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1956(昭和31)年9月10日夕刻、魚津大火が起こりました。小さな火が、日本海を北上中の台風のためフェーン現象が起こり瞬く間に燃え広がって、焼失家屋1583戸・被災者7219人・死者5人・負傷者170人の大災害になりました。
なぜ北陸線より海側を走るこの道はこんなに広いのだろうと調べてみたら、その大火後の計画道路だったようです。「22メートル道路」というのはこの道ではないかと思います。合わせて大火後の都市計画により、商店街が鉄筋コンクリート化(防火建築帯)されたともいいます。
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なぜ北陸線より海側を走るこの道はこんなに広いのだろうと調べてみたら、その大火後の計画道路だったようです。「22メートル道路」というのはこの道ではないかと思います。合わせて大火後の都市計画により、商店街が鉄筋コンクリート化(防火建築帯)されたともいいます。
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◆おふくろや長兄が富山市の大空襲被災を思い出すといっていたのも記憶にあります!!
多くの人が「魚津大火」を思い出し、被害を食い止めようと動き、避難場所を提供したりしたと言うことです。魚津大火の時と同じような高い炎が上がったようです。