住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
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四国遍路行記15

2007年06月20日 18時03分56秒 | 四国歩き遍路行記
丸米旅館で、久しぶりに心地よい朝を迎えた。衣を着て、脚絆を巻き、草鞋を履く。颯爽と土佐國分寺を目指して歩き出す。土佐くろしお鉄道の小さな電車の駅のわきをすり抜けて田んぼ道に出る。小川が横を流れる道沿いに北西に歩くと左奥にひとつのこんもりした森があらわれた。そこが29番札所國分寺だった。

摩尼山(まにざん)国分寺と号し、開基は行基菩薩。その後室町時代は細川頼之、戦国時代は長曽我部、そして江戸時代は山内家によって保護され、法燈は守られてきたらしい。現在の宗旨は真言宗智山派となっている。

仁王門は楼門だ。この梵鐘、ならびに境内正面の金堂はともに重要文化財。仁王門は、1655(明暦元)年に、土佐藩主山内忠義から寄進されたもの。金堂は優雅な姿の柿葺き、寄棟造りの天平様式を伝えている。兵火や火災のために一時廃寺同然になっていたが、長曽我部元親が再建したと伝えられている。

本尊は千手観音。その横手に大師堂がある。弘法大師は42歳のときに、この寺において節分に拝む星供(ほしく)の秘法を勤修したので、以来星供の道場として皇室や藩主のための星供の祈祷が明治まで続けられてきた。そのため、この大師像は星供大師とよばれるという。さすがに國分寺、境内の苔が目にまぶしい。

國分寺を出て、国道に入り、高知の街にはいる。参道に出たと思ったら、お寺の前に来ていた。30番札所善楽寺は土佐一の宮土佐神社の別当寺であった。だから山門は神社に向かって位置し、その参道の脇に善楽寺がある。

他の神宮寺同様に明治後の経営に困窮し、戦後一時他の寺に本尊を預けていた。本家争いの末に元々の札所であった善楽寺が30番札所として復活した。おそらく江戸時代には土佐神社そのものが四国遍路の札所であったのであろう。土佐神社には、鐘楼堂や放生池が現存している。本尊阿弥陀如来。

お寺を出て参道に入り山門に向かって歩く。市内に入り、高知駅前を南に下るとはりまや橋。それからお城を右手に見て、大きく遍路道を外れて、井口町にある護国寺に向かった。護国寺は、臨済宗妙心寺派の禅寺で、前年に信玄師と「接心」という一週間の坐禅会にうかがったお寺だ。この時もその時80歳になろうかという和尚が一人庫裡に座っておられた。

歓待され、里芋を煮たとかで早速ご馳走になった。夕方には、差定どおり坐禅をして、晩には造り酒屋のご子息なので生家から送られてくる銘酒「満寿一(ますいち)」をご馳走になった。当時私の関心事であった、寺を持つということや妻帯のことなど、あれやこれやお話をさせていただいた。

和尚は妻帯もせずに過ごしては来たが、いつも心の中に大きなウェートを占めていたと言われたのを記憶している。妻帯しなさいともするなとも言われず、淡々と御自分にも葛藤が継続してあったことを話してくださった。翌朝は5時過ぎまで寝かしてくださり、朝の勤行と坐禅を一緒にさせていただいた。玄米御飯を頂戴して9時過ぎに、また歩き出す。

小高い山の上にある 31番竹林寺に向かう。入り江から見る水と松並木が美しかった。途中、五台山公園から牧野植物園に道を間違えるものの竹林寺仁王門から石段を登る。二層の仁王門をくぐると桜並木の参道が続き、さらに石段を上っていく。右手に本堂、左手に大師堂がある。聖武天皇が行基に命じて中国の五台山に似た土地を探させて寺を建てたのがはじまりという。

本堂は、単層入母屋造り、柿葺きで文明年間(1469‐86)に再建され、19体の仏像とともに国の重要文化財に指定されている。本尊は文殊菩薩。ただし本堂内は薄暗く何も見えない。残念だが、お姿を想像して理趣経を上げる。山門を後にしてなだらかな坂を下る。

32番禅師峰寺へは、入り江を渡りハウス栽培農家の間を進む。細い石段を登って、にわかに視界が開けたところに山門がある。この門の仁王は、鎌倉時代の仏師定明の作で、国の重要文化財に指定されている。境内に出ると、土佐の海や桂浜が一望できる。

境内にはさまざまな形の岩石がおかれていて、本尊は十一面観音。海上安全に霊験があるといわれ、船魂観音として漁民の信仰を集める。本堂、大師堂ともに大きなお堂ではないが、弘法大師はここを観音菩薩の浄土、補陀洛山に見立てたといわれ、それが八葉山の山号の由来といわれる。

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5 コメント

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四国遍路について (学生)
2007-07-13 23:22:14
教えてください。遍路の巡礼に50日間かける理由は何ですか?
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学生さんへ (全雄)
2007-07-14 10:09:47
あなたがどのようなことを研究し、どんな目的でこの内容について知りたいのかをはっきり書いてください。ただレポートを書くのに安直にそのことを知りたいのならお答えしたくありません。勉強は自分の頭で考え抜くことが大切ではないでしょうか。以上です。
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四国遍路について (学生)
2007-07-14 21:41:35
ゼミの資料の参考にさせてもらいたかったのです。調べてみても50日かけて巡礼することに正確な意味があるのかどうかがわからなかったので、ご存知であれば教えていただけたらと、投稿したのです。これが安直ですか。一方的な決め付けでお説教され不愉快でした。投稿などしなければよかったです。
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学生さんへ (全雄)
2007-07-15 05:31:23
人に物を尋ねるときの尋ね方というのがあると思います。それであのように書かせてもらったのです。

ところで、質問される前に、文章はお読みになられましたか。その前の遍路行記はいかがでしょう。お読みになっていたならば、あのような質問の仕方にはならなかったでしょうし、読めばおおよそお求めになっているもののこたえがおわかりになっていたと思ったのですが。いかがでしょうか。
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四国遍路について (学生)
2007-07-15 09:36:07
わかりました。何度か読み返してみます。ありがとうございました。
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