「雁」 1953年 日本
監督 豊田四郎
出演 高峰秀子 芥川比呂志 宇野重吉 東野英治郎 浦辺粂子
飯田蝶子 小田切みき 田中栄三 三宅邦子 姫路リエ子
宮田悦子 山田禅二 町田博子
ストーリー
下谷練塀町の裏長屋に住む善吉(田中栄三)、お玉(高峰秀子)の親娘は、子供相手の飴細工を売って、わびしく暮らしていた。
お玉は妻子ある男とも知らず一緒になり、騙された過去があった。
今度は呉服商だという末造(東野英治郎)の世話を受ける事になったが、それは嘘で末造は大学の小使いから成り上った高利貸しで世話女房もいる男だった。
お玉は大学裏の無縁坂の小さな妾宅に囲われた。
末造に欺かれたことを知って口惜しく思ったが、ようやく平穏な日々にありついた父親の姿をみると、せっかくの決心もくずれた。
その頃、毎日無緑坂を散歩する医科大学生達がいた。
偶然その中の一人岡田(芥川比呂志)を知ったお玉は、いつか激しい思慕の情をつのらせていった。
末造が留守をした冬の或る日、お玉は今日こそ岡田に言葉をかけようと決心をしたが、岡田は試験にパスしてドイツへ留学する事になり、丁度その日送別会が催される事になっていた。
お玉は岡田の友人木村(宇野重吉)に知らされて駈けつけたが、岡田に会う事が出来なかった。
それとなく感づいた末造はお玉に厭味を浴びせた。
お玉は黙って家を出た。
不忍の池の畔でもの思いにたたずむお玉の傍を馬車の音が近づいてきて、その中で楽しそうに談笑する岡田の顔が一瞬見えたかと思うと風のよう通り過ぎて行った。
夜空には雁の連なりが遠くかすかになってゆく。
寸評
貧困にあえいでいる親子の娘が、おさんという婆さんの手引きで金回りの良い男と結婚させられる。
男は呉服商となっているが実際は嫌われ者の高利貸しであり、妻がいないと言い含められているが実は妻帯者であり、男はいきなり家に迎え入れるわけにはいかないからと別宅に住まわせ、父親にも家を世話してやる。
娘は気が付いていないが世間で言うところのお妾さんである。
未造と言う男とお玉という女の生活が、関係を知らない本妻のお常をはさんで描かれていく。
苦労して蓄えた金を元手に高利貸しとして成功している未造だが、お玉に対しては気前が良い。
お玉がねだれば何でも買ってくれていそうだし、父親にも小遣い銭を与えているようだ。
しかし金融業と言えば聞こえはいいが、高利貸しとなれば世間の目は冷たいし、お妾さんと言う立場にも世間の目は冷たい。
高利貸しのお妾さんと知れば、魚屋も魚を売ってくれない。
やがてお玉は未造の実像を知ることになる。
お玉の周りで修羅場とも言えるもめ事が起きても良さそうだが、内容の割にはドロドロとした人間関係に深く切り込んでいくような所がない。
未造の妻が浦辺粂子なのだが、これが少々だらしなくて未造でなくても高峰秀子のお玉に気が行くのも無理からぬことと思わせる。
とは言え、お常は妻なのだからお妾さんの存在は許せない。
取っ組み合いが始まっても良さそうなものだが、お常が遠くからお玉を睨み付けるだけで修羅場にはならない。
お常と未造の険悪ムードも離婚騒動には至っていない。
未造の高利貸しとしての悪どさが築地容子のお竹を通じて描かれるが、借金の肩代わりとして取られた反物をお玉が仕立てて着こんでいた事にお竹が噛みつくぐらいで、余り悪どい高利貸しとして描かれていないように思う。
お竹はその後に落ちぶれたようだが、その様子が描かれていないので未造の嫌われ振りが弱められている。
未造は高利貸しという商売から受けるイメージとは違って、お妾さんを持ちながらも根は弱い所がある人間なのかもしれない。
結局描かれていたのは金に縛られた人間のそれぞれの生き方だったように思える。
お常は離婚すれば帰る家もなく行き場がないとして未造と欺瞞に満ちた夫婦生活を続けるのだろう。
未造は世間から嫌われようが高利貸しを続けていくしかない。
お玉の父親は以前の貧しい生活に戻る事ができず、施しを受ける現状の生活に満足感が出てきてしまっている。
しおらしかったお玉はしたたかな面も出てきているが、父親のことも有りお妾さんという金に縛られた生活を続けていくのだろう。
彼女にとって岡田は一服の清涼剤を与えてくれた男性だったのだろうが、その彼は渡り鳥が飛び立つようにお玉の前からヨーロッパへと飛び立っていてしまう。
僕はお玉と岡田の結ばれぬ恋がメインかと思っていたのだがそうではなかった。
帰りにお玉は魚屋で鯛を買うが、あの祝い鯛はお玉にとって未造に対する精一杯の抵抗だったのだろう。
どこかに救いがあっても良さそうだが、そんなものが見当たらない淋しい作品だ。
三つのスタジオをぶち抜いて坂を作ったと木村さんが本に書いています。
高峰秀子が最高ですね。
ラストは原作と少し違っています。
この高峰が自立しようとして、だめになるのは、直前の東宝のストライキのことではないかと思っています。豊田四郎も、組合側だったのです。黒澤も、そうでした。
セットと分かっていてもその技に感心したものです。