おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

サラの鍵

2022-07-31 08:16:13 | 映画
「サラの鍵」 2010年 フランス


監督 ジル・パケ=ブランネール    
出演 クリスティン・スコット・トーマス
   メリュジーヌ・マヤンス
   ニエル・アレストリュプ
   エイダン・クイン フレデリック・ピエロ
   ミシェル・デュショーソワ
   ドミニク・フロ

ストーリー
夫と娘とパリで暮らすアメリカ人女性記者ジュリアは、45歳で待望の妊娠をはたす。
が、報告した夫から返って来たのは、思いもよらぬ反対だった。
そんな人生の岐路に立った彼女は、ある取材で衝撃的な事実に出会う。
夫の祖父母から譲り受けて住んでいるアパートは、かつて1942年のパリのユダヤ人迫害事件でアウシュビッツに送られたユダヤ人家族が住んでいたというのだ。
さらに、その一家の長女で10歳の少女サラが収容所から逃亡したことを知る。
一斉検挙の朝、サラは弟を納戸に隠して鍵をかけた。
すぐに戻れると思っていたサラだったが、他の多数のユダヤ人たちと共にすし詰めの競輪場に隔離された末、収容所へと送られてしまう。
弟のことが心配でならないサラは、ついに収容所からの脱走を決意するが…。
果たして、サラは弟を助けることができたのか?
2人は今も生きているのか?
事件を紐解き、サラの足跡を辿る中、次々と明かされてゆく秘密。
そこに隠された事実がジュリアを揺さぶり、人生さえも変えていく。
すべてが明かされた時、サラの痛切な悲しみを全身で受け止めた彼女が見出した一筋の光とは…?


寸評
劇中で若い編集者がヴェルディブ事件を知らないのかと言われる場面が有るが、僕自身もパリ警察による大規模なユダヤ人狩りといわれるこの事件を知らなかったばかりか、1995年にフランスのシラク大統領がその事実を認め謝罪する演説を行ったことも知らなかった。
ドイツ占領下とはいえフランスもナチスのユダヤ人迫害に手を貸していた事実を知ったのだが、この映画はホロコーストをメインテーマとしているわけではない。
時代や環境といった大きな要因の中では小さな人間はそれに抗することは容易いことではないが、それでも人として存在していかねばならない苦悩と希望をこの映画は描いている。
サラは自責の念を負って生きているが、弟への対応を両親から責められたこともそれを増幅させていると思う。
愛に満ちた家族で有った筈なのに、極限時において発せられる言葉に観客である僕は慄いた。

冒頭の子供たちがじゃれあうシーンで猫が登場するが、この猫の取り扱いが巧い。
大した小道具ではないが、猫の動きが平和な時間からこれから起こる事態を暗示する役目を表していた。
僕はこの様なさりげないシーンにセンスを感じる。
それに続くヴェルディブ(競輪場)の映像は、脱出する女性も含めて観客に迫ってきた。
その後展開される過去と現在を頻繁にカットバックで行き来する手法は、特に外国映画においては頭の回転が鈍ってきた僕は苦手としているのだが、この作品では画面のタッチの違いでも判断できるような演出がされていて、実にスムーズな切り替えで息をつかせない。
このために余計な神経を使うことなく作品に没頭することが出来て、2時間程があっという間に過ぎ去った。

あの時代にそこにいれば何をしたと聞かれ、何もしないで湾岸戦争と同じように出来事をテレビで見ていたと答える場面があるが、時代の流れの中に身を置いた時の無力感を言いえていた。
ナチスに加担せざるを得なかったフランスもドイツに占領された流れの中で無謀な行為に突き進んでしまったのだろう。
いい人が周りに結構いても、世の中の雰囲気や時代の流れにのみ込まれて悲劇が引き起こされる恐ろしさを感じた。
それでも、脱出を助ける兵士や、サラを育てる老夫婦、亡くなった義父が秘かに行っていた行為など、救われるエピソードがちりばめていて、人間の弱さと共に、失うことのない人間らしさもあって救われる気分にさせてくれた。
そしてラストでは未来への希望を与えてくれる。
この組み立てが見終わった後の感動と感激をもたらしていたと思う。
ラストシーンではいきなりサラの名前を告げずにワンクッション置いているところが良い。
予想される事柄だけに、この演出の工夫が最後の最後に感動を増幅させていたと思う。

サラ役のメリュジーヌ・マヤンスちゃんがこの作品の成功に一役買っているのは言うまでもないが、その演技は芦田愛菜ちゃん以上で、一役どころか、二役も三役も買っていた。


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