「リオ・ロボ」 1970年 アメリカ
監督 ハワード・ホークス
出演 ジョン・ウェイン ホルヘ・リヴェロ クリストファー・ミッチャム
ジェニファー・オニール ジャック・イーラム ヴィクター・フレンチ
スサーナ・ドサマンテス シェリー・ランシング
デヴィッド・ハドルストン マイク・ヘンリー ビル・ウィリアムズ
ストーリー
南北戦争末期、北軍のマクナリー大佐の護衛する金塊輸送列車は南軍のコルドナ大尉の率いるゲリラに襲われ、マクナリーは捕えられたが巧みな手段で脱出し、逆にコルドナと部下のタスカロラを捕虜にし、事件の背後で操った北軍の裏切り者が2人いることを聞き出す。
戦争が終わり、故郷の町に帰ったマクナリーは、若い娘シャスタの危難を救ったことから、偶然、裏切り者の1人をしとめ、コルドナと再会をする。
一方、魔術芝居の巡業をして歩くシャスタは、リオ・ロボで悪徳保安官ヘンドリックス一味に相棒を殺され、彼女も追跡されていたのだった。
コルドナは、その保安官一味に裏切り者がいると教えた。
彼もリオ・ロボに牧場をもつ旧友タスカロラが、地元のボスのケッチャム一味に牧場を乗っ取られようとしているのを救援にいこうとしているところだった。
3人はリオ・ロボへ向かうこととなり、マクナリーはそのボスこそ、例のもう1人の裏切り者に違いないとにらんだ。
タスカロラが馬泥棒に仕立てられて逮捕され、彼の祖父フィリップスが監禁されていることを知った3人は老人を救出したが、リオ・ロボの留置所は砦のようで、まともな攻撃でタスカロラは助けられそうもなかった。
マクナリーは一計を案じ、ケッチャムの牧場を襲って彼を人質としたところ、やはり、彼は例の裏切り者だった。
マクナリーはコルドナを近くの騎兵体砦に通報にやり、敵とリオ・ロボでのタスカロラとケッチャムの人質交換をもくろんだが、コルドナはヘンドリックスに捕えられてしまった。
今度はリオ・ロボの町を流れる川の橋で、ケッチャムとコルドナの身柄交換となった。
多勢に無勢、マクナリーたちの形勢は不利となったが、タスカロラの作戦が功をそうした。
形勢は逆転して、ケッチャム一味は硝煙の藻屑と消えた。
コルドナとシャスタは結ばれて、リオ・ロボに平和が戻った。
寸評
痛快娯楽作品としてテンポよく進んでいき、特別な趣向を凝らすでもない語り口は新鮮さがないものの安心感があって、リラックスして見ることが出来る西部劇である。
北軍の運ぶ金貨を南軍が奪うディテールもてきぱきしており楽しめるものとなっている。
捕虜にしたりされたりのやり取りを見ていると、随分とのんびりしたものだなあと感じるが、その雰囲気は最後まで持続したままで、銃撃戦があるとはいえほのぼの西部劇と言ってもいい。
おまけに南北戦争がすぐに終わってしまうので南北の対決もない。
前二作の「リオ・ブラボー」「エル・ドラド」と同じく豪放な笑いを基盤に、老若男女入り乱れての戦う集団形成のディテールが大いに楽しめる。
マクナリーやコルドナに負けず、女性陣が活躍するのも楽しめるし、最後になってフィリップス爺さんが出てきて主演のジョン・ウェインを喰ってしまうような存在感を見せ楽しませる。
歯医者さんもそうだが、マクナリーに協力する人が次々と登場するのが特徴となっている。
こんなシチュエーションが必要なのかと思わせるセミヌード女性の登場などはサービス精神か。
マクナリーは南軍の金塊強奪に北軍を裏切った兵士がからんでいるとして、その裏切り者を追っているのだが、その裏切り者が誰であるかのスリルはない。
せめて二人の裏切り者を列車護送場面で登場させておいてほしかった。
さらにその裏切り者二人がいとも簡単に撃ち殺されたり、つかまったりしてしまうので、復讐劇の方は肩透かしを食ったような気がする。
相手方にマクナリーが追う裏切り者の一人がいるとは言え、マクナリーたちがリオ・ロボの保安官一味の悪事に立ち向かって行くことがメインになっている。
その間にコルドナがシャスタに恋する姿を面白おかしく挿入している。
このシャスタが時折男勝りの活躍を見せて、ほんわかムードをさらに高めている。
目新しさのない演出だが、そつのない演出でもある。
最後の決戦も極めて明るいもので、なんだかみんなして遊んでいるみたいな雰囲気だ。
これこそがハワード・ホークスという余裕が感じられるものとなっている。
決戦の場には土地の権利書を取り返してもらった連中が加勢に来るが、これだけ多数の若い元南軍兵士が加わればマクナリーは苦戦するはずがない。
ここは少人数で多数の敵を倒した方がスカッとしただろうと思う。
そしてボスが最初に殺されてしまっては盛り上がりにも欠けると言うものだ。
保安官のヘンドリックスはボスが無一文になったことを聞いても逃げ出すことはせず戦っていて、結局彼を倒すことが最終目的となっている。
そしてヘンドリックスを倒すのは予想通りの人物で、これも観客の期待を裏切らないものとなっている。
コルドナとシャスタは結ばれ、タスカロラも恋人と結ばれ、めでたしめでたしで終わるという安定感を見せる。
マクナリーがマリアにかける最後の言葉がユーモアたっぷりでいい。
今では全くと言っていいほど見られなくなった雰囲気の西部劇ですね。
一時期、西部劇が撮られなくなっていましたが、その後に登場した西部劇はどれも全く違った描かれ方だったと思います。
歳をとった私はハワード・ホークス作品には郷愁を感じてしまいます。
劇場公開時は、興行的にも批評的にも惨敗を喫してしまい、さすがにハリウッド史上屈指の巨匠でも、年齢による衰えは避けられないかと言われたそうです。
しかし、「腐っても鯛」ならぬ「腐ってもホークス」。
確かに、ホークス&ウェイン・コンビ作の最高峰「リオ・ブラボー」とは比べるべくもない凡作かもしれませんが、それでもなお、ハリウッド伝統の"王道的西部劇"の醍醐味を存分に味わえる、良質なエンターテインメント映画に仕上がっていると思います。
「リオ・ブラボー」と「エル・ドラド」に続く三部作の最終章とされるこの作品は、なるほど前二作と同じく、主人公たちが、保安官事務所に立て籠るという設定を用いていますね。
しかし、大きく違うのは、この作品の保安官ヘンドリクスが、悪者側だということでしょう。
そういうわけで、敵の親玉ケッチャムを人質に、保安官事務所を占拠したマクナリーらは、ボスを奪い返さんとする保安官一味を相手に、攻防戦を演じることになります。
やっぱり、毎回同じことを繰り返すわけにもいきませんからね。
その一方で、軽妙なユーモアとハードなアクションを織り交ぜた、ノリの良い群像活劇という路線は、往時ほどの切れや勢いがないとはいえ、前二作をそのまま踏襲していて、色々な意味で、安心して楽しめる作品に仕上がっていると思います。
若い女性陣から"安全なおじさん"扱いされて、ふてくされるジョン・ウェインもとても可愛いですね。(笑)
当時、既に60代だったジョン・ウェインの動きが、やけに鈍くてアクション・シーンがキツイとか、その相棒コルドナ役に起用されたメキシコの若手トップ俳優のホルヘ・リヴェロに、ウェインと渡り合うほどのカリスマ性がないとか、なんだかんだで敵の一味が、ヘナチョコ過ぎるとか、色々と粗を探せばキリのない作品ではあります。
そもそも、女性のセミヌードが出てくるあたりで、当時の若い観客世代を意識しているものの、それでもアメリカン・ニューシネマ全盛の時代に、この作品のような、"王道的西部劇路線"は、古臭く感じられたはずで、恐らく興行的・批評的な不振の原因は、その辺にもあったのでしょう。
脇役陣で光っているのは、飲んだくれのクレイジーなフィリップス老人を嬉々として演じているジャック・イーラム。
「リオ・ブラボー」のウォルター・ブレナンに相当する役柄ですが、西部劇の個性的な悪役俳優として鳴らした、ジャック・イーラムの芸達者ぶりが実に面白い。
敵陣へ侵入した際に、門番を片付けたフィリップス老人の「代わりに天国の門へ送ってやった」というセリフは、けだし名言ですね。(笑)
これが初の大役で、「おもいでの夏」で私を虜にしたジェニファー・オニールも、鼻っ柱の強い女性シャスタを好演していると思います。
ジョン・ウェインの盟友ロバート・ミッチャムの息子クリストファー・ミッチャムは、「チザム」や「100万ドルの決斗」でも共演しており、恐らくデュークは、映画界の後見人として後押ししていたのだろうが、残念ながら期待されたほどのスターにはなれませんでしたね。
なお、顔面に傷を負ってセミヌードまで披露するアメリータ役のシェリー・ランシングは、その後、20世紀フォックスの製作部長やパラマウントのCEOを歴任して、ハリウッド史上、最初の女性モーグルになりましたね。
また、ジョン・カーペンター監督作の常連俳優ピーター・ジェイソンが、冒頭で転落死するマクナリーの部下フォーサイス中尉を演じているのも要注目ですね。