立山日和。

立山連峰の山々を眺め富山県内を徘徊する日々を綴ったフォト日記。2014.11.3.までは友人の中国旅を毎日掲載した。

上高地だより(6)・・・前穂高岳

2007年08月27日 | Weblog
 manaさんありがとう。おかげさまで、上高地などこのシーズンには私の体力・気力からいってとうてい訪れるのが無理なところへ画面上で連れて行ってもらいました。
 昔、何回か訪れたことがありますが「ああ、とうていむつかしいなあ」と思わなければならない年令に自分が達するとは、そのころ全然思っていませんでした。

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苦い思い出 (杉氏)
2007-08-28 16:53:53
卒業生に誘われて北アルプスに2泊3日の山行を決断したのは一昨年の夏だった。

その卒業生とは以前にも4人のパーティで西穂の独標を目指したことがあった。新穂高ロープウェイから2,3メートルの雪をアイゼンをつけて一歩一歩登って西穂山荘に着き、休憩をしてから尾根伝いに独標に向かっていた。降りてきた人に話を聞くと「西穂高や独標はすでにガスで何も見えない」と言う。そこで独標行きをあきらめ、南東の斜面の下に見える上高地を見つつ、雪の上に腰を下ろし、バーナーの火でソーセージを焼いて食べた。あの時の美味かったこと・・・・・・。

さて今回は涸沢岳を目指す。大正池、田代池、河童橋を過ぎ明神池を見て、徳沢園を通り、1泊目の横尾山荘に着く。

ところが、山のピーク時で小屋の部屋は寿し詰めで、夜中に眠れず便所に行こうとしたが、何人もの足を踏んでしまい、ものすごくしかられ結局、ほとんど眠れなかった。大抵の荷物は彼が背負ってくれたが北尾根の聳えるような屏風岩が近づくと疲労が頂点に達した。上流の梓川は大きな石や岩があり、畳何枚分の広さがあり、その上で昼食を食べた。「少し昼寝をする」と言ったかと思うと猛烈な睡魔に襲われた。気がついたときは大分、陽も傾き、「先生、涸沢は無理やで、引き返そう」という。「いや申し訳ない、あんなに楽しみにしていたのに」というと、彼は微笑んで「お山は逃げないさ、いつでも登れるから」と言ってくれた。

横尾山荘まで梓川に沿って歩くが何と気の重かったことか。

今、思い出してもても苦い思い出だ。
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すばらしい山の思い出 (zen)
2007-08-29 09:39:21
 読ませてもらっていると、失敗談ないし挫折談のように見えますが、私から見ればすばらしい羨ましい思い出を持たれたと思います。
 自分が原因で、いろいろとまずいことが起こって来るというのはしばしば体験するところです。そういうときに支えてもらったり、配慮してもらったり、励ましてもらったりというのは、いいことだと思っています。
 「他人に迷惑をかけない」というのは、ご立派に見えますが、おごりがあります。私は、何回もひとに迷惑をかけ、ひとのありがたさを感じました。
 決して「苦い思い出」ではありません。「うれしい思い出」の一つだと思います。私は「困ったときには、助けてほしい」と思っています。「喜んで甘えさせてもらいます」
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