「れ」は少し思いつきました。
「レイジング・ブル」 1980年 アメリカ
監督 マーティン・スコセッシ
出演 ロバート・デ・ニーロ
キャシー・モリアーティ
ジョー・ペシ
フランク・ヴィンセント
ニコラス・コラサント
テレサ・サルダナ
ストーリー
1964年、ニューヨーク、バルビゾン・プラザ・シアターの楽屋で、映画「波止場」のシナリオの一節をくり返すジェイク・ラモッタの姿があったが、彼はかつて「怒れる牡牛」と呼ばれた世界ミドル級チャンピオンに輝いた男だ。
--1941年、クリーブランド。
弟ジョーイがセコンドを務めるジェイクは、黒人のミドル級ボクサーとの闘いで、相手を叩きのめしたにも拘らず判定負けをした翌日は昼間からやけ酒を飲み、彼は妻に八ツ当りをする。
そして、ブロンドの美女ビッキーと出会い、やがて2人は愛し合うようになり結婚する。
1943年、デトロイトでシュガーをKOするが、同年に行なわれた彼との対戦で今度は判定負けをした。
彼ら兄弟には、八百長試合を強いる組識という逃れられない敵がいた。
やがてその大物トニー・コモの誘惑に負けた2人は1947年、遂にマジソン・スクエア・ガーデンでの八百長試合を承諾した。
しかし1949年、デトロイトで、ジェイクはフランスの英雄に挑戦するチャンスを得る。
この世界タイトル・マッチで、ジェイクは見事チャンピオンに輝いた。
しかし、そのころから彼には、ジョーイとビッキーに対する強い嫉妬心が根ざし出し、心は沈んでいった。
1950年、辛くも防衛を果した彼は1951年、シュガーとの6度目の試合でKO負けし、1954年遂にリングを去りナイトクラブ経営をフロリダで始めた。
そんな彼からジョーイもビッキーも去り、1956年には未成年者をホステスに使った罪で独房に入れられた。
寸評
ボクシング映画には傑作が多いのだが、この「レイジング・ブル」もその中の1本であることは疑いもない。
オープニングのクレジットにかぶさって、試合前のリング上でガウンを着たままウォーミングアップのシャドーボクシングをしているジェイクの姿が映し出され、その映像にピエトロ・マスカーニのオペラが流れる。
このオープニングの身震いするくらいの美しさによってリング上でのボクサーの孤独感を出し、一気に映像の世界に引き込まれる名シーンとなっている。
この映画はストーリー云々よりも、その映像表現に凄さを感じる。
何と言ってもモノトーンの画面がいい。
白黒の映像によって試合のシーンがカラーでは表現できない迫力を生み出している。
試合会場の煙りが漂うシーン、そして殴られて血を吹き出すシーンはカラーでは表現出来ないものだ。
血が飛び散るシーンは、カラーだとオーバーになり過ぎてむしろあざとく感じてしまうことがあるが、ここにおける白黒画面は異様な迫力を生み出している。
最初の妻とステーキが焦げるぞと言って喧嘩するシーンで、崩壊する夫婦関係を描きあげ、同時にジェイク・ラモッタは根っから野獣のような粗暴さ持っている男であることを短時間のうちに示す。
そしてジェイクが弟に顔を殴らせるという無意味な行為を強要し、弟が殴りつけているのをジャズの流れる隣の部屋のドアの隙間から覗いてぞっとしている妻の姿をそっと映し込む演出にドキッとしてしまう。
この妻を捨てジェイクはヴィッキーを見染て結婚するが、ヴィッキーがある意味ジェイクにとっては運命を狂わせる発端となったのかもしれない。
ジェイクは異常なほどの焼きもち焼きで、対戦相手が二枚目だと言っただけで怒り出す。
ヴィッキーが他の男に愛想を見せると、なぜそんな態度をとるのだと食って掛かる。
挙句の果てには、弟に対してもヴィッキーと寝たのかと言い出す始末である。
美しいヴィッキーを手に入れた彼は、他の男もヴィッキーを手に入れたいはずだとの思いで彼女に猜疑心を持ち始めるのだが、それがあまりにも異常で見ていてもなんて気持ちの小さい男かと思ってしまう。
全編白黒映像の中でカラー映像が一部分に挿入される。
試合の状況はスチール写真で伝えつつ、夫婦生活の幸せをカラー映像で伝えている。
ジェイクに幸せな人生を感じないが、幸せな時期があったとすればヴィッキーと結婚したころの一時期だけだ家だったのかもしれない。
しかし、カラーになるとヴィッキーの操り人形のような存在感が透けて見えてくるから、この場面だけをカラー化したセンスに唸ってしまう。
引退後のぶくぶく太った肉体を見せるために30キロも太ったというデ・ニーロの根性にも感心させられ、やはりデ・ニーロあっての映画だ。
不本意な八百長試合をやらされ、ロッカールームで泣き崩れる姿は、直前のふてぶてしい姿を見せていただけに胸に迫るものがあり、それを感じさせるデ・ニーロの演技もスゴイ。
男の転落人生を描いているとも言えなくもないが、それだけを感じさせないのもデ・ニーロならではだろう。
「レイジング・ブル」 1980年 アメリカ
監督 マーティン・スコセッシ
出演 ロバート・デ・ニーロ
キャシー・モリアーティ
ジョー・ペシ
フランク・ヴィンセント
ニコラス・コラサント
テレサ・サルダナ
ストーリー
1964年、ニューヨーク、バルビゾン・プラザ・シアターの楽屋で、映画「波止場」のシナリオの一節をくり返すジェイク・ラモッタの姿があったが、彼はかつて「怒れる牡牛」と呼ばれた世界ミドル級チャンピオンに輝いた男だ。
--1941年、クリーブランド。
弟ジョーイがセコンドを務めるジェイクは、黒人のミドル級ボクサーとの闘いで、相手を叩きのめしたにも拘らず判定負けをした翌日は昼間からやけ酒を飲み、彼は妻に八ツ当りをする。
そして、ブロンドの美女ビッキーと出会い、やがて2人は愛し合うようになり結婚する。
1943年、デトロイトでシュガーをKOするが、同年に行なわれた彼との対戦で今度は判定負けをした。
彼ら兄弟には、八百長試合を強いる組識という逃れられない敵がいた。
やがてその大物トニー・コモの誘惑に負けた2人は1947年、遂にマジソン・スクエア・ガーデンでの八百長試合を承諾した。
しかし1949年、デトロイトで、ジェイクはフランスの英雄に挑戦するチャンスを得る。
この世界タイトル・マッチで、ジェイクは見事チャンピオンに輝いた。
しかし、そのころから彼には、ジョーイとビッキーに対する強い嫉妬心が根ざし出し、心は沈んでいった。
1950年、辛くも防衛を果した彼は1951年、シュガーとの6度目の試合でKO負けし、1954年遂にリングを去りナイトクラブ経営をフロリダで始めた。
そんな彼からジョーイもビッキーも去り、1956年には未成年者をホステスに使った罪で独房に入れられた。
寸評
ボクシング映画には傑作が多いのだが、この「レイジング・ブル」もその中の1本であることは疑いもない。
オープニングのクレジットにかぶさって、試合前のリング上でガウンを着たままウォーミングアップのシャドーボクシングをしているジェイクの姿が映し出され、その映像にピエトロ・マスカーニのオペラが流れる。
このオープニングの身震いするくらいの美しさによってリング上でのボクサーの孤独感を出し、一気に映像の世界に引き込まれる名シーンとなっている。
この映画はストーリー云々よりも、その映像表現に凄さを感じる。
何と言ってもモノトーンの画面がいい。
白黒の映像によって試合のシーンがカラーでは表現できない迫力を生み出している。
試合会場の煙りが漂うシーン、そして殴られて血を吹き出すシーンはカラーでは表現出来ないものだ。
血が飛び散るシーンは、カラーだとオーバーになり過ぎてむしろあざとく感じてしまうことがあるが、ここにおける白黒画面は異様な迫力を生み出している。
最初の妻とステーキが焦げるぞと言って喧嘩するシーンで、崩壊する夫婦関係を描きあげ、同時にジェイク・ラモッタは根っから野獣のような粗暴さ持っている男であることを短時間のうちに示す。
そしてジェイクが弟に顔を殴らせるという無意味な行為を強要し、弟が殴りつけているのをジャズの流れる隣の部屋のドアの隙間から覗いてぞっとしている妻の姿をそっと映し込む演出にドキッとしてしまう。
この妻を捨てジェイクはヴィッキーを見染て結婚するが、ヴィッキーがある意味ジェイクにとっては運命を狂わせる発端となったのかもしれない。
ジェイクは異常なほどの焼きもち焼きで、対戦相手が二枚目だと言っただけで怒り出す。
ヴィッキーが他の男に愛想を見せると、なぜそんな態度をとるのだと食って掛かる。
挙句の果てには、弟に対してもヴィッキーと寝たのかと言い出す始末である。
美しいヴィッキーを手に入れた彼は、他の男もヴィッキーを手に入れたいはずだとの思いで彼女に猜疑心を持ち始めるのだが、それがあまりにも異常で見ていてもなんて気持ちの小さい男かと思ってしまう。
全編白黒映像の中でカラー映像が一部分に挿入される。
試合の状況はスチール写真で伝えつつ、夫婦生活の幸せをカラー映像で伝えている。
ジェイクに幸せな人生を感じないが、幸せな時期があったとすればヴィッキーと結婚したころの一時期だけだ家だったのかもしれない。
しかし、カラーになるとヴィッキーの操り人形のような存在感が透けて見えてくるから、この場面だけをカラー化したセンスに唸ってしまう。
引退後のぶくぶく太った肉体を見せるために30キロも太ったというデ・ニーロの根性にも感心させられ、やはりデ・ニーロあっての映画だ。
不本意な八百長試合をやらされ、ロッカールームで泣き崩れる姿は、直前のふてぶてしい姿を見せていただけに胸に迫るものがあり、それを感じさせるデ・ニーロの演技もスゴイ。
男の転落人生を描いているとも言えなくもないが、それだけを感じさせないのもデ・ニーロならではだろう。
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