ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

「逃げ恥」の問題

2016-12-25 11:45:58 | 日記
「逃げ恥」が話題になっている。「逃げ恥」とは、テレビドラマ「逃げ
るは恥だが役に立つ」の略称である。このドラマは先週の放送で最終回
を迎え終了となった。新垣結衣と星野源が主演のこのドラマを、私も毎
週ぼんやりとだが、楽しく見ていた。

リタイア・オジジ・ブロガーを自認する私は、ブログのネタを仕入れる
ためもあって、いくつかのサイトを閲覧することを日課にしている。そ
のうちの一つでも、このドラマのことが話題として取り上げられていた。
さっそく読んでみた。面白かった。ドラマ以上に面白かった。「ああ、
そういう主張が込められていたのか」と教えられ、その斬新な見方に感
心させられもした。ネット記事には珍しい秀逸で本格的な評論だと思う
ので、この場をお借りして読者諸賢にも紹介したい。

以下で紹介するのは、「リテラ」に12月20日付で掲載された《「愛情の
搾取」問題は最終回でどう着地するのか?『逃げ恥』が疑い続けた男と
女、結婚と恋愛をめぐる価値観》である。

感心させられた点は多々あるが、その一つは、たとえばこんな具合であ
る。長ったらしいタイトルだが、その中で取り上げられている「愛情の
搾取」問題が、安倍政権の「女性の活躍」政策に対する異議申し立てだ
なんて、だれが考えただろうか。少なくとも私は、ドラマを見ていると
き、そんなふうには考えなかった。

まず「愛情の搾取」問題とは、どういう問題なのか。それは、会社の人
員整理に巻き込まれて、近々職を失う予定の平匡(星野源)が、本当に
結婚すれば家事代行のための経費がかからず貯蓄に回すことができると
無神経なプロポーズをしたのに対し、みくり(新垣結衣)が「愛情の搾
取に断固反対します!」と宣言して求婚を拒否したシーンに含まれる問
題である。「え?何か問題でもあるの?」と訝る向きも少なくないだろ
うが(私もその一人だった)、「リテラ」の評者によれば、ここで描か
れているのは、以下のような大きい社会問題なのである。

「みくりは家事労働を「仕事」として引き受け平匡に雇用されてきたの
に、お互いが恋愛関係になった途端、平匡は家事を無償労働として提案
した──。つまり愛情で結ばれた関係であるならば見返りなど求めず家
族のために尽くすのは女性として当たり前、という社会で“常識”とされ
ている価値観を、みくりは愛情を盾にした「搾取」だと批判したのだ。
いわゆる安倍政権の「女性の活躍」とは、女性に“安い労働力”として社
会進出を推奨する一方、家事や子育て、介護などの再生産労働を無償で
押し付け、女性たちに二重負担を迫っている。社会はこの無償労働を
「女性は家事が得意」「女には母性がある」などという社会的につくり
あげられた性役割と「家族への無償の愛」という“尊さ”を女性たちに突
きつけて、二重負担を正当化してきた。そういった愛情につけ込んだ女性
への脅しを、『逃げ恥』は「搾取」として明確に俎上に載せたのである。」


ここに示される評者の分析力に、私は率直に脱帽する。

それだけではない。ドラマでは、こんなシーンがあった。みくりが平匡
に抱きつきながら「いいですよ、そういうことしても。平匡さんとなら
」と思い切った告白をしたのに、平匡は自分に女性経験がないことを彼
女に知られることを恐れ、「無理です。そういうことをしたいんではあ
りません。ごめんなさい、無理です」と拒絶したシーンである。

このシーンを見たとき、私は「あらま、もったいない」と思っただけだっ
たが、評者によれば、ここには、レッテル貼り――「男ならこうすべき、
女だったらこうあるべし」的な性別によるレッテル貼り――によって苦し
められている男女の姿が描かれている。

平匡を演じる星野源は、自らがパーソナリティーをつとめるラジオ番組
で、こう語っているという。
「平匡が拒否するというエンディングになったときに、やっぱりみんな
怒っている怒り方が、メールとかを見ていると、『男なのに何やってんだ!
 女性から申し込まれたそういう誘いを男がなぜ断るか?』って怒ってい
るんだけど、それって、平匡なり、みくりなりがずっと苦しんできた“男に
生まれたから”っていうレッテル、“女に生まれたから”っていうレッテル。
そういうものとまったく一緒なんですよね」

社会によるレッテル貼りの根深さと、それによって苦しめられる男女の
姿――。その姿を描くことによって、このドラマは、社会の価値観に絡め
取られるのではなく、社会観の価値を疑ってみる、そういう姿勢の大切
さを訴えているというのである。

この「逃げ恥」は、朝日新聞の名物コラム「天声人語」でも取り上げて
いたが、「リテラ」の評論を読んだ後では、こちらは少なからず見劣り
を感じる。
朝日のウェブ記事は有料制で、(一日一本以上は)料金を払わないと読
めない仕組みになっている。「天声人語」に比べれば随分と優れている
「リテラ」の評論のほうは、無料で、心おきなく読めるんですけど。
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トランプの核戦略

2016-12-23 15:35:42 | 日記
朝起きて、寝ぼけまなこでテレビを見ていたら、「トランプ次期アメリ
カ大統領が、ツイッターで核軍拡を主張した」と報じていた(ようだ)。
朝食後、訪問リハビリのPTさんが来るまでの短い時間に、タブレット端
末の電源を入れ、「トランプ ツイッター 核軍拡」と入力して、詳し
い情報を入手しようと試みた。以下のような記事が見つかった。

ドナルド・トランプ(Donald Trump)次期米大統領は22日、「世界が思
慮分別をわきまえる」までは、米国は核能力を大幅に強化する必要がある
という見解を示した。
トランプ氏はツイッター(Twitter)に、「米国は核能力を大幅に強化・
拡大しなければならない。世界が核に関し思慮分別をわきまえる時が来
るまでは」と記したが、それ以上の説明はしていない。
トランプ氏のこの発言は、2009年にチェコ・プラハ(Prague)で「核な
き世界」をうたう有名な演説を行ったバラク・オバマ(Barack Obama)
現大統領とは真逆を行くものとなる。
                      (12月23日 AFP)

さて、トランプ次期大統領の考えは、以下のうちのどちらなのだろう
か。
1.世界が核に関し思慮分別をわきまえる時は、やがて必ずやってくる。
そのときまでは、米国はやむを得ず、核能力を大幅に強化・拡大しなけ
ればならない。
2.世界が核に関し思慮分別をわきまえる時は、永遠にやってこない。し
たがって永遠に、米国は核能力を大幅に強化・拡大し続けなければなら
ない。

問題は、「世界が核に関し思慮分別をわきまえる時」を、いずれ必ず
やってくると考えるか、それとも、永遠にやってこないと考えるかであ
る。トランプ自身が、そのいずれを自分が信じているのか、よく分かっ
ていないのではないか。

前任者のオバマ現大統領は、「世界が核に関し思慮分別をわきまえる時」
が必ずやってくると考え、これをなるべく早く実現しなければならない
と説いたが、この自分の主張が世界各国の政治指導者に受け入れられる
時がくると信じていたのかどうか。「核なき世界」の理念が実現する
と、信じていたのかどうか。

大国の政治指導者は、自分が信じていないことも、ときには口にしなけ
ればならない。思わぬ反響があって、ノーベル平和賞を贈られたことは、
彼にとっては、予想外だったかもしれない。

でも、「口だけ番長」の前任者に比べれば、トランプは自分に正直な人
物であるように思える。発言の内容が暴言風であるため、「露悪趣味を
気取っているのではないか」との見方もあるだろうが、そうではないと
私は思う。
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最高裁判決をめぐる社説の攻防

2016-12-22 14:34:04 | 日記
きのうは(沖縄基地訴訟に関する)最高裁の判決に対して、読売と産
経、日経が社説でどういう意見を述べているかを取りあげ、考察の対
象にした。きょうはこの点について、残る全国紙、朝日と毎日、東京
の反応がどうだったかを調べてみよう。三紙とも、最高裁の判決をこっ
ぴどく批判するのだろうなあ、という予測は立つのだが、どういう批
判を展開するのか。

まず朝日であるが、12月21日付の社説《辺野古訴訟 民意を封じ込
める判決》は、今回の最高裁の判決を総括し、「役所がいったん決め
たことは、よほどのことがないと覆せない」という原則に基づいた判
決であるとしている。朝日の見方からすれば、最高裁は、沖縄県政の
トップが選挙によって交代したことを、「よほどのこと」ではないと
判断したということになる。

この最高裁の姿勢に、朝日は「民主主義の理念と地方自治の精神をな
いがしろにした司法の姿」を見て、こう述べる。
「沖縄の人びとの目には、国家権力が一体となって沖縄の声を封じ込
めようとしているとしか映らないのではないか。」
たしかに、今回の判決には、私もそう感じないではない。最高位の司
法機関が国家権力と一体になって、民主主義の理念を踏みにじり、地
方自治の精神をないがしろにする。そうだとしたら、これは嘆かわし
いことだ。

毎日の社説《辺野古で県敗訴 政治的な解決に努力を》は、最高裁の
論理を、こうまとめている。
「最高裁の論理は、前知事による埋め立て承認に違法な点が認められ
ない以上、それを取り消した翁長氏の処分は違法というものだ。」
つまり、「最高裁はこうした点(沖縄県が辺野古新基地建設は地方自
治を保障した憲法92条に反すると訴えた点)にはいっさい言及せ
ず、行政手続きとしての適否の判断に終始した」のである。
このような見方に立ったうえで、毎日は、最高裁の判決の意義そのもの
を否定し、「辺野古移設の問題は、法律論をいくら戦わせても解決で
きないだろう」と述べている。

移設反対の民意が何度も示されているのに、政府がそれを無視して、
前知事の承認を錦の御旗(みはた)のようにして移設を強行するの
は、民主主義や地方自治の精神に照らして、良いことなのかどうか。
この問題の本質は「行政手続きではなく、政治のあり方だ」と毎日は
言う。そして次のように主張する。「政府は自らの手で解決を主導す
べきだ。(中略)回り道のようでも国と県が再度、真摯(しんし)に
話し合いをすることを求めたい。」
うん。たしかにその通りである。

東京の社説《辺野古判決 沖縄の声を聞かぬとは》は、朝日や毎日と
同様の見方に立ったうえで、「選挙という「民意」が現知事の主張を
支持すれば、政策を変更できるのは当然ではないか」と述べ、最高裁
の判決を全面的に否定している。沖縄県民の民意を無視し、否定し、
県民の合意がないまま埋め立てを強行すれば、政府は「民意より米軍
優先」という姿勢を示したことになる。東京新聞は、政府にも批判の
矢を向けている。
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沖縄をめぐる社説の攻防

2016-12-21 17:43:39 | 日記
米軍普天間飛行場の名護市辺野古沖への移設をめぐり、国と沖縄県が
法定で争っていたが、このほど最高裁は国側の勝訴を言い渡した。
きのうはひたすらダンマリを決め込んでいた読売と産経の社説だが、
きょうは打って変わって元気がいい。国側が勝訴したことで、国のや
り方は理にかなっていたとのお墨付きを得たことになり、これで読売
も産経も、おおっぴらに政権側の擁護へと走ることができるからであ
る。
読売は予想通り、最高裁の判決を「妥当な判断」であるとし、「翁長
氏には、最高裁判決を重く受け止めてもらいたい」と主張する。

興味深いのは、読売と産経が、オスプレイの飛行再開問題にふれてい
ることである。きのうはただただ沈黙を守っていたのに、最高裁の判
決がでた今、両紙はどんなふうに述べるのか。

「在日米軍は、不時着事故を受けて停止していた普天間飛行場の輸送
機オスプレイの飛行を「機体に問題がない」として再開した。
オスプレイは米軍の抑止力維持に欠かせず、機体が事故原因でない以
上、再開はやむを得まい。ただし、米軍は再発防止策の徹底や情報公
開に努めるべきだ。」
これは読売の主張だが、「機体が事故原因でない」と決めつけるな
ど、内容は政府見解の焼き直し以外の何ものでもない。文脈上の適否
も考えずに、こういう見解を今になってことさら滑り込ませる読売の
姿勢には、大いに疑問が残る。
一方の産経のほうはどうか。
「判決に先立ち、米軍は名護市沖への不時着を受けて飛行停止してい
た垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの運用を再開した。事故原因
となった空中給油は、改善措置がとられるまで停止を続ける。
政府は、米側の説明に合理性があるとして受け入れたが、地元の反発
や戸惑いは残る。事故の究明や再発防止の徹底を、引き続き米側に強
く働きかけるべきだ。」
こちらは「地元の反発や戸惑い」にふれているだけマシと言えるが、
この文脈でこんなことを言って、産経はいったい何が言いたいのか、
こちらも場違いの感を免れない。

読売や産経と同様、きのうはオスプレイ問題について沈黙を守って
いた日経は、タイトル(《円滑な日米同盟には沖縄の理解が必要だ
》)にも見られるように、読売や産経の、その前のめりの姿勢にブ
レーキをかけるような慎重な論調を示している。
最高裁のお墨付きをもらったからといって、イケイケドンドンで工事
を進めるのはマズいですぞ。「いくら基地をつくっても周辺住民の協
力なしに日米同盟の円滑な運用は望めない。沖縄県民の過重な負担感
をいかに軽減するか。安倍政権はいまこそ対話姿勢を示すときだ」と
いうわけである。

この9回裏のヒットで、日経のきのうのエラーは帳消しになったと私
は感じるが、読者諸賢はいかがお思いだろうか?
コメント (2)
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要注意に政府は社説は

2016-12-20 17:32:35 | 日記
「要注意」のモノには気をつけて、事故を起こさないか、悪さをしな
いか、注意深く監視しなければならない。たびたび事故を起こすので
「要注意」のレッテルがお似合いの軍用輸送機・オスプレイの場合は、
事故原因の解明が済むまでは飛行を認めないとか、事故を起こしたと
きでも大きな被害が出ないように、集落の上空を避けて飛行するよう
制限を設けるとか、何らかの規制が必要になる。

オスプレイの墜落事故を受けて、宜野湾市の市長は、アメリカ軍の幹
部と面会し、上記のような要望を提出した。沖縄県の翁長知事も、稲
田防衛大臣に面会し、オスプレイの配備撤回を要請した。

ところがアメリカ軍は、沖縄住民のそんな声をシカトして、オスプレ
イの飛行を全面的に再開させる方針を打ち出したのである。

信じられないのは、これに対する政府の対応である。菅官房長官は次
のように述べ、米軍の方針にまったく意義を差しはさまなかった。
「米側の説明は防衛省、自衛隊の専門的知見に照らし合理性が認めら
れることであって、本日午後からオスプレイの空中給油以外の飛行を
再開することは、理解できるものと認識をいたしてます。」

こうした政府の対応に、朝日、毎日、東京の三紙はきょう(12月20日)
の社説でいっせいに批判の矢を放っている。

朝日《オスプレイ再開 県民より米軍なのか》
毎日《オスプレイ再開 政府はなぜ認めたのか》
東京《オスプレイ 飛行再開、理解できぬ》

上記三つの社説の論旨は、(タイトルからも窺えるように)だいたい
似たり寄ったりである。三紙とも、名護市沿岸でオスプレイが墜落事
故を起こしたのと同じ日に、普天間飛行場で、別のオスプレイが胴体
着陸する事故を起こしていたことにふれている。これは、オスプレイ
が「要注意」のモノであることを印象づける狙いからだろう。名護市
沿岸での墜落事故について、米軍は、「空中給油の際の給油ホースと
オスプレイのプロペラの接触が原因であり、機体そのものが原因では
ない」と説明しているが、同じ日に起きたこれら二つの事故は、原因
が「機体そのもの」にあることを実証している。

朝日と東京は、本土各地へオスプレイの配備計画があることを取りあ
げ、オスプレイは今後、本土の上空を飛び回る可能性があると述べて
いる。本土の読者に向けて、「これは沖縄だけの問題ではない。他人
事だと見過ごすことはできない」と言おうとしているのだ。

他人事であるかどうかに関わりなく、オスプレイの事故への政府の対
応は、見過ごせない問題である。それだけに、社説でこの問題にまっ
たくふれようとせず、ひたすらダンマリを決め込む読売と日経、産経
の態度は、ことのほか異様に映る。

読売も産経も、政府自民党の方針には賛辞を惜しまない、右寄りの新
聞である。今回の政府の対応についても、反対の姿勢を取らないから
といって、賛成の姿勢をおおっぴらにすることには、無理を感じ、た
めらいを感じるだけの見識が、読売や産経の論説委員にはあったのだ
ろう。

だからといって、今回のようにダンマリを決め込むのでは、読売も産
経も(それに日経も)、「ああ、そういう新聞なのね」と信用を落と
すだけなんだけれどね。
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