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座敷ネズミの吉祥寺だより

吉祥寺って、ラッキーでハッピーなお寺ってこと?
中瀬の吉祥寺のあれこれをおしゃべり。

『恐父論』

2016-09-16 | おしゃべり
読売新聞の「父の戦争 母の終戦」には、
阿川佐和子さんの回もありました。

亡くなったお父様に関して、
「あなたのお父様は 戦争がお好きでしたね」
と言われた事があるそうです。

戦争が好きだなんて、
そんな人がいるものでしょうか?

たとえ 昭和天皇を崇拝していようと
(昭和天皇の話をすると、いつも涙ぐんだそうですが)、

たとえ海軍に誇りを持っていようと
(海軍は、どうも、確かに、お好きだったみたい)、

「お父様は戦争がお好き」だなんて、
口に出して言うべき言葉でしょうか?

悪意を感じます!



           



お父様は、こんな本も書いていらっしゃいますけど。  
          






新聞をきちんと保存していなかったので、
阿川佐和子さんの回のものは、
(『蝿の帝国』の帚木 蓬生氏の回などを含めて、)
残念ながら、手元にありません。

手元にありませんが、
記憶に残っているのは、
最近 時々目にする言葉です。

「君が代」を歌ったり 日の丸を掲げただけで
「右翼」と呼ばれるのは、ちょっと、どうなんだろう? 
といった意味の言葉です。



他国の国旗、国歌を尊重するのは当然の事で、
それはもちろん、自国のものに対しても、同様なはずです。

日本人が 日本の国旗や国歌を大事にすると口撃されるのは、
どうしてでしょう?

お風呂で「君が代」を歌ったら、家族に笑われるのは、
何故でしょう?(笑)






阿川佐和子さんの最近の著作『恐父論』、お貸し出来ます。
(文藝春秋、2016.7.30、1300円)

          

帯には ビートたけし氏の

「阿川さんには言わなかったけど、
 はっきり言って
 あなたのお父さんは 私の理想です」

という言葉が載っています。


読売新聞の特別編集委員、橋本五郎氏は、

「『恐父論』は一見父親批判に見えますが、
 本当は「父を恋る詩」ではないのか。
 
 全く揺らぐことなく関白であり続けた父を
 本当は愛していたのではないかと思うのです。」

と書いています。(9月10日朝刊、13面)


ともかく、すごいお父様だったようです(笑)。

お父様の阿川弘之氏は。

大正9年のお生まれでした。



「父の戦争 母の終戦」

2016-09-16 | おしゃべり
「降る雪や 明治は 遠くなりにけり」
という言葉中村草田男の句がありましたが、
大正もかなり遠くなった現在、
世の中は「戦争を知らない子供たち」ばかりになりつつあります。

ドキュメンタリー映画「ひとりひとりの戦場 最後の零戦パイロット」
に登場し、
今年5月3日に亡くなった方は、99歳だったそうです。

戦争を知らない若者が 
テレビのニュースで戦場の映像を見て
「テレビゲームみたい」と話すのも、
無理はないのです(湾岸戦争の時の話)。






8月に 読売新聞紙上で
「父の戦争 母の終戦――戦後71年」と題した連載がありました。

父の戦争 母の終戦






  ――71年前のあの戦争。

  異国の戦地で父たちは何を見たのか。

  母たちはどんな思いで銃後を生き抜いたのだろう。
  
  悲惨なその体験は今、子や孫の世代にどう伝えられ、
    語り継がれようとしているのか――


新聞紙上の、期間限定版「ファミリーヒストリー」ですね。

上の言葉は、第1回の、腹話術師 いっこく堂さんのお話の
冒頭にあった言葉です。(no.1 7月30日)



サイパン、ポナペ島、トラック諸島、パラオ。

兵隊としてではなく、一般庶民としての、
そういった場所での生活と
ものすごいご苦労と、ありえないような奇跡と、
戻ってからの沖縄の悲劇。

いっこく堂のお父様・お母様の戦時の記憶は、
腹話術を使わなかったとしても、
とても一晩や1日では 語り尽くせるものではなさそうです。






マラソンの解説でおなじみの増田明美さんのお父様が
出征する父親と別れた時、
お父様は 生後100日ほどだったそうです。(no8、8月15日)

お爺様は、終戦の前年に
マーシャル諸島のクェゼリン島という島で 戦死なさいました。

(この回の、読みどころは、別の部分にあります。)



女優の浜美枝さんのお父様は、戦地から帰還した後、
10年近く、自宅で呆然と過ごしたそうです。(no11、8月25日)

ベトナム戦争後に注目されるようになった、
PTSDというものだったのでしょう。

こういう方々も 何人もいらしたようです。



陸軍武官のお父様についてオーストリアに行った、
という方(87歳)が9歳の時に
ドイツがオーストリアに入って来たのだそうです。

オープンカーに乗ってやって来たヒトラーを見に行き、
目と目があったそうです。

お父様は、
「戦争については ポツリ、ポツリといった感じで、多くを語らず、
 <常に学べ>というだけで、結論は口にしませんでした」
とあります。(no.12、8月26日、最終回)






戦地に限らず、戦争を体験したという人は、
身近に大勢いらっしゃいます。

それぞれの人に それぞれの戦争があり、
それぞれの戦後があって、
人々の平和への希求があって、
今があります。

たとえ戦時中や戦後の事を語らなくても、
そういったご先祖様や先輩方に
私たちは 感謝しなくてはならないと思うのです。



リオデジャネイロパラリンピック

2016-09-09 | おしゃべり
始まりましたね~、パラリンピック。

いきなりの、メダルラッシュです。


     


昼過ぎに ゴールボールの予選を見ましたが、
ボールに鈴が入っているとはいえ、
ゴールに向かって来るボールを、
どうして止める事ができるのか!?

不思議なくらいです。




彼らが、どうか 能力を充分に発揮してくれますように。

それから、どうか、世界中の国が、
核兵器の廃絶と平和を 希求してくれますように。



君が代

2016-09-06 | おしゃべり
リオデジャネイロオリンピックの開幕は、
広島の原爆忌と重なりました。

それに先立って、
ノーベル平和賞受賞者である、アメリカの現職大統領が
広島を訪れて お話をしてくれたりもしました。

銀メダルを取った男子400メートルリレーの第一走者は、
広島の被爆三世だそうですし。


          



いろいろと考えさせられる夏でした。

そして、日本選手が予想以上のメダルを獲得できた、
大成功のオリンピックでした。

(ドーピングとか治安とか反対デモとか、問題もいっぱいあったけど。)

(間もなくパラリンピック開幕ですね!)


         





          

日本勢が たくさんの金メダルを獲得した日。

金メダリストの選手が、
優勝できた喜びに震え、
厳しい練習に耐えて頑張ってきた自分自身に誇りを持ち、
支えてきてくれた大勢の人たちに感謝しつつ、
表彰台の真ん中で、
日の丸が 真ん中のポールに上がるのを見つめる、

そんな様子を 何度も何度も ニュースやスポーツ番組で眺めました。

何度見ても良いものです!



そして 彼らは、国歌である「君が代」を
感激の面持ちで 歌うのです。

どんなにか嬉しい事でしょう!

どんなにか晴れやかな心持ちでしょう!






一方、
惜しくも負けて銀メダルになった選手は、
一段低い場所に立ち、一段低い場所に形容される国旗を見つつ、
「君が代」を歌う事はできないのです。

どんなに悔しい思いをしているのでしょうか。

「銀メダルでも嬉しい」というのは、
卓球卓球と男子400メートルリレーくらいだったのではないでしょうか。


          


           


まして、金メダルのみを期待されてきた選手達は、
どんな気持ちで 一段低い国旗を見ていたのでしょう?






その日の夜、
私はお風呂で(いつものように)歌を歌いました(笑)。

なんと、「君が代」を!!!(爆笑)

金メダルの余韻と、銀メダルになった選手への思いと、
それから、
小学生の時に 鼓笛隊で「君が代マーチ」を演奏しながら
パレードをした事を思い出しながら、でした。

さすがに、お風呂で「君が代」を歌ったのは、
初めてでしたが(苦笑)。



それを聞いてるヤツがいて、
お風呂上りに 家族に笑われたのでした。

でも、いいじゃない?

金メダルを 日に3つも獲れた日くらい(笑)。



渋沢栄一イベント

2016-09-04 | おしゃべり
深谷市にお住いの読者の方々のお手元には、
「広報深谷」が届いている事と思います。

17ページをご覧ください。

今年も渋沢栄一関連イベントがめじろ押し!

http://www.city.fukaya.saitama.jp/ikkrwebBrowse/material/files/group/4/2016-09-14-23-2.pdf


1、論語の里まちあるきツアー

2、渋沢栄一講演会

に続き、

3、栄一塾

というのがあります。


10月10日に
「渋沢栄一の人づくり  教育を通じてのメッセージ」

10月30日に
「中瀬河岸と渋沢栄一」

という2回の講座が 渋沢栄一記念館で行われます。





続いて、11月3日に見学会が催され、

「中瀬河岸」の関連史跡として 
河岸問屋や 両替商と一緒に
中瀬の吉祥寺が 見学コースに含まれています。

というか、集合は吉祥寺です(笑)。

講師は 持田先生ですので、
吉祥寺の住職が話すよりも
わかりやすく 聞きやすく 
より広範な知識を得られるものと思います。



参加料は資料代を含め1000円という事です。

申し込みは、
9月12日(月) ~ 10月7日(金) までに
参加料を添えて 渋沢栄一記念館(587-1100)まで どうぞ。

定員は30人です。



江戸の文化が 深谷地区に流れ込んだ昔日が 
よみがえるかもしれませんよ!






また、11月25日には 
「渋沢栄一がかかわった大学めぐり~バスツアー」
が予定されています。

こちらは、別途5000円の参加料が必要です。



『ファミリーヒストリー』

2016-09-03 | おしゃべり
義父は、20歳の頃に 戦争末期を迎えました。

毎月 部隊を転属しながらも、
外地へは行かずに済み、生きて終戦を迎えました。

その頃の事は、
抑留」の伯父ちゃんと同じく、
まったく話に聞いた事がありません。

思い出したくない事が多かったのでしょうか。






NHKの「ファミリーヒストリー」という番組が好きです。

気が付いた時は なるべく見るようにしています。

(その割には あまり見てない。。。)

そうして気がついたのは、
現代に生きる私たちの両親や祖父母は、
必ず、あの<戦争>の影響を受けて生きてきた、
というものです。

その先に生きているのが、私たちなのです。

私たちは、あの<戦争>の影響を受けて 生きているのです。

当然と言えば、当然かもしれませんが。





戦争に行った父、祖父。

残された母、祖母。

疎開。

空襲。

残された家族。

叶えられなかった再会。

叶えられなかった夢。

実行できなかった約束。

失意。

燃え残る夢。

消えない後悔。

平和の代償。

思いがけない再開。

迎えられた出会い。

繋がる縁の糸。



それらを引きずって 子に託す夢。

見守るしかない親。

よみがえる思い。

平和への誓い。

償いの意識。





人は誰でも 挫折を経験する事なしには 大人になれません。

しかも、日本人は 誰しも、
戦争という大きな転換点を超えて 現代まで生きて来て
子どもたちに 後を託していきます。

決して良い事ばかりではなかった、
いえ、悪夢のような事が多かった時代。

そんな日々を過ぎて
貧しい戦後は がむしゃらに働いて
あるいは 生きる意欲をなくしたままで
現代につなげて来てくれた人たち。

そんな人たちのおかげで、
私たちは 今 生かされています。





私が最近思うのは、
戦争に行った、ほとんどの人たちは
家族のために行った、という事。

祖国のために戦った、という事。

母のために、父のために、妻のために、わが子のために、
戦った
という事です。






なるほど、戦争は戦争です。

戦争になったら、きれい事ばかりでは済まないのでしょう。

悪いことも、したかもしれません。

でも、
兵士のほとんどは、家族のために戦った、
という事だけは 忘れたくありません。



侵略したいと思って戦った人たちよりも
母を、わが子を守りたいと死んでいった人たちの方が、
はるかに多いはずです。



戦争を礼賛するつもりは全くありませんが、
ご先祖に 戦争体験者の方がいらっしゃったら、
外地・内地・銃後の別なく、
みなさん 必ず 苦労なさったわけですから、
感謝の心を捧げたいと思うのです。

それでも生きて 子孫を残し、育ててくれた事を 
有り難いと感謝しなくてはならないと思うのです。

そして プロパガンダに惑わせれてはならないゾ、
と強く思うのです。

父親と息子

2016-09-03 | おしゃべり
9月になりました。

日の暮れるのが 早くなりましたね~。



先月の事です。

ある方が、
「父親と息子っていうのは、
 永遠にライバルだから、
 仲良くするって、できないらしいね。」
とおっしゃいました。

私も訊いた事があります。

「そうらしいですねぇ~。」



その話に、里帰りしていた娘が、
「うちのおじいちゃんは、偉かったね。」
と言いました。






義父は、成人して社会人になったふたりの息子に、

「そうかい。

 たいしたもんだね~。」

としか、言いませんでした。



ふたりの息子を、<認めて>いたのです。

言われた息子たちは いい気になって、
ますます生意気になったのに違いないのですが(苦笑)、
生意気を言われても、

「そうかい。

 たいしたもんだね~。」

でした。



息子たちは反発する事もなく、
自分が選択した道を生き生きと生きて、
父親と仲良し親子でいたように思います。

孫娘の目にも、そのように映っていたのでしょう。





世間では、心理学的にも、父と息子は永遠のライバル。

「仲良し親子」なんて、男にはできないのだ、と言われています。

それはそれで、息子の成長に 大きく寄与しているのでしょう。

残念なような気もしますが。



『わがまち深谷』

2016-08-23 | おしゃべり
インターハイが終わり、夏の高校野球が終わり、
リオデジャネイロオリンピックが終わりました。

台風だけは、まだ残ったのがあるみたいですが、
皆さん、いかがお過ごしですか?



「手拍子」の記事の終わりに、映画について書きます、と書きました。

『わがまち深谷』は、「深谷市誕生10周年記念記録映画」です。

実は、中瀬の吉祥寺には、このDVDがあります。

          





この記事を書くにあたって、
どうすれば手に入れられるのかを、市役所に問い合わせました。

そうしたら、返って来た言葉は、
「販売はしていません」というものでした。

そうだったの!?





とっておいた5月の「広報深谷」をようやく見つけました。

確かに、
「5月から 深谷・岡部・川本・花園図書館で
 DVDの貸し出しを開始します」
としか 書いてありません。

(問い合わせ:秘書課 574-6631とあります。)

市のホームページでも公開すると書いてあります。

探してみました。

YouTubeで、四分割されて公開されていました。






















という訳で、
吉祥寺にDVDがあるのは、特別な事だったのです!

どう特別だったか、というと、住職が出演しているのです。

そして、住職に試写会への招待が届き、、
住職に代わって、座敷ネズミが、深谷シネマに行って、
試写を拝見してきたのでした。

どうです?

ビックリでしょう?(笑)





この映画の中には、市内各地のお祭りの映像が多く収録されています。

例の、「深谷締め」の音も聞こえてきます。

そんな「深谷」を代表して、中瀬の吉祥寺の住職が出演?(笑)



でもね、住職は、DVDを見て、不満そうだったんですよ。

前もって 何を聞くかを聞いてなくて、
いきなり質問されて、
一生懸命に答えているけれど、
ちっとも上手く答えていない、噛みながらしゃべっている、
という訳です(笑)。

普段から、あまり おしゃべりが上手じゃない、って事ですねぇ。




これは、映画とは関係のない方から伺ったのですが、
深谷で歴史上の人物を調べようとすると、
北の利根川流域に偏ってしまうのだそうです。

もちろん、戦国武将とか、たくさんの有名人が
深谷にはいます。

けれど、どうしても、北の方に 偏りができる。

それは、きっと 利根川の水運を背景に、
たくさんの利益と 情報と 人と 文化などが
流域に押し寄せてきていた歴史が 
形作ってきたものなのでしょう。



そうそう、今夜のNHK Eテレの「智恵泉」、
ご覧になりましたか?

渋沢栄一って、やっぱり、すごく偉大な人ですね!

あの番組の終わりに、「深谷市教育委員会」が協力とかって、
出ていましたよね。

お宝発掘、助けます「渋沢栄一」

再放送は、30日のお昼に、Eテレであるようです。

あの渋沢栄一の出身も、北の利根川流域ですね。

当時、時代の波は、利根川からやってきた、という事かもしれませんね。






「智恵泉」に話がそれましたが、
このDVD、図書館の他に、
中瀬の吉祥寺でも お貸しできます。



手拍子

2016-08-03 | おしゃべり
中瀬祭りは、7月の最後の土・日に 終わりました。

日曜日のお天気が心配でしたが、
カミナリもなく、雨も降らず、
お祭らしい良い天気と 良い気温(?)でした。









月曜日には片付けがあり、
それも終わると 手拍子が聞こえてきました。

「中瀬締め」と 我が家で読んでいる手拍子で、
「シャンシャンシャン、シャシャシャン シャン!」
と締めます。

三三七拍子くらいしか知らない私でしたが、
当地に来て 初めて聞いたこのリズムは
なかなか心地良く響きます。

深谷の他の地域でも使われているのでしょうか?








屋台に乗って お囃子を演奏する子供たちの顔ぶれは、
年々 少しずつ 変化していきます。

後をついていく親の顔ぶれも、変わっていきます。







屋台やお神輿を 引いたり担いだりする人たちの顔ぶれも、
少しずつ 入れ替わっていくようです。



素戔嗚尊には、
ほとんど変わっていないようにしか見えないのかもしれません。





長い事 ブログをサボっていたので、
その間に書きそびれた事がいっぱいあります。

中瀬祭りで それを思い出しましたので、
次回は、映画について書きます。



団参

2016-08-02 | おしゃべり
「団参」というのは、「団体参拝」の略です。

お仲間が集まって、団体で寺社にお詣りに出かける事を言います。

中瀬の吉祥寺でも、これまで何回か 本山へ出かけています。

2006年の5月に行った団参は、
私のこのブログを始めるきっかけになったのでした。

あれから、早いもので、10年です!

そろそろ 次の団参に行ってもいいんじゃないか、と思いませんか?(笑)

行きます!

ただし、来年です。





期日は決まりました!

来年の5月の、17日・18日・19日です!

(水曜・木曜・金曜です)

二泊三日で、本山、京都、奈良をめぐります。

詳細は まだ決まっていません、これから決めます。

新幹線を使って往復しますので、
料金はそれなりに高めになります。

ご希望があれば、夫婦・兄弟姉妹・親子・友人関係などで
一部屋おとりすることができますが、
別料金が発生すると思います。

お檀家さんでなくても、参加できます!

奮ってご参加下さい。






キチンとしたご案内をお送りするのは
まだずっと先ですが、どうぞお楽しみに。