「トラフィック」 2000年
監督 スティーヴン・ソダーバーグ
出演 マイケル・ダグラス
キャサリン・ゼタ・ジョーンズ
ドン・チードル
ベニチオ・デル・トロ
ルイス・ガスマン
デニス・クエイド
ストーリー
メキシコ、ティファナ。
国境警備にあたるメキシコ州警察の警察官ハビエル・ロドリゲスとパートナーのマノーロ・サンチェスは、犯罪取締官サラサール将軍に召喚されて、麻薬カルテルの一味である暗殺者フロレスをつかまえるよう頼まれる。
ロドリゲスが難なく男をとらえ連行するや、将軍はフロレスを拷問にあわせ、強力な麻薬組織オブレゴン・カルテルの居場所を吐かせ一味を撲滅する。
アメリカ、オハイオ。
新しい麻薬取締最高責任者に任命されたロバートは麻薬犯罪の摘発に邁進するのだったが、娘のキャロラインがドラッグ中毒への道を進んでいることに深いジレンマを抱く。
アメリカ、サンディエゴ。
オブレゴン・カルテルを訴訟に持ち込むべく捜査を続けている麻薬取締局のおとり捜査官、モンテル・ゴードンとレイ・カストロ、さらに彼らが逮捕した中間ルートの麻薬密売人ルイスと、麻薬王のカール、さらにカールの妻であるヘレーナなどが裁判を通じて大きく絡んでいくのだった。
寸評
メキシコから国境を越えてアメリカに持ち込まれる麻薬の量は想像を絶するものがあるらしいし、国境をまたいで地下トンネルが掘られていたと言う記事をどこかで目にしたような気もする。
「トラフィック」はその麻薬密売ルートに関わる人々を描いた群像劇であるが、セリフのある人物が多数登場し群像劇とは言え目まぐるしい。
ソダバーグは人数の多さによる混乱を抱けるために映像処理を施して観客の戸惑いを軽減している。
キーになる人物はそれぞれのパートに存在している。
ワシントンD.C.などのアメリカの政治にかかわるパートの主人公はマイケル・ダグラスのロバート麻薬撲滅担当補佐官で、ネーム・バリュウから言ってもこの映画の主人公だ。
メキシコのパートはロドリゲス 刑事のベニチオ・デル・トロなのだが、彼の渋すぎる存在はこの映画の中で際立っており、僕には実質的な主人公に思えた。
麻薬の米国側の受け口となっているカルフォルニアのパートはドン・チードル演じる黒人刑事のゴードンである。
しかし彼らも物語の登場人物の一人にすぎず、それぞれに複雑な立場の人物たちが係わっていき、意外な展開も披露されて目を離すことができない。
複雑な人間関係ながら、ソダバーグはそれを整理して見事なサスペンス劇に昇華させている。
メキシコではサラサール将軍が指揮して麻薬撲滅を進めている。
取引現場と関係者を捕らえたロドリゲスたちを襲ったような形のサラサール将軍に疑いの目を向けるが、どうやら本気で麻薬組織を撲滅しようとしているらしいと見えてくる。
殺し屋のフロレスの拷問を見ていると、荒っぽいやり方だがそれがメキシコ流なのだと思わせる。
しかし彼には過酷な摘発の真の目的があって、その目的が明らかになっていく過程はサスペンスフルだ。
しかもサラサール将軍や、麻薬組織のオブレゴンのモデルはいると言うのだから驚きである。
寡黙なロドリゲス刑事は彼こそ麻薬撲滅を願っている人物で、ワイロのようなものも要求せずに公園に照明をつけてほしいと望む、敏腕ながらも清い人で、演じたトロがすごくいい。
ロバート麻薬撲滅担当補佐官に拘わるエピソードは辛い話だ。
補佐官として絶大な権限を持ち、大統領とも面会できる立場で任務遂行に情熱を持っているが、娘が薬物中毒に陥っているという彼の立場上あってはならないことに直面し、ロバートはその事実を隠蔽せざるを得ない。
成績優秀な娘の反抗、娘の管理を押し付けられている妻の反感を知りながらも、ロバートが仕事に埋没し続けることで生まれる夫婦間の溝などが浮かび上がってくる。
権力者や名士の子供が非行に走っているのは、報道される事件の背景として時々見受けられるものであるが、ロバートの家庭に起きていることも有り得ることだと思うし、薬物の根はそれほど深いということだと思う。
ゴードンが捕らえた麻薬密売人ルイスを法廷証人として保護するシーンもスリルがあるし、捕まった密売人のカールを救おうとする妻のへレーナの苦悩とその後に取る行動も緊迫感がある。
摘発した組織が壊滅しても新たな組織が麻薬を取り扱うであろうことが推測されて暗い気持ちになるが、救われるのはありきたりとは言えロバートの家族が再生されそうなこと、そしてなによりも照明が施された夜間の公園で野球に興じる子供たちを眺めるロドリゲスの温かいまなざしである。
ソダバーグはこの頃冴えていた。
監督 スティーヴン・ソダーバーグ
出演 マイケル・ダグラス
キャサリン・ゼタ・ジョーンズ
ドン・チードル
ベニチオ・デル・トロ
ルイス・ガスマン
デニス・クエイド
ストーリー
メキシコ、ティファナ。
国境警備にあたるメキシコ州警察の警察官ハビエル・ロドリゲスとパートナーのマノーロ・サンチェスは、犯罪取締官サラサール将軍に召喚されて、麻薬カルテルの一味である暗殺者フロレスをつかまえるよう頼まれる。
ロドリゲスが難なく男をとらえ連行するや、将軍はフロレスを拷問にあわせ、強力な麻薬組織オブレゴン・カルテルの居場所を吐かせ一味を撲滅する。
アメリカ、オハイオ。
新しい麻薬取締最高責任者に任命されたロバートは麻薬犯罪の摘発に邁進するのだったが、娘のキャロラインがドラッグ中毒への道を進んでいることに深いジレンマを抱く。
アメリカ、サンディエゴ。
オブレゴン・カルテルを訴訟に持ち込むべく捜査を続けている麻薬取締局のおとり捜査官、モンテル・ゴードンとレイ・カストロ、さらに彼らが逮捕した中間ルートの麻薬密売人ルイスと、麻薬王のカール、さらにカールの妻であるヘレーナなどが裁判を通じて大きく絡んでいくのだった。
寸評
メキシコから国境を越えてアメリカに持ち込まれる麻薬の量は想像を絶するものがあるらしいし、国境をまたいで地下トンネルが掘られていたと言う記事をどこかで目にしたような気もする。
「トラフィック」はその麻薬密売ルートに関わる人々を描いた群像劇であるが、セリフのある人物が多数登場し群像劇とは言え目まぐるしい。
ソダバーグは人数の多さによる混乱を抱けるために映像処理を施して観客の戸惑いを軽減している。
キーになる人物はそれぞれのパートに存在している。
ワシントンD.C.などのアメリカの政治にかかわるパートの主人公はマイケル・ダグラスのロバート麻薬撲滅担当補佐官で、ネーム・バリュウから言ってもこの映画の主人公だ。
メキシコのパートはロドリゲス 刑事のベニチオ・デル・トロなのだが、彼の渋すぎる存在はこの映画の中で際立っており、僕には実質的な主人公に思えた。
麻薬の米国側の受け口となっているカルフォルニアのパートはドン・チードル演じる黒人刑事のゴードンである。
しかし彼らも物語の登場人物の一人にすぎず、それぞれに複雑な立場の人物たちが係わっていき、意外な展開も披露されて目を離すことができない。
複雑な人間関係ながら、ソダバーグはそれを整理して見事なサスペンス劇に昇華させている。
メキシコではサラサール将軍が指揮して麻薬撲滅を進めている。
取引現場と関係者を捕らえたロドリゲスたちを襲ったような形のサラサール将軍に疑いの目を向けるが、どうやら本気で麻薬組織を撲滅しようとしているらしいと見えてくる。
殺し屋のフロレスの拷問を見ていると、荒っぽいやり方だがそれがメキシコ流なのだと思わせる。
しかし彼には過酷な摘発の真の目的があって、その目的が明らかになっていく過程はサスペンスフルだ。
しかもサラサール将軍や、麻薬組織のオブレゴンのモデルはいると言うのだから驚きである。
寡黙なロドリゲス刑事は彼こそ麻薬撲滅を願っている人物で、ワイロのようなものも要求せずに公園に照明をつけてほしいと望む、敏腕ながらも清い人で、演じたトロがすごくいい。
ロバート麻薬撲滅担当補佐官に拘わるエピソードは辛い話だ。
補佐官として絶大な権限を持ち、大統領とも面会できる立場で任務遂行に情熱を持っているが、娘が薬物中毒に陥っているという彼の立場上あってはならないことに直面し、ロバートはその事実を隠蔽せざるを得ない。
成績優秀な娘の反抗、娘の管理を押し付けられている妻の反感を知りながらも、ロバートが仕事に埋没し続けることで生まれる夫婦間の溝などが浮かび上がってくる。
権力者や名士の子供が非行に走っているのは、報道される事件の背景として時々見受けられるものであるが、ロバートの家庭に起きていることも有り得ることだと思うし、薬物の根はそれほど深いということだと思う。
ゴードンが捕らえた麻薬密売人ルイスを法廷証人として保護するシーンもスリルがあるし、捕まった密売人のカールを救おうとする妻のへレーナの苦悩とその後に取る行動も緊迫感がある。
摘発した組織が壊滅しても新たな組織が麻薬を取り扱うであろうことが推測されて暗い気持ちになるが、救われるのはありきたりとは言えロバートの家族が再生されそうなこと、そしてなによりも照明が施された夜間の公園で野球に興じる子供たちを眺めるロドリゲスの温かいまなざしである。
ソダバーグはこの頃冴えていた。
この映画「トラフィック」は、アメリカとメキシコの間に横たわる巨大な麻薬コネクション、"トラフィック"の凄まじい実態と、それを巡る様々な人間模様をスティーヴン・ソダーバーグ監督が、迫真のドキュメンタリー・タッチで描いた社会派群像劇の秀作です。
もともと1989年にイギリスのBBC放送が、テレビシリーズとして放送していた物から、麻薬というものに絡めとられた、それぞれ立場の異なる人々の物語というテーマをもとにして再構築された映画で、ストーリーは三つのパートから構成されていて、無数の人々の生々しい人生が交錯していく群像劇の形式で撮られています。
メキシコのティファナで、アメリカとの国境警備を行なう警官ハビエル(ベニチオ・デル・トロ)が、麻薬組織の権力と金に翻弄される姿と、彼の相棒が汚職を暴露しようとして殺されるというパートは、黄色がかった色彩で描かれ、アメリカのオハイオ州で麻薬取締連邦最高責任者に任命されたロバート(マイケル・ダグラス)が、優等生だと思っていた娘が麻薬に溺れている事実を知って愕然となるパートは、青く灰色がかった色彩で描き、そして、アメリカのサンディエゴで裕福に暮らしていた妊娠中のヘレーナ(キャサリン・ゼタ・ジョーンズ)が夫が突然逮捕され、実は麻薬王だと知らされ、現在の安定した生活を守るために、自らも悪の組織に身を染めていくというパートは、コントラストの強烈な映像で描くという凝った映像で撮っています。
映画を観る者に、これらの出来事があたかも目の前で現実に起こっているかのような感覚を与えるため、撮影はオール・ロケで行なったそうで、ソダーバーグ監督自身も撮影を行ない、特にメキシコのパートでは、手持ちカメラを縦横に駆使して、ドキュメンタリー・タッチのような生々しさを見事に表現していたと思います。
麻薬を売って儲ける者、それを取り締まる者、そして、それを買う者、使用する者と、それぞれの各々の物語が、どれをとっても立派な一つの社会派ドラマを作れるだけの内容を持っていながら、ソダーバーグ監督は、敢えて、麻薬に侵された社会の断片として描く事として抑制し、登場人物たちは、わずかにすれ違うだけという演出を行ない、本来の群像劇の持つダイナミックでドラマティックな仕掛けを封印し、描写もセンティメンタル的な情緒に陥る事もなく、あくまで、淡々と語り掛けながら、リアルな生態を活写していきます。
そして、登場人物たちは、紛れもなく麻薬というもので繋がっていて、そこから、その断片を繋ぎ合わせていくのは我々、観る者に委ねられており、ソダーバーグ監督が仕掛けたドラマを紡いでいく事に、まるでゲーム感覚のようなワクワクするようなサスペンスフルな面白さを感じると同時に、何かのっぴきならない混沌とした状況に投げこまれたような、苛立ちと、もどかしさを感じさせられ、そして更に、一歩進んでこのリアルで、問題の根の深い社会問題に否応なしに、参加させられてしまうのです。
住んでいる国も地域も環境も異なる人間たちが、一本の線で繋がった時に、初めて明らかになる"麻薬社会の巨大で厳しい全貌"----、観ていて、この"麻薬を巡るシステム"が抱える問題の根深さ、深刻さというものを肌で感じて、身震いするほどの戦慄を覚え、愕然とした気持ちにさせられます。
この麻薬の世界に関わる人間たちは、皆一様に、自分ひとりの力ではもはやどうしようもない、大きな何かに翻弄されていて、そのような状況に立ち至った人間は、どのような価値観と生きる知恵とで、どのような行動をとるのか。
このような、"普遍性というものへのアプローチ"が、この「トラフィック」という映画に、何か深遠で奥行きのあるものをもたらしているような気がします。
人間の尊厳というものが、もろくも破壊される様子をその細部に至るまで、こんなに丹念に粘り強く描き切った映画は今まであまり観た事がありませんし、しかし、だからこそ、この映画の中の厳しい現実から目を背けさせないだけの、圧倒的ともいえる求心力が生まれ得たのだと思います。
いずれにしても、この映画には優れた社会性とエンターテインメント性が見事に同居しており、完璧ともいえるバランスで描かれていると思います。
一般的に、ある何かの問題を多角的に描こうとしても、いずれかの要素に偏ってしまいがちですが、この映画は様々な要素がわれ先にと前へ出てくるのではなく、各々の要素が慎み深く並立し、その綱渡り的なバランス感覚の良さには唸らされます。
ソダーバーグ監督の手持ちカメラを多用し、場所や登場人物のキャラクターによって色調や画質を変化させるという、大胆で斬新な手法によって、この映画の持つ複雑な人間模様を見事に描き出していたと思います。
尚、この映画は2000年の第73回アカデミー賞の最優秀監督賞、最優秀助演男優賞(ベニチオ・デル・トロ)、最優秀脚色賞、最優秀編集賞を受賞し、同年のゴールデン・グローブ賞の最優秀助演男優賞を、同年のニューヨーク映画批評家協会の最優秀作品賞・監督賞・助演男優賞を、同年のLA映画批評家協会の最優秀助演男優賞を、そして、2001年のベルリン国際映画祭の銀熊賞(男優賞)をベニチオ・デル・トロが受賞していますね。