攻撃」を踏まえている。もちろん、ルメイ将軍をモデルにしたと思われるような登場人物も出てくる。『銃を持つ民主主義』によれば、この映画が作られた直接のキッカケは、一九六二年(昭和三七)のキューバ危機だったという。以下は、同書からの引用である(四三~四五ページ)。

 しかし、〔ルメイ将軍は〕ケネディ政権下で空軍参謀長にまで昇りつめたあと、六二年十月のキューバ危機でホワイトハウスと正面から対立、ついに引導をわたされることになる。ソ連のキューバに対するミサイル配備を、ケネディ大統領がフルシチョフ首相との対決で撤回させた、いわゆるキューバ危機に際して、ルメイ将軍、および彼の長年〈ナガネン〉の腹心で、この時には後継の戦略空軍司令官に就任していたトーマス・パワー将軍は、ケネディ大統領に対し、キューバの軍事施設に対する爆撃を即時実施するよう強く進言する。パワー司令官は、四五年〔昭和二〇〕三月十日の東京大空襲の時の部隊指揮官の一人。ルメイ将軍以上に激しい好戦主義者で、アメリカ空軍内部でも「サディスト」で通っていた。
 ケネディ大統領の実弟で司法長官をつとめていたロバート・ケネディは、著書『13日間』のなかで「大統領がソ連はどう出るかと聞くと、ルメイ将軍はなにもしないだろう、と答えた。しかし大統領はこれに懐疑的で、彼らがなにもしないわけがない。キューバでなにもしなくても、ベルリンでは間違いなく行動に出るだろうと述べて、彼らの提案をしりぞけた」とのエピソードを紹介している。ケネディ大統領には、マクジョージ・バンディ国家安全保障問題担当特別補佐官が政権発足直後から軍部制服組が核戦争を始めてしまう危険性をブリーフしていたのだという。
 ルメイ-パワー提案にかわって、大統領が採用した封鎖作戦が成功し、危機が去ったあと、ケネディ大統領が三軍の首脳をホワイトハウスに招いて労をねぎらった際、ルメイ空軍参謀長一人が「われわれは戦争に負けた、攻撃して彼らをやっつけるべきだった」と述べて座を白けさせたと、当時のロバート・マクナマラ国防長官が八七年に述懐している。
 事実、ルメイ空軍参謀長とパワー司令官はこの時、大統領命令で、アメリカ軍全体が通常の防衛体制であるデフコン(ディフェンス・コンディション、DefCon)「5」からデフコン「3」に高められ、さらに戦略空軍に対しては統合参謀本部の判断でデフコン「2」つまり、デフコン「1」の戦闘状態一歩手前まで警戒体制が高められた状況を利用しようとした。
 B52とB47合わせて六百七十二機が、三百八十一機の空中給油機とともに、空中待機または二十四時間出撃態勢にある状態を生かそうと考えた。アメリカ軍の歴史でも、デフコン「2」が発動されたのは、後にも先にもこの時だけという状況下で、なんとか対ソ全面核戦争の開始に持っていくチャンスを執ようにうかがっていたことが明らかになっている。
 その時、上空待機中だったB52パイロットの一人は、通常より意図的にソ連領に接近、ソ連側を挑発するよう命じられており、開戦となったら直ちにレニングラード(現・サンクトペテルブルク)を攻撃することになっていた、と証言している。B52は最大四発の核爆弾が搭載可能で、数字上は、合計千六百二十七発の核爆弾の実戦使用が可能な状態だった、という。
 この辺のホワイトハウス内でのケネディ大統領と彼らとの対決の場面は、ロバート・ケネディの『13日間』をもとに二〇〇〇年につくられたロジャー・ドナルドソン監督、ケビン・コスナー主演の映画「13デイズ(原題Thirteen Days)」で巧みに再現されている。
 世界は、このとき間違いなく核戦争の瀬戸際に立っていた。

 ここでは、映画『博士の異常な愛情』の話は出てこないが、その数ページあと(四八ページ)に出てくる。キューバ危機が一九六二年、同映画の公開が一九六四年である。核戦争の瀬戸際に立つ人類を描こうとしたこの映画が、キューバ危機に触発されたものであることは間違いない。というわけで、次回は、映画『博士の異常な愛情』について。

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1 コメント

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Unknown ( 伴蔵)
2015-08-11 23:39:54
 後日譚で、カストロが戦闘を覚悟していたのをソ連とアメ

リカが頭越しで話し合いによる平和的合意に至ったのを

見て、怒りのあまり鏡をブチ割ったと伝えられています。
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