第266代ローマ教皇として、初の南米出身者であるフランシスコ法王が就任された時、
法王は サン・ロレンソ のファンだと、ヴィゴのファンに教えてもらいました。
当初、フランシスコ法王について知っていたのは、そのくらいでしたが、
今では、発言や動向がいちばん気になる方となり、ニュースでもチェックするようになりました。
何故なら、世界規模で影響力を持つ人たちの内、最も真っ当な言動を示される方だからです。
ローマ法王は、カトリックの最高位指導者という立場なので、
その考えには、キリスト教の教えが深く根づいている訳ですが、
フランシスコ法王の場合、常に、社会的弱者への配慮を忘れないところが素晴らしいと思います。
世の中には、キリスト教への信仰を持ってはいても、何らかの事情により、
教義的に "罪" とされるものを抱えて生きなければならない人が、少なからずいます。
そうした人たちへの、厳格に対処する部分と、赦しを授ける部分との、法王のバランス感は、
キリスト教徒ではない、私のような一般人からしても、共感を覚えるものがあり、
"人" を尊重し、"生きる" ことを大切にされるフランシスコ法王の慈悲深い姿勢が、とても印象的です。
*~*~*~*~*~*~*~*~*
映画は、2013年3月のコンクラーベを目前に控えたベルゴリオ(=フランシスコ法王)が、
イエズス会に入ることを決意して以降の半生を振り返る場面から、はじまります。
本編の大半は、この回想シーンであり、その中心を占めるのは、
1976年から1983年までアルゼンチンで続いた、軍事政権下での "汚い戦争" 関連です。
当時、アルゼンチンの管区長だったベルゴリオが、
反政府分子の疑いをかけられた友人、知人を助けるべく尽力したこと。
一方で、教会という "組織" の一員ゆえに、左派分子と目された司祭たちを、
教会としての立ち位置が優先されたことで、救い切れなかったこと、など。
ビデラ政権による国家テロでは、30,000人という行方不明者(実際は、政府により拉致され殺害)が
犠牲になったと言われていますが、ベルゴリオ自身、いつ、捕らえられてもおかしくない、
人が "人" として扱われなかった、生き地獄のような、暗黒の日々が語られます。
そして、軍事政権が倒れた後の故郷を発ち、神学を究めるため、1986年にはドイツへ留学しますが、
"結び目を解く(ほどく)マリア" のエピソードは、非常に感動的です。
悪夢のような独裁政権下から解放されて、まだ数年。
精神的な傷が癒え切っていない状況での渡欧時に、何気なく足を踏み入れた教会で、
懐かしいスペイン語に引き寄せられて知った、聖母マリアへの祈り。
生死が紙一重だった試練の日々をくぐり抜けた後の、その出合いは、まるで神の導きそのもであり、
こうした経験が、今現在の、フランシスコ法王の "強さ=慈悲深さ" の源なのだと思いました。
フランシスコ法王が教皇に着座されて、今年で丸4年が経ち、御年は80歳。
世界は今、確実に時代の変わり目にあると思いますが、
そんな時だからこそ、フランシスコ法王のような方が求められていると、あらためて感じました。
*~*~*~*~*~*~*~*~*
映画 『ローマ法王になる日まで』
◇原題:Chiamatemi Francesco - Il Papa della gente
◇関連サイト:公式サイト ( 日本版 )、IMDb ( 関連ページ )
◇鑑賞日:2017.7.12. 映画館にて
法王は サン・ロレンソ のファンだと、ヴィゴのファンに教えてもらいました。
当初、フランシスコ法王について知っていたのは、そのくらいでしたが、
今では、発言や動向がいちばん気になる方となり、ニュースでもチェックするようになりました。
何故なら、世界規模で影響力を持つ人たちの内、最も真っ当な言動を示される方だからです。
ローマ法王は、カトリックの最高位指導者という立場なので、
その考えには、キリスト教の教えが深く根づいている訳ですが、
フランシスコ法王の場合、常に、社会的弱者への配慮を忘れないところが素晴らしいと思います。
世の中には、キリスト教への信仰を持ってはいても、何らかの事情により、
教義的に "罪" とされるものを抱えて生きなければならない人が、少なからずいます。
そうした人たちへの、厳格に対処する部分と、赦しを授ける部分との、法王のバランス感は、
キリスト教徒ではない、私のような一般人からしても、共感を覚えるものがあり、
"人" を尊重し、"生きる" ことを大切にされるフランシスコ法王の慈悲深い姿勢が、とても印象的です。
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映画は、2013年3月のコンクラーベを目前に控えたベルゴリオ(=フランシスコ法王)が、
イエズス会に入ることを決意して以降の半生を振り返る場面から、はじまります。
本編の大半は、この回想シーンであり、その中心を占めるのは、
1976年から1983年までアルゼンチンで続いた、軍事政権下での "汚い戦争" 関連です。
当時、アルゼンチンの管区長だったベルゴリオが、
反政府分子の疑いをかけられた友人、知人を助けるべく尽力したこと。
一方で、教会という "組織" の一員ゆえに、左派分子と目された司祭たちを、
教会としての立ち位置が優先されたことで、救い切れなかったこと、など。
ビデラ政権による国家テロでは、30,000人という行方不明者(実際は、政府により拉致され殺害)が
犠牲になったと言われていますが、ベルゴリオ自身、いつ、捕らえられてもおかしくない、
人が "人" として扱われなかった、生き地獄のような、暗黒の日々が語られます。
そして、軍事政権が倒れた後の故郷を発ち、神学を究めるため、1986年にはドイツへ留学しますが、
"結び目を解く(ほどく)マリア" のエピソードは、非常に感動的です。
悪夢のような独裁政権下から解放されて、まだ数年。
精神的な傷が癒え切っていない状況での渡欧時に、何気なく足を踏み入れた教会で、
懐かしいスペイン語に引き寄せられて知った、聖母マリアへの祈り。
生死が紙一重だった試練の日々をくぐり抜けた後の、その出合いは、まるで神の導きそのもであり、
こうした経験が、今現在の、フランシスコ法王の "強さ=慈悲深さ" の源なのだと思いました。
フランシスコ法王が教皇に着座されて、今年で丸4年が経ち、御年は80歳。
世界は今、確実に時代の変わり目にあると思いますが、
そんな時だからこそ、フランシスコ法王のような方が求められていると、あらためて感じました。
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映画 『ローマ法王になる日まで』
◇原題:Chiamatemi Francesco - Il Papa della gente
◇関連サイト:公式サイト ( 日本版 )、IMDb ( 関連ページ )
◇鑑賞日:2017.7.12. 映画館にて