カルカッタからサールナートに戻る列車は、この時なんと12時間も遅れてバラナシに到着した。後藤師と二人、一向に進まない列車の中で、ただふて寝をして過ごした記憶がある。インドはそんなことで誰も騒いだりはしない。そんないい国は他にはないだろう。
サールナートに戻ると、やっと、大学の授業が始まった。ベナレス・サンスクリット大学パーリ語専攻科。ディプロマ・コースだった。ただ後で、このコースではビザが降りないということになって、留学前の話と違ってきて、結局サンスクリット語もやらねばならず、そうなるとお寺の仕事や一度にふた言語もやるということで無理があり、留学を一年で諦めざるをえなくなった。
パーリ語の教授シャルマー・ジーは、たった一人の生徒であった私のために、時間を設けて、毎週2度程度、初めはパーリ語の成り立ちを偈文にした文の英語訳ヒンディ訳を宿題にされて、暗記させられ、続いて小部経典中にあるクッダカ・パートの読みと暗唱を学んだ。毎度行くと部屋に他の先生達がたむろしている中で、「バンテーボリエー」と言って、私に暗唱させる。
その暗唱させられる文章を、私は、毎度、自転車をこぎつつサールナートのお寺から大学まで、がたがた道を40分もかけて通いつつ、車やバスの騒音にかき消されながら、大声で唱えた。
クッダカ・パートの前半をほぼ終えると次は、法句経の暗唱だった。一章ずつ、暗唱しては、少しずつその訳をヒンディ語で教えられ、書き取り、それをまた何人かの前で暗唱した。インドの教え方は、正に読書百遍意自ずから通ずといった古典的なものだった。
大学に行っても、たまに教授が来ていない日もあり、その日は、ブラブラ学生寮に行っては様々な国から来ている学生僧たちと談笑した。スリランカからは育ちの良さそうな在家の学生。スリランカは都会の僧侶と村の僧侶では体質が違うというような話をしていた。
ブータンから来ていたチベット仏教の僧侶は、とても世話好きで、よくお茶をご馳走になった。ブータンにも遊びに来てくれと言っていた。タイから来た僧侶は、とてもお金持ちで、なんとインドのアンバサダーを買い込んで乗り回していた。何をしにインドに来たのか勘違いをしているような人だった。
サールナートのお寺ではその頃無料中学開校にあわせ校舎を建設中で、毎日工事作業員が何人もやってきてざわついていたり、私の方のヒンディ語がなかなか上達しないのでストレスもあり、また日本を離れて半年となり、精神的に辛い時期があった。そんなとき、日本人旅行者が来て、ひととき寛ぐこともあった。
そして、食後の沢山の食器洗いも私の仕事だったが、一枚一枚洗っていたとき、インドのことなので、泥を付けて油汚れの食器を一生懸命洗っていた。そのとき、本当にその洗っているということだけに心が集中して、それだけがあると。
それまで、いろいろと思い悩んでいたようなこと、心に引っかかっているようなことのすべてがその瞬間には何もないということに気づいた。そのことに気付いたら、何だそういうことかと思えて、別に大したことではなかったのだと思えた。それからは腫れ物が取れたように気持ちが楽になったのだった。
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日記@BlogRanking
サールナートに戻ると、やっと、大学の授業が始まった。ベナレス・サンスクリット大学パーリ語専攻科。ディプロマ・コースだった。ただ後で、このコースではビザが降りないということになって、留学前の話と違ってきて、結局サンスクリット語もやらねばならず、そうなるとお寺の仕事や一度にふた言語もやるということで無理があり、留学を一年で諦めざるをえなくなった。
パーリ語の教授シャルマー・ジーは、たった一人の生徒であった私のために、時間を設けて、毎週2度程度、初めはパーリ語の成り立ちを偈文にした文の英語訳ヒンディ訳を宿題にされて、暗記させられ、続いて小部経典中にあるクッダカ・パートの読みと暗唱を学んだ。毎度行くと部屋に他の先生達がたむろしている中で、「バンテーボリエー」と言って、私に暗唱させる。
その暗唱させられる文章を、私は、毎度、自転車をこぎつつサールナートのお寺から大学まで、がたがた道を40分もかけて通いつつ、車やバスの騒音にかき消されながら、大声で唱えた。
クッダカ・パートの前半をほぼ終えると次は、法句経の暗唱だった。一章ずつ、暗唱しては、少しずつその訳をヒンディ語で教えられ、書き取り、それをまた何人かの前で暗唱した。インドの教え方は、正に読書百遍意自ずから通ずといった古典的なものだった。
大学に行っても、たまに教授が来ていない日もあり、その日は、ブラブラ学生寮に行っては様々な国から来ている学生僧たちと談笑した。スリランカからは育ちの良さそうな在家の学生。スリランカは都会の僧侶と村の僧侶では体質が違うというような話をしていた。
ブータンから来ていたチベット仏教の僧侶は、とても世話好きで、よくお茶をご馳走になった。ブータンにも遊びに来てくれと言っていた。タイから来た僧侶は、とてもお金持ちで、なんとインドのアンバサダーを買い込んで乗り回していた。何をしにインドに来たのか勘違いをしているような人だった。
サールナートのお寺ではその頃無料中学開校にあわせ校舎を建設中で、毎日工事作業員が何人もやってきてざわついていたり、私の方のヒンディ語がなかなか上達しないのでストレスもあり、また日本を離れて半年となり、精神的に辛い時期があった。そんなとき、日本人旅行者が来て、ひととき寛ぐこともあった。
そして、食後の沢山の食器洗いも私の仕事だったが、一枚一枚洗っていたとき、インドのことなので、泥を付けて油汚れの食器を一生懸命洗っていた。そのとき、本当にその洗っているということだけに心が集中して、それだけがあると。
それまで、いろいろと思い悩んでいたようなこと、心に引っかかっているようなことのすべてがその瞬間には何もないということに気づいた。そのことに気付いたら、何だそういうことかと思えて、別に大したことではなかったのだと思えた。それからは腫れ物が取れたように気持ちが楽になったのだった。
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日記@BlogRanking
時たま お邪魔させて頂き 拝読させて頂いておりました。
このインドでの思い出のお話も その風景を頭に浮かべながら拝読しておりました。
こちらのブログに再三 気にはなっていたのですが、コメントできずに・・。
今日は思いきってコメントを。
『meori~徒然日記』をブックマークにと登録して頂き有難う~御座います。
実は 1月末に 事情あって 閉鎖としました。
なので、どうぞ ブックマークから削除とお願いします。
遅くなり 申し訳御座いません。