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座敷ネズミの吉祥寺だより

吉祥寺って、ラッキーでハッピーなお寺ってこと?
中瀬の吉祥寺のあれこれをおしゃべり。

菜風翁の碑

2010-04-23 | 菜風さん
菜園すの亭主さまからのご質問の 菜風さんの碑の在り処を住職から聞き出しました。

境内のイチョウの木の西側の、塀際に並んでいる石碑のうちのどれかだ、という事です(笑)。

カメラを持って見に行きました。

一番ヘンテコ?な形のものがそれです。   








菜風翁碑、と書いてあります、多分。






     



最後の方に、確かに、「藍香尾高淳忠書」 とあります。

あ、「藍香」さんと「淳忠」さんは 親戚なんじゃなくて、同一人物だったんですね!?

これから混乱せずに済みます・・・(苦笑)。






おっと、最初の方は こんなです。 
                



菜風さんが亡くなってから建てられた石碑のようです。




   →こっちは、裏側。

明治23年6月に書かれたものです。 そして、8月に完成したのでしょう。



さすがに苔むして 読みづらくなっていますし、なんと言っても この数の漢字の羅列!!

全文を読む気になれません。。。。。  平に、ご容赦を!






吉祥寺の過去帳を見てみますと、明治13年1月3日に亡くなっています。

薫一菜風哲豊居士。

「豊」の文字は 菜風さんの俗名から採ったようです。

墓地はK地区の個人墓地にあります。

墓石の傘が石臼だそうでございますよ!

年齢は60歳だったということです。






   吉祥寺の銀杏が 新緑におおわれつつあります。

これは 石碑の後ろから撮影しました。



2016年追記:菜風さんの石碑は、別の場所に移動しました。
           「石碑の移動 その」2参照のこと。






付け足しです、 菜風さんはAさんのお宅の墓地に眠っていますが 
奇三という方がRさんの墓地に眠っています。

お戒名も、そのまま奇三居士。   

菜風さんの石碑の脇から墓地に入って行った所にR氏の墓所があり、
奇三居士の墓石が立っています。

R氏も 今は 同じ墓所に眠っています。






衣食足りて風狂を知る?

栄えた地域であったからこそ、こうした文人も大勢輩出したのでしょうね。