おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

スイミング・プール

2021-04-14 08:26:19 | 映画
「す」の第2弾に入ります。
第1弾は2019年8月22日からでした。
興味のある方はバックナンバーからご覧ください。

「スイミング・プール」 2003年 フランス / イギリス


監督 フランソワ・オゾン
出演 シャーロット・ランプリング
   リュディヴィーヌ・サニエ
   チャールズ・ダンス
   ジャン=マリー・ラムール
   マルク・ファヨール
   ミレイユ・モセ

ストーリー
南フランス、プロヴァンス地方の高級リゾート地。
ある夏の日、イギリスから人気女流ミステリー作家のサラが訪れ、出版社の社長ジョンの別荘に滞在し、新作の執筆に取り掛かる。
ところがそこへ突然、社長の娘と名乗るジュリーが現われた。
自由奔放なジュリーは、毎夜ごと違う男を連れ込み、サラを苛立たせる。
だがその嫌悪感は次第に好奇心へと変化していき、サラはジュリーの行動を覗き見するように。
そんなある夜、ジュリーはまた別の男を連れて帰ってきた。
彼は、サラが毎日のように通うカフェのウェイターで、彼女がほのかな好意を寄せているフランクだった。
ジュリーはサラを挑発するようにフランクと踊り、やがてサラも体を揺らし始める。
しかし翌朝、プールサイドのタイルの上に血痕が発見された・・・。
そのあと、サラは今までの一件を元に書いた『スイミング・プール』と題された新作の原稿を社長ジョンに見せるのだが、それは・・・・。
そして社を去ろうとした時、現れたのは・・・。


寸評
中年のサラと若いジュリーに対して同じようなアングルでカメラが追うシーンが何箇所かある。
そのことで若いジュリーと中年のサラの違いを観客である我々に見せつける。
それはまるでサラがジュリーに抱いている、ある種の嫉妬に似た感情を無言のうちに感じさせるに充分で、”うまいなー!”と唸ってしまう。
サラは、やりたい時にやりたい事をやる自分と全く正反対の若い娘ジュリーの姿に戸惑いと苛立ちを露にする。
そんなときサラがプールサイドで拾った落し物はジュリーのパンティで、部屋に持ち帰った途端にむくむくと創作意欲が沸くあたりが笑える。
作家としてのスランプを抜け出すだけでなく、女のうるおいまで復活してしまう唐突さがおかしい。
嫌悪感よりも好奇心が勝るのが作家だとでも言いたいのだろうか。

さんざんと肉体的にピチピチ感の無くなったサラを見せておいて、死体を埋めたあたりに疑問を持ちかけた使用人の爺さんの気をそらすために、彼を誘惑したときのサラ=シャーロット・ランプリングの全裸の美しさに固唾を飲んでしまう。
ヘアまで見せたシャーロット・ランプリングの女としての魅力が若さの持つ魅力を上回った瞬間だった。
そして密かに抱いていた老人の欲望を満たせてやり、その反応を足の指先だけで見せるあたりは、女としての自分を感じたであろうサラの表現として、やっぱし”うまいなー!”と唸ってしまう。
カメラワークで言えば、四角く切り取られたような青いプールを効果的に配したり、俯瞰を用いて観客と視線を共有するなど、構図の鋭さも光っていた。

映画は若さと成熟、自由奔放と自己を抑制した理性を対比させて、ジュリーのもつそれらを嫌悪しながらも憧れを垣間見せるサラの姿に、彼女達を取り巻く男たちを登場させて進行していく。
前半は全く共通点のない女性二人の奇妙な同居生活が主にサラの側から描かれるが、後半は殺人事件が発生して、物語はミステリーへと変貌する。
殺人事件が起こったと思われる終盤になって、もう一つの対極である現実と幻想の世界が畳み掛けるように描かれ、ラストで一気に開花する。
開花すると言っても、すべてが解き明かされるのではなく、むしろ幻惑の世界へ突き落とされて「何んなんだあ~」と叫けばせて終る。
面白い、実に面白い展開だ。
もしかするとジュリーは自らの作品を世に出すために、この世に戻ったジュリーのお母さんの亡霊ではないのかと思った。
振り返ると、父親と話をしている芝居をしていたと思われるシーンもあったし、お腹の傷も時々写されていたし・・・。

この映画が本当のミステリーであることが判るのは、映画の最後の瞬間だ。
最後のシーンはなんだったんだろう?といつまでも気にとめながら劇場を出た作品だった。
二人の女優の見事な共演と独特の怪しいムードは一見の価値がある映画と言える。


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