「突入せよ!「あさま山荘」事件」 2002年 日本
監督 原田眞人
出演 役所広司 宇崎竜童 伊武雅刀 串田和美
山路和弘 矢島健一 豊原功補 遊人
遠藤憲一 松岡俊介 池内万作 田中哲司
椎名桔平 天海祐希 藤田まこと
ストーリー
1972年2月19日、長野県南軽井沢のあさま山荘に、連合赤軍のメンバー5人が管理人の妻を人質に取り、立てこもった。
警察庁長官・後藤田の特命により丸山参事官の補佐として現地へ向かった警備局付警務局監察官・佐々淳行は、ヘラクレスの選択=敢えて困難な道を歩かされる自分の運命を呪いながらも陣頭指揮にあたることになる。
ところが、現場は弁当も凍る寒さ。
しかも、メンツに固執する警視庁と長野県警の対立や、先の見えない戦況に業を煮やすマスコミ、全国から押し寄せる野次馬、現場を信頼しない警察庁上層部とトラブル山積。
当初、2、3日で解決すると思われた事件は、人質の安否も分からぬまま一週間を超えてしまう。
そんな中、遂に佐々は強行突入を決意。
そして事件発生から10日後の2月28日、作戦は実行され、犯人全員を逮捕、人質も無事救出し、負傷者24名、殉職者2名、民間犠牲者1名を出したあさま山荘事件は終幕した。
寸評
あさま山荘事件での鉄球による山荘破壊と放水の映像は、僕たちの世代の鮮明な記憶を呼び起こす。テレビ中継をずっとやっていて、朝出かけて夕刻に帰ってきてもまだやっていた。
最初にフィクションだとテロップを入れる理由は、長野県警職員の描写に対する配慮なのだろう。後藤田正晴氏や佐々淳行氏などが実名で登場しているが、長野県警の登場人物は多分仮名だろう。犯人や人質の奥さんの名前が変更されているが、一味の一人の父親が自殺したことも、人質の名前も脳裏に刻まれている。
とんでもない事件を警察側から描いているが、組織の縄張り争いと警察の無能ぶりがブラックユーモア的に描かれた極めてエンタメ性に富んだ作品だ。
長野県警の縄張り意識は中央に対するコンプレックスの裏返しなのだろうが、その無能ぶりは現職の県警が見たら泣きたくなるのではないか。長野のことは長野で解決するという組織のあり方と手順を重んじる様子がおかしい。おかしいのは疑問という意味でもあり、滑稽という意味でもある。
事件が発生しわざわざ東京から警視庁が乗り込んでくる。長野県警が険悪な雰囲気になり、おまけに東京組は肩書きばかりで誰が偉いんだか分からない。国松課長をもってきた局長が「おい、国松」と呼び捨てにしているので、あわてて席を替える始末。この席替えは佐々の部下である宇田川が来た時も、本部長の隣に席が設けられていたので、佐々が「おいウダコウ」とやって席を替えさせていた。席順はどこの世界でも重要だ。
打ち合わせしようとすると、その会話をわざとさえぎり警視庁が迷惑であるかのようにまくし立てる長野県警。クレーン車の運転をする民間人にどちらの制服を着せるかでも大喧嘩を始める始末だ。対立は警視庁対長野県警だけにとどまらない。殲滅作戦として催涙ガスであるか放水でやるか、部門間の争いも加わる。
おまけにドジな行動は、信号弾の不着火で一発のところを二発上げてしまい混乱をきたしたり、写真を撮影したらすべてピンボケだったり、あらゆる行動がノンビリしてたりと枚挙にいとまがないほどである。
長野県警はここまでオバカだったのかと腹立たしくなってしかるべきなのに、これは喜劇か?と笑ってしまう。
緊迫した状況の中なのに、なんだかのんびりとした面白さがあるのだ。作りごとのドンパチではなくて、実際もこんなだったのじゃないかと思わせるブラックユーモアだ。
事件も進展がなく膠着状態になってきた時、朝起きて宇田川がドライヤーで髪の毛を整えていたら、やってきた石川がオナラをする。それを宇田川がドライヤーをあてて吹き飛ばすことで中だるみしてきた様子を表していたが大笑いだ。妻と行くつもりだったコンサートを思い出したのか佐々が指揮しまくって暴れ狂ったりしているが、あさま山荘事件をこんなに茶化していいのかな。
佐々が腹心の部下である宇田川主席管理官と後田巡査を呼び寄せるが、映画を見に行っていた後田は映画の上映が始まるところで慌てて飛び出していく。劇場の客席には本物の佐々氏、宇田川氏、後田氏がいる。お遊びと言うべきか、ナイスな演出と言うべきか?上映作品は「フレンチコネクション」でポパイ刑事ならここから超人的な解決を行うと言っていたのか?
作戦決行からは迫力のある場面が続く。派手な演出ではなくドラマ仕立てでありながらリアル感のある場面が続く。突入した部隊だけでなく、表を固める者、連絡する者、待機している者、すべての描写が同時進行で描かれるがカットバックを多用した演出を非除している。急展開ながらもしっかり描かれているので、むしろ実際の緊迫感が伝わってきた。手間取る現場に後藤田長官の電話越しのカミナリが落ちるが、その部屋には「鬼手仏心」という書が掛かっている。長官の言い方がきつくなると「鬼」の文字がフレームインし、いたわるようなことを言うと「仏」という文字が入る。茶化している分、細やかな演出が目立つ作品だ。
監督 原田眞人
出演 役所広司 宇崎竜童 伊武雅刀 串田和美
山路和弘 矢島健一 豊原功補 遊人
遠藤憲一 松岡俊介 池内万作 田中哲司
椎名桔平 天海祐希 藤田まこと
ストーリー
1972年2月19日、長野県南軽井沢のあさま山荘に、連合赤軍のメンバー5人が管理人の妻を人質に取り、立てこもった。
警察庁長官・後藤田の特命により丸山参事官の補佐として現地へ向かった警備局付警務局監察官・佐々淳行は、ヘラクレスの選択=敢えて困難な道を歩かされる自分の運命を呪いながらも陣頭指揮にあたることになる。
ところが、現場は弁当も凍る寒さ。
しかも、メンツに固執する警視庁と長野県警の対立や、先の見えない戦況に業を煮やすマスコミ、全国から押し寄せる野次馬、現場を信頼しない警察庁上層部とトラブル山積。
当初、2、3日で解決すると思われた事件は、人質の安否も分からぬまま一週間を超えてしまう。
そんな中、遂に佐々は強行突入を決意。
そして事件発生から10日後の2月28日、作戦は実行され、犯人全員を逮捕、人質も無事救出し、負傷者24名、殉職者2名、民間犠牲者1名を出したあさま山荘事件は終幕した。
寸評
あさま山荘事件での鉄球による山荘破壊と放水の映像は、僕たちの世代の鮮明な記憶を呼び起こす。テレビ中継をずっとやっていて、朝出かけて夕刻に帰ってきてもまだやっていた。
最初にフィクションだとテロップを入れる理由は、長野県警職員の描写に対する配慮なのだろう。後藤田正晴氏や佐々淳行氏などが実名で登場しているが、長野県警の登場人物は多分仮名だろう。犯人や人質の奥さんの名前が変更されているが、一味の一人の父親が自殺したことも、人質の名前も脳裏に刻まれている。
とんでもない事件を警察側から描いているが、組織の縄張り争いと警察の無能ぶりがブラックユーモア的に描かれた極めてエンタメ性に富んだ作品だ。
長野県警の縄張り意識は中央に対するコンプレックスの裏返しなのだろうが、その無能ぶりは現職の県警が見たら泣きたくなるのではないか。長野のことは長野で解決するという組織のあり方と手順を重んじる様子がおかしい。おかしいのは疑問という意味でもあり、滑稽という意味でもある。
事件が発生しわざわざ東京から警視庁が乗り込んでくる。長野県警が険悪な雰囲気になり、おまけに東京組は肩書きばかりで誰が偉いんだか分からない。国松課長をもってきた局長が「おい、国松」と呼び捨てにしているので、あわてて席を替える始末。この席替えは佐々の部下である宇田川が来た時も、本部長の隣に席が設けられていたので、佐々が「おいウダコウ」とやって席を替えさせていた。席順はどこの世界でも重要だ。
打ち合わせしようとすると、その会話をわざとさえぎり警視庁が迷惑であるかのようにまくし立てる長野県警。クレーン車の運転をする民間人にどちらの制服を着せるかでも大喧嘩を始める始末だ。対立は警視庁対長野県警だけにとどまらない。殲滅作戦として催涙ガスであるか放水でやるか、部門間の争いも加わる。
おまけにドジな行動は、信号弾の不着火で一発のところを二発上げてしまい混乱をきたしたり、写真を撮影したらすべてピンボケだったり、あらゆる行動がノンビリしてたりと枚挙にいとまがないほどである。
長野県警はここまでオバカだったのかと腹立たしくなってしかるべきなのに、これは喜劇か?と笑ってしまう。
緊迫した状況の中なのに、なんだかのんびりとした面白さがあるのだ。作りごとのドンパチではなくて、実際もこんなだったのじゃないかと思わせるブラックユーモアだ。
事件も進展がなく膠着状態になってきた時、朝起きて宇田川がドライヤーで髪の毛を整えていたら、やってきた石川がオナラをする。それを宇田川がドライヤーをあてて吹き飛ばすことで中だるみしてきた様子を表していたが大笑いだ。妻と行くつもりだったコンサートを思い出したのか佐々が指揮しまくって暴れ狂ったりしているが、あさま山荘事件をこんなに茶化していいのかな。
佐々が腹心の部下である宇田川主席管理官と後田巡査を呼び寄せるが、映画を見に行っていた後田は映画の上映が始まるところで慌てて飛び出していく。劇場の客席には本物の佐々氏、宇田川氏、後田氏がいる。お遊びと言うべきか、ナイスな演出と言うべきか?上映作品は「フレンチコネクション」でポパイ刑事ならここから超人的な解決を行うと言っていたのか?
作戦決行からは迫力のある場面が続く。派手な演出ではなくドラマ仕立てでありながらリアル感のある場面が続く。突入した部隊だけでなく、表を固める者、連絡する者、待機している者、すべての描写が同時進行で描かれるがカットバックを多用した演出を非除している。急展開ながらもしっかり描かれているので、むしろ実際の緊迫感が伝わってきた。手間取る現場に後藤田長官の電話越しのカミナリが落ちるが、その部屋には「鬼手仏心」という書が掛かっている。長官の言い方がきつくなると「鬼」の文字がフレームインし、いたわるようなことを言うと「仏」という文字が入る。茶化している分、細やかな演出が目立つ作品だ。
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