「無法松の一生」 1958年 日本
監督 稲垣浩
出演 三船敏郎 高峰秀子 芥川比呂志
飯田蝶子 笠智衆 田中春男
多々良純 中村伸郎 宮口精二
ストーリー
明治三十年の初秋、九州小倉の古船場に博奕で故郷を追われていた人力車夫の富島松五郎(三船敏郎 )が、昔ながらの“無法松”で舞戻ってきた。
芝居小屋の木戸を突かれた腹いせに、同僚の熊吉(田中春男)とマス席でニンニクを炊いたりする暴れん坊も、仲裁の結城親分(笠智衆)にはさっぱりわびるという、竹を割ったような意気と侠気をもっていた。
日露戦争の勝利に沸きかえっている頃、松五郎は木から落ちて足を痛めた少年(松本薫)を救った。
それが縁で、少年の父吉岡大尉(芥川比呂志)の家に出入りするようになった。
酔えば美声で追分を唄う松五郎も、良子夫人(高峰秀子)の前では赤くなって声も出なかった。
大尉は雨天の演習での風邪が原因で急死し、残る母子は何かと松五郎を頼りにしていた。
松五郎は引込み勝ちな敏雄と一緒に運動会に出たり、鯉のぼりをあげたりして、なにかと彼を励げました。
世の中が明治から大正に変って、敏雄は小倉中学の四年になった。
すっかり成長した敏雄(笠原健司)は、他校の生徒と喧嘩をして母をハラハラさせたが松五郎を喜ばせた。
高校に入るため敏雄は小倉を去った。
松五郎はめっきり年をとり酒に親しむようになって、酔眼にうつる影は良子夫人の面影であった。
大正六年の祇園祭の日、敏雄は夏休みを利用して、本場の祇園太鼓をききたいという先生(土屋嘉男)を連れて小倉に帰って来た。
松五郎は自からバチを取ったが、彼の老いたる血はバチと共に躍った。
離れ行く敏雄への愛着、良子夫人への思慕、複雑な想いをこめて打つ太鼓の音は、聞く人々の心をうった。
数日後、松五郎は飄然と吉岡家を訪れ、物言わぬ松五郎のまなこには涙があふれていた。
寸評
富島松五郎は淋しい男である。
すさんだ生い立ちから暴れん坊になったが、吉岡一家の面倒を見るようになってから、人のために尽くす喜びを知り、人生の淋しさから解放される。
それは芝居小屋で人の迷惑を顧みずに暴れていた頃の松五郎とは別人のようである。
彼は我が子の様に可愛がっていた敏雄が離れていったことで、味わったことのないような淋しさを感じる。
それは実の母親である吉岡夫人が感じるものに近いものなのだが、やがてその淋しさを紛らわしていたのが吉岡夫人への秘めたる愛だったと気付く。
彼は自分を贔屓にしてくれた大尉に詫び、夫人には「俺の心は汚い」と言って去っていく。
松五郎は吉岡夫人に指一本触れていない。
そのプラトニックな愛は、清酒「富久娘」のポスターに面影を見ることで満たされている。
口に出せない愛がひしひしと伝わってくる。
松五郎の思いと、時の流れを乗せて人力車の車輪が舞う。
何度も登場するオーバーラップした車輪のシルエットは美しい。
この作品のムードを盛り上げることに十分すぎるぐらいの効果をもたらしていた。
敏雄の先生のために、いや敏雄が先生への顔を立つように、松五郎は祇園太鼓のバチをとる。
この映画一番の見どころである。
三船敏郎のバチさばきも素晴らしいものがあり、役者の精進の凄さを感じさせる。
松五郎は雪の中で過去の幻影を見ながら死んでいくが、降り注ぐ雪、敏雄の喧嘩場面、美しかった花々などが特殊処理されて画面を覆いつくす。
これまた美しいシーンだ。
そのなかで吉岡夫人の高峰秀子だけはしっかりと画面いっぱいに映し出される。
その情感の素晴らしさこそが日本映画だ。
松五郎が死んで結城親分が松五郎の荷物を整理している。
すると、松五郎が吉岡家から頂いた祝儀袋を大事にしまい込んでいることが判明する。
好いた女性にかかわりのあるものであれば、どんなものでも大事にしまい込んでおく恋心は僕にも思い当たるふしがあるもので涙を誘う。
吉岡夫人は松五郎の遺品と預金通帳を見て、初めて松五郎の気持ちを知り泣き崩れる。
もしかすると、吉岡夫人は松五郎が別れを言って泣きながら去っていったときに感じていたかもしれない。
松五郎の存命中に、彼の気持ちを知ったところで吉岡夫人は応えることはなかっただろう。
その気持ちもあっての最後の号泣だったと思う。
前半部分は人力車夫の富島松五郎と客との滑稽な様子が描かれたりして軽い感じの描き方だが、松五郎が祇園太鼓を叩く場面ぐらいから、内容的にも映像的にも輝きを増していく。
ラストに向かって一気に駆け上っていく脚本と演出が素晴らしい作品である。
ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞したのもうなづける日本映画らしい作品だ。
監督 稲垣浩
出演 三船敏郎 高峰秀子 芥川比呂志
飯田蝶子 笠智衆 田中春男
多々良純 中村伸郎 宮口精二
ストーリー
明治三十年の初秋、九州小倉の古船場に博奕で故郷を追われていた人力車夫の富島松五郎(三船敏郎 )が、昔ながらの“無法松”で舞戻ってきた。
芝居小屋の木戸を突かれた腹いせに、同僚の熊吉(田中春男)とマス席でニンニクを炊いたりする暴れん坊も、仲裁の結城親分(笠智衆)にはさっぱりわびるという、竹を割ったような意気と侠気をもっていた。
日露戦争の勝利に沸きかえっている頃、松五郎は木から落ちて足を痛めた少年(松本薫)を救った。
それが縁で、少年の父吉岡大尉(芥川比呂志)の家に出入りするようになった。
酔えば美声で追分を唄う松五郎も、良子夫人(高峰秀子)の前では赤くなって声も出なかった。
大尉は雨天の演習での風邪が原因で急死し、残る母子は何かと松五郎を頼りにしていた。
松五郎は引込み勝ちな敏雄と一緒に運動会に出たり、鯉のぼりをあげたりして、なにかと彼を励げました。
世の中が明治から大正に変って、敏雄は小倉中学の四年になった。
すっかり成長した敏雄(笠原健司)は、他校の生徒と喧嘩をして母をハラハラさせたが松五郎を喜ばせた。
高校に入るため敏雄は小倉を去った。
松五郎はめっきり年をとり酒に親しむようになって、酔眼にうつる影は良子夫人の面影であった。
大正六年の祇園祭の日、敏雄は夏休みを利用して、本場の祇園太鼓をききたいという先生(土屋嘉男)を連れて小倉に帰って来た。
松五郎は自からバチを取ったが、彼の老いたる血はバチと共に躍った。
離れ行く敏雄への愛着、良子夫人への思慕、複雑な想いをこめて打つ太鼓の音は、聞く人々の心をうった。
数日後、松五郎は飄然と吉岡家を訪れ、物言わぬ松五郎のまなこには涙があふれていた。
寸評
富島松五郎は淋しい男である。
すさんだ生い立ちから暴れん坊になったが、吉岡一家の面倒を見るようになってから、人のために尽くす喜びを知り、人生の淋しさから解放される。
それは芝居小屋で人の迷惑を顧みずに暴れていた頃の松五郎とは別人のようである。
彼は我が子の様に可愛がっていた敏雄が離れていったことで、味わったことのないような淋しさを感じる。
それは実の母親である吉岡夫人が感じるものに近いものなのだが、やがてその淋しさを紛らわしていたのが吉岡夫人への秘めたる愛だったと気付く。
彼は自分を贔屓にしてくれた大尉に詫び、夫人には「俺の心は汚い」と言って去っていく。
松五郎は吉岡夫人に指一本触れていない。
そのプラトニックな愛は、清酒「富久娘」のポスターに面影を見ることで満たされている。
口に出せない愛がひしひしと伝わってくる。
松五郎の思いと、時の流れを乗せて人力車の車輪が舞う。
何度も登場するオーバーラップした車輪のシルエットは美しい。
この作品のムードを盛り上げることに十分すぎるぐらいの効果をもたらしていた。
敏雄の先生のために、いや敏雄が先生への顔を立つように、松五郎は祇園太鼓のバチをとる。
この映画一番の見どころである。
三船敏郎のバチさばきも素晴らしいものがあり、役者の精進の凄さを感じさせる。
松五郎は雪の中で過去の幻影を見ながら死んでいくが、降り注ぐ雪、敏雄の喧嘩場面、美しかった花々などが特殊処理されて画面を覆いつくす。
これまた美しいシーンだ。
そのなかで吉岡夫人の高峰秀子だけはしっかりと画面いっぱいに映し出される。
その情感の素晴らしさこそが日本映画だ。
松五郎が死んで結城親分が松五郎の荷物を整理している。
すると、松五郎が吉岡家から頂いた祝儀袋を大事にしまい込んでいることが判明する。
好いた女性にかかわりのあるものであれば、どんなものでも大事にしまい込んでおく恋心は僕にも思い当たるふしがあるもので涙を誘う。
吉岡夫人は松五郎の遺品と預金通帳を見て、初めて松五郎の気持ちを知り泣き崩れる。
もしかすると、吉岡夫人は松五郎が別れを言って泣きながら去っていったときに感じていたかもしれない。
松五郎の存命中に、彼の気持ちを知ったところで吉岡夫人は応えることはなかっただろう。
その気持ちもあっての最後の号泣だったと思う。
前半部分は人力車夫の富島松五郎と客との滑稽な様子が描かれたりして軽い感じの描き方だが、松五郎が祇園太鼓を叩く場面ぐらいから、内容的にも映像的にも輝きを増していく。
ラストに向かって一気に駆け上っていく脚本と演出が素晴らしい作品である。
ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞したのもうなづける日本映画らしい作品だ。
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