今回の 「 登場人物別 :PJ版を振り返る 」 は、
ゴラムについてです。
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PJ版を観るたびに、とても気にかかるゴラムの場面があります。
TTT終盤のオスギリアスで、
指輪の魔力にとらわれて自分を見失い、茫然となったフロドによる問いかけ
What are we holding on to, Sam? |
に対し、サムが返す言葉を耳にしながら、
何かに思いを馳せるかのように、ゴラムが表情を動かすシーンです。
この時、ゴラムの心に去来したものは、いったい何だったのでしょうか。
もう何度も観ている映画なのに、
私はこの場面でのゴラムの心情が、実はピンときていないのです。
自分なりの解釈ができないというか、上手く説明ができないというか。。
いくつかのサイトをまわって、この場面のゴラムのことを
書いている文章 ( 感想など ) を拝見する機会もあったのですが、
“ あぁ、そういう事だったのか ” と、
目からうろこが落ちるほど納得のいくような意見にも、
残念なことに、いまだに出会えてはいません。
たぶん私的に、この場面でのゴラムの心情変化こそが、
PJ版で描かれる < ゴラム像 > の肝なのだろうと考えているため、
受け手として構えすぎてしまっている、というのもあるのでしょう。
そもそも、原作の < ゴクリ像 > についてさえも、
私自身がどういう感想を抱いているのか、自分でもよくわからないのです。
“ 悪しき存在 ” としか思えず、疎ましいだけの相手だったり、
とても “ 哀れな存在 ” で、かわいそうで仕方がなかったり、
本を読むその時々によって、あまりにも気持ちがバラバラなため、
筋道をたて自分の言葉で、ゴクリを語るということができずにおります。
まだまだ、原作の読み手として未熟なんだなぁと、
つくづく思ってしまいます。
だから、PJ版の < ゴラム像 > について語ることも、
いまの私には、できそうにありません。
それにしても、ゴクリ ( ゴラム ) は何故あれほどまでに、
指輪に執着するようになったのでしょうか。
指輪の造り主であるサウロンはもちろんのこと、
ガンダルフやガラドリエル、ボロミアらのように、
胸に秘めた望み ( または野心 ) があり、
それを達成するための < 手段 > とリンクさせて 、
指輪の存在に思いを至らせるわけでもない。
或いはフロドのように、それ自体を棄却するため、
指輪を手放してはいけない ということでもない。
ただ、ただ “ 指輪そのもの ” が欲しいというだけで、
ゴクリにとっては < 指輪 >=< 目的 > なのだと、
個人的には捉えてしまっているのですが、
この解釈で、良いのでしょうか。。 ( 不安 )
他者のように < 目的 > と < 手段 > に区別されうることもなく、
もっと純粋でシンプルな望みから、ゴクリが指輪を求めたのならば、
彼があれほど長く、深く、指輪の歴史に関わり続けたというのは、
とても不思議なめぐり合わせのようでいて、
実際には “ 真理 ” であった、ということなのでしょうかね。。
原作の 『 旅の仲間 ・上 ~ 第2章 過去の影 』 では、
ガンダルフがゴクリについて、次のように述べていました。
「 かれはそれを憎みながら愛したのじゃよ。 自分自身を憎み、かつ愛したように。 (略) 」 |
また、PJ版のRotKには、
シェロブの巣から逃れた後のフロドの台詞、
I have to destroy it, Smeagol . . . I have to destroy it for both our sakes. |
という言葉を聞いたゴラムが、一瞬だけ見せる、
“ 哀しみ ” 以外の感情はもうない かのような表情が映されています。
ほんの僅かだったとは言え、これは見逃してはならないショットでしょう。
この瞬間を表現したアンディ・サーキスと、WETAのスタッフは、
良い仕事をしたなぁと思います。。
さて、以前に 「 フロド 編 」 でも書きましたが、
PJ版の “ 3羽の鷲 ” のシーンは、私には衝撃でした。
ゴラムは指輪と一緒に最期を迎えることができて、
それは彼にとっては、幸いなことだったのかもしれません。
しかし、死んでしまっていいだけの存在では、決してなかったということ、
生きて許される可能性もあったのだということを示したうえで、
それでも、いとしいしとと共に ああした結末に導かれていったのだということを、
< 絵 > として見せてもらえたことが、とても印象的だったのです。
このことに気づかされたのも、映画の三部作を見続けたからなんだよなと
考えてしまう私は、結局、PJ版に対して大甘だということなんでしょうね。。
・・ ということで、いつにもまして、とりとめのない文章となってしまいました。
この先、原作を何度読み返すのか、
PJ版をどれだけ見ることになるのかは、わかりませんが、
私にもいつか、ゴクリ (ゴラム) のことを
ちゃんと語れるようになる日がくるといいな、と思っております ・・