「百円の恋」 2014年 日本
監督 武正晴
出演 安藤サクラ 新井浩文 稲川実代子
早織 宇野祥平 坂田聡 沖田裕樹
松浦慎一郎 芹澤興人 根岸季衣
ストーリー
32歳の一子(安藤サクラ)は実家にひきこもり、自堕落な日々を送っていた。
母親の斎藤佳子(稲川実代子)は弁当屋を切盛りしており、父親の孝夫(伊藤洋三郎)は役立たずだ。
出戻りの妹の二三子(早織)が子供を連れて実家に帰ってきたことにより、斎藤家は問題を抱えるようになる。
一子は、二三子の子供とはテレビゲームで良い関係を築いていたいにも関わらず、二三子とは歯医者に母親が治療費を出すかで喧嘩してしまい、母親からもお金を貰って追い出されてしまう。
夜な夜な買い食いしていた百円ショップで深夜労働にありついた一子の唯一の楽しみは、帰り道にあるボクシングジムで一人ストイックに練習するボクサー・狩野(新井浩文)を覗き見することであった。
百円ショップの店員たちは皆心に問題を抱え、そこは社会からこぼれ落ちた不器用な底辺の人間たちの巣窟のような場所だった。
店長の岡野淳(宇野祥平)はうつ病で、店員の野間明(坂田聡)はバツイチで口うるさくてしつこい。
また、元店員で、レジの金を盗んだ池内敏子(根岸季衣)は、毎晩廃棄される弁当を盗みに来るという。
そんなある夜、狩野が百円ショップに客としてやってくる。
狩野がバナナを忘れていったことをきっかけに二人はお互いの距離を縮めていった。
なんとなく一緒に住み始た一子と狩野だったが、そんなささやかな幸せの日々は長くは続かなかった。
どうしてもうまくいかない日々の中、一子は衝動的にボクシングを始める。
やがて、一子の中で何かが変わりだし、人生のリターンマッチのゴングが鳴り響こうとしていた……。
寸評
ストーリー自体はよくあるスポ根ものの陳腐すぎる話なのに、決してつまらない映画にはなっていない。
それは登場人物のキャラ設定と絶妙のキャスティングによるところが大で、特に安藤サクラと新井浩文の役がハマりすぎている。
安藤サクラを初めて見た時にはその存在感に驚いたが、ここでの彼女も圧倒的な存在感を示している。
安藤アクラ演じる主人公の一子は自堕落なだけでなく、無口で何を考えているかわからない女だ。
ジャージ姿でゲームに興じる冒頭から、すさまじい存在感を表す。
この自堕落な女を演じているときの彼女はスゴイ。
ぶよぶよの体で食ってるばかりの生活をしている。
こんな痛すぎるキャラはだれでもやれるものではない。
兎に角、こんな女だけは嫌だと思わせる。
それらを感じさせるシーンが、ここまで徹底するのかと思わせるぐらい続く。
後半になると、それは怒りからだったと思うのだが、彼女がボクシングに没頭するシーンが続く。
一子は見る見る変わっていって、オープニングの時とは似ても似つかないシェイプアップされた肉体になっていくのだが、低予算のため短期間で撮影されたことが信じられない変化で、役者魂を見た思いがする。
鈍かっ た動きもスピーディーに一変していくのはスポ根ものの定番といってもいい。
分かっているが、その変化は心地よいし応援したくなる。
応援したくなる気持ちはボクシング映画の定番でもある試合シーンになって最高潮に達する。
一子は負け犬だ。
試合当日に喧嘩状態の妹が応援にきていて、負け犬から脱出せよと叫ぶ感動的な場面がある。
まさにこの映画は負け犬からの脱却映画であり、自分に自信を取り戻す再生映画でもある。
しかし、人生もボクシングも甘くはない。
簡単には勝てないのだ。
自分を救うのは自分だけで、他人は救ってはくれないのだ。
男と恋愛が自分の人生を救ってくれるんじゃないかと期待している女性には厳しい映画だ。
いや男だって、何かが自分を変えてくれるのを待ちながら、毎日をだらだら生きている者にも厳しい映画なのだ。
自分を変えることとは、どん底から這い上がるということは、こうやって突き進む強さなんだと一子がその態度で示してくれたのだが、僕にはもうその体力がないし気力も衰えている。
一子の若さが羨ましい。
労働者は言う「夢はないのか?」。
父親は「歳を取って自分に自信を持てない生き方をしてほしくない」と言う。
自分が歳を取った為に、かえってこれらの言葉が胸に響いた。
わざとらしさのないラストも余韻が残ったし、安藤サクラの演技だけでも観る価値のある映画だと思った。
多分この二人はこれからも何かといざこざを起こすのだろうが、それでもそれを繰り返しながら何とかやっていくのではないかと思わせるラストだった。
監督 武正晴
出演 安藤サクラ 新井浩文 稲川実代子
早織 宇野祥平 坂田聡 沖田裕樹
松浦慎一郎 芹澤興人 根岸季衣
ストーリー
32歳の一子(安藤サクラ)は実家にひきこもり、自堕落な日々を送っていた。
母親の斎藤佳子(稲川実代子)は弁当屋を切盛りしており、父親の孝夫(伊藤洋三郎)は役立たずだ。
出戻りの妹の二三子(早織)が子供を連れて実家に帰ってきたことにより、斎藤家は問題を抱えるようになる。
一子は、二三子の子供とはテレビゲームで良い関係を築いていたいにも関わらず、二三子とは歯医者に母親が治療費を出すかで喧嘩してしまい、母親からもお金を貰って追い出されてしまう。
夜な夜な買い食いしていた百円ショップで深夜労働にありついた一子の唯一の楽しみは、帰り道にあるボクシングジムで一人ストイックに練習するボクサー・狩野(新井浩文)を覗き見することであった。
百円ショップの店員たちは皆心に問題を抱え、そこは社会からこぼれ落ちた不器用な底辺の人間たちの巣窟のような場所だった。
店長の岡野淳(宇野祥平)はうつ病で、店員の野間明(坂田聡)はバツイチで口うるさくてしつこい。
また、元店員で、レジの金を盗んだ池内敏子(根岸季衣)は、毎晩廃棄される弁当を盗みに来るという。
そんなある夜、狩野が百円ショップに客としてやってくる。
狩野がバナナを忘れていったことをきっかけに二人はお互いの距離を縮めていった。
なんとなく一緒に住み始た一子と狩野だったが、そんなささやかな幸せの日々は長くは続かなかった。
どうしてもうまくいかない日々の中、一子は衝動的にボクシングを始める。
やがて、一子の中で何かが変わりだし、人生のリターンマッチのゴングが鳴り響こうとしていた……。
寸評
ストーリー自体はよくあるスポ根ものの陳腐すぎる話なのに、決してつまらない映画にはなっていない。
それは登場人物のキャラ設定と絶妙のキャスティングによるところが大で、特に安藤サクラと新井浩文の役がハマりすぎている。
安藤サクラを初めて見た時にはその存在感に驚いたが、ここでの彼女も圧倒的な存在感を示している。
安藤アクラ演じる主人公の一子は自堕落なだけでなく、無口で何を考えているかわからない女だ。
ジャージ姿でゲームに興じる冒頭から、すさまじい存在感を表す。
この自堕落な女を演じているときの彼女はスゴイ。
ぶよぶよの体で食ってるばかりの生活をしている。
こんな痛すぎるキャラはだれでもやれるものではない。
兎に角、こんな女だけは嫌だと思わせる。
それらを感じさせるシーンが、ここまで徹底するのかと思わせるぐらい続く。
後半になると、それは怒りからだったと思うのだが、彼女がボクシングに没頭するシーンが続く。
一子は見る見る変わっていって、オープニングの時とは似ても似つかないシェイプアップされた肉体になっていくのだが、低予算のため短期間で撮影されたことが信じられない変化で、役者魂を見た思いがする。
鈍かっ た動きもスピーディーに一変していくのはスポ根ものの定番といってもいい。
分かっているが、その変化は心地よいし応援したくなる。
応援したくなる気持ちはボクシング映画の定番でもある試合シーンになって最高潮に達する。
一子は負け犬だ。
試合当日に喧嘩状態の妹が応援にきていて、負け犬から脱出せよと叫ぶ感動的な場面がある。
まさにこの映画は負け犬からの脱却映画であり、自分に自信を取り戻す再生映画でもある。
しかし、人生もボクシングも甘くはない。
簡単には勝てないのだ。
自分を救うのは自分だけで、他人は救ってはくれないのだ。
男と恋愛が自分の人生を救ってくれるんじゃないかと期待している女性には厳しい映画だ。
いや男だって、何かが自分を変えてくれるのを待ちながら、毎日をだらだら生きている者にも厳しい映画なのだ。
自分を変えることとは、どん底から這い上がるということは、こうやって突き進む強さなんだと一子がその態度で示してくれたのだが、僕にはもうその体力がないし気力も衰えている。
一子の若さが羨ましい。
労働者は言う「夢はないのか?」。
父親は「歳を取って自分に自信を持てない生き方をしてほしくない」と言う。
自分が歳を取った為に、かえってこれらの言葉が胸に響いた。
わざとらしさのないラストも余韻が残ったし、安藤サクラの演技だけでも観る価値のある映画だと思った。
多分この二人はこれからも何かといざこざを起こすのだろうが、それでもそれを繰り返しながら何とかやっていくのではないかと思わせるラストだった。
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