「バック・トゥ・ザ・フューチャー」 1985年 アメリカ
監督 ロバート・ゼメキス
出演 マイケル・J・フォックス
クリストファー・ロイド
リー・トンプソン
クリスピン・グローヴァー
ウェンディ・ジョー・スパーバー
マーク・マクルーア
クローディア・ウェルズ
トーマス・F・ウィルソン
フランシス・リー・マッケイン
ストーリー
1985年10月25日、音楽好きの高校生マーティは、知り合いの一風変った科学者ブラウン博士より、夜中の1時すぎに研究室前の広場にくるようにいわれた。
ガールフレンドのジェニファーとデートの約束もすませたマーティが夜中に広場にいくと、そこには改造車デロリアンがある。
実はこれはタイムマシンで、その実験をしようとする時、燃料に使うため博士が盗んだプルトニウムを狙うリビアの過激派が襲ってきた。
銃弾をあび倒れる博士を後に、マーティはデロリアンで逃げ、時速140キロをこえたため、タイムスリップしてしまい、ついた所は彼のパパのジョージとママのロレーンがまだ知り合う前の1955年。
マーティは未来にかえろうとしたが、デロリアンの燃料がない。
彼は若き博士をたずね、次の土曜の夜に街の大広場にある時計台に落雷があったことを思い出し、それを博士はデロリアンのエネルギーにしようと準備を始めた。
一方、マーティはその間に昔のママとパパに出会う。
ところが、そのママがマーティに一目ぼれしてしまった。
ママがパパを好きにならないと、マーティはこの世に存在しなくなってしまう。
一方、パパをいつもいじめているビフはママにモーションをかけるばかり。
マーティはママとパパが結ばれるきっかけとなったダンス・パーティで、パパがビフをやっつけたのを契機にやっと2人のきっかけをつくり上げた。
夜、暗雲がたちこめ、雷が鳴り、マーティはデロリアンに乗り込む。
博士に、30年後の死のことを手紙にたくして、彼は間一髪でタイムスリップに成功したところ・・・。
寸評
映画の世界においてタイムスリップする話は非常に多い。
映画がそれを可能にするツールだからである。
日本映画でも自衛隊が戦国時代にタイムスリップする「戦国自衛隊」などあるし、あの「ターミネーター」だってその要素を含んでいる。
また過去の自分に会ったり、未来の自分に出会ったりするのもこの手の作品によくある出来事である。
歴史を変えてはいけないとか、歴史を変えようとしたりと、その描き方も多種多彩なのがタイムスリップ物の特徴でもあるように思う。
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は青春映画のようなSFだが、僕は喜劇映画としての側面も持ち合わせた作品だと思っている。
喜劇映画としての存在は、出来事や会話から感じる以外にドクを演じたクリストファー・ロイドのキャラクターによってもたらされているように思う。
マイケル・J・フォックスがマーティを小気味よく演じているが、クリストファー・ロイドのオーバーアクションはこの作品の雰囲気を生み出している。
オープニングはドクことブラウン博士の研究室が映し出されるのだが、そこにおかれた発明品はくだらないものばかりで、ドクがどのような科学者なのかを暗に示している。
そしてマーティが登場してくるが、ドクとは親しい間柄であることが鍵の取り扱いで感じ取れる。
強烈なキャラのドクは登場していないが、このオープニングでマーティとドクの関係、またドクというキャラクターに対するイメージが観客に植え付けられる。
実に巧みなオープニングとなっている。
そしてマーティはスケートボードを巧みに扱い、悪ガキっぽい雰囲気を保ちながらもカッコいい主人公として存在していて、彼の繰り出すギャグともいえる話が笑わせる。
映画俳優のドナルド・レーガンが大統領になるというエピソードの一件、ダンスパーティでマーティがチャック・ベリーのJohnny B. Goode を演奏するシーンなどだ。
ステージバンドの負傷したギタリストの代わりにギターを演奏することになったマーティの熱演ぶりに加え、その演奏を見たギタリストだった従弟がチャック・ベリーへ新しいサウンドだと電話するというタイムパラドクスも付け加えられていて脚本は練られている。
メインは若い頃の両親に出会い、母親から惚れられた息子が何とか父親と一緒にさせようとする話である。
マーティに一目ぼれした母親になるべきロレインが積極的になり、マーティにキスしたところ、「何だか変、弟とキスしているみたい」と言うところなども洒落ている。
ドタバタ喜劇的過ぎたり、子供だまし的なところもあるが痛快な娯楽作としての地位はゆるぎない作品である。
マイケル・J・フォックスにはこの「バック・トゥ・ザ・フューチャー」しかないと言ってもいいと思うのだが、パーキンソン病になって療養生活に入ってしまったのは残念だ。
シリーズ化を最初から考えていたのか、次回作を予告して終わっている。
今回は過去から現在へ戻ったが、次回は現在から未来へ向かうようである。
監督 ロバート・ゼメキス
出演 マイケル・J・フォックス
クリストファー・ロイド
リー・トンプソン
クリスピン・グローヴァー
ウェンディ・ジョー・スパーバー
マーク・マクルーア
クローディア・ウェルズ
トーマス・F・ウィルソン
フランシス・リー・マッケイン
ストーリー
1985年10月25日、音楽好きの高校生マーティは、知り合いの一風変った科学者ブラウン博士より、夜中の1時すぎに研究室前の広場にくるようにいわれた。
ガールフレンドのジェニファーとデートの約束もすませたマーティが夜中に広場にいくと、そこには改造車デロリアンがある。
実はこれはタイムマシンで、その実験をしようとする時、燃料に使うため博士が盗んだプルトニウムを狙うリビアの過激派が襲ってきた。
銃弾をあび倒れる博士を後に、マーティはデロリアンで逃げ、時速140キロをこえたため、タイムスリップしてしまい、ついた所は彼のパパのジョージとママのロレーンがまだ知り合う前の1955年。
マーティは未来にかえろうとしたが、デロリアンの燃料がない。
彼は若き博士をたずね、次の土曜の夜に街の大広場にある時計台に落雷があったことを思い出し、それを博士はデロリアンのエネルギーにしようと準備を始めた。
一方、マーティはその間に昔のママとパパに出会う。
ところが、そのママがマーティに一目ぼれしてしまった。
ママがパパを好きにならないと、マーティはこの世に存在しなくなってしまう。
一方、パパをいつもいじめているビフはママにモーションをかけるばかり。
マーティはママとパパが結ばれるきっかけとなったダンス・パーティで、パパがビフをやっつけたのを契機にやっと2人のきっかけをつくり上げた。
夜、暗雲がたちこめ、雷が鳴り、マーティはデロリアンに乗り込む。
博士に、30年後の死のことを手紙にたくして、彼は間一髪でタイムスリップに成功したところ・・・。
寸評
映画の世界においてタイムスリップする話は非常に多い。
映画がそれを可能にするツールだからである。
日本映画でも自衛隊が戦国時代にタイムスリップする「戦国自衛隊」などあるし、あの「ターミネーター」だってその要素を含んでいる。
また過去の自分に会ったり、未来の自分に出会ったりするのもこの手の作品によくある出来事である。
歴史を変えてはいけないとか、歴史を変えようとしたりと、その描き方も多種多彩なのがタイムスリップ物の特徴でもあるように思う。
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は青春映画のようなSFだが、僕は喜劇映画としての側面も持ち合わせた作品だと思っている。
喜劇映画としての存在は、出来事や会話から感じる以外にドクを演じたクリストファー・ロイドのキャラクターによってもたらされているように思う。
マイケル・J・フォックスがマーティを小気味よく演じているが、クリストファー・ロイドのオーバーアクションはこの作品の雰囲気を生み出している。
オープニングはドクことブラウン博士の研究室が映し出されるのだが、そこにおかれた発明品はくだらないものばかりで、ドクがどのような科学者なのかを暗に示している。
そしてマーティが登場してくるが、ドクとは親しい間柄であることが鍵の取り扱いで感じ取れる。
強烈なキャラのドクは登場していないが、このオープニングでマーティとドクの関係、またドクというキャラクターに対するイメージが観客に植え付けられる。
実に巧みなオープニングとなっている。
そしてマーティはスケートボードを巧みに扱い、悪ガキっぽい雰囲気を保ちながらもカッコいい主人公として存在していて、彼の繰り出すギャグともいえる話が笑わせる。
映画俳優のドナルド・レーガンが大統領になるというエピソードの一件、ダンスパーティでマーティがチャック・ベリーのJohnny B. Goode を演奏するシーンなどだ。
ステージバンドの負傷したギタリストの代わりにギターを演奏することになったマーティの熱演ぶりに加え、その演奏を見たギタリストだった従弟がチャック・ベリーへ新しいサウンドだと電話するというタイムパラドクスも付け加えられていて脚本は練られている。
メインは若い頃の両親に出会い、母親から惚れられた息子が何とか父親と一緒にさせようとする話である。
マーティに一目ぼれした母親になるべきロレインが積極的になり、マーティにキスしたところ、「何だか変、弟とキスしているみたい」と言うところなども洒落ている。
ドタバタ喜劇的過ぎたり、子供だまし的なところもあるが痛快な娯楽作としての地位はゆるぎない作品である。
マイケル・J・フォックスにはこの「バック・トゥ・ザ・フューチャー」しかないと言ってもいいと思うのだが、パーキンソン病になって療養生活に入ってしまったのは残念だ。
シリーズ化を最初から考えていたのか、次回作を予告して終わっている。
今回は過去から現在へ戻ったが、次回は現在から未来へ向かうようである。
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