ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

少子化問題を見すえて

2018-10-18 11:18:33 | 日記
う〜ん、困った。う〜ん、参った。う〜ん、弱った。「いいね!」と思って
読み終えた文章が、曰く付きの「困ったちゃん」が書いた文章だと知ってし
まったとしたら・・・。こんな「困ったちゃん」が書いた文章を「いいね!」
などと持て囃(はや)したら、当の私が感性を疑われ、「こいつはアホ
だ!」と誹(そし)られかねない。

けさのことである。いつものようにネットの森を散策していたら、サイト
「zakzak」に、次のような記事が掲載されているのが目に付いた。
《【国難突破】「人口激減問題」を正面から見据えよ! 出生率改善は国家
的プロジェクト 》

面白そうだと思って読みはじめると、これがなかなかイケている。
ところが、である。最後まで読み、記されている筆者名を目にして、ぎょっ
とした。小川榮太郎。ーーそう、「新潮45」問題で悪名をはせた、あの文
芸評論家ではないか。その悪評ぶりは、こんな記事からもうかがえる。

新潮45が掲載した杉田水脈議員のLGBT差別文書に大きな批判が巻き起こ
り、10月号で組んだ杉田擁護特集が火に油を注ぐ結果となって、敢え無く新
潮45は実質廃刊となってしまった。なかでも、"便所の落書き"とまで酷評さ
れた小川榮太郎氏の駄文が、首縊りの足を引っ張ったことは間違いない。
(中略)この人物、保守系雑誌の正論やHanadaの常連執筆者で、安倍首相
ベッタリの安倍応援団というより、安倍の幇間である。
            (J-CASTテレビウォッチ10月5日配信)

こういう曰く付きの人物が書いた文章なのだと色眼鏡で読み返すと、たしか
に、そう思われる箇所がないわけではない。日本の人口減を「国難」として
問題視するスタンスそのものが、「LGBTは生産性がない(から問題だ)」と
する杉田論文を擁護するものだと思える。また、第4次安倍改造内閣で地方
創生相に就任した片山さつき議員を「政界有数の強靭な頭脳と辣腕(らつわ
ん)、肝っ玉を兼ね備えた片山氏」などとさり気なくヨイショするのも、こ
の人物が「安倍の幇間」呼ばわりされる所以だろう。

断っておけば、私はこの人物が「新潮45」に書いた問題の「駄文」を読ん
でいない。読んではいないが、杉田水脈議員のLGBT差別トンデモ文書を擁
護しているというだけで、およその判断はつく。

では、肝心の人口減問題について、私はどう考えるのか。それについては、
以前に本ブログで書いたことがあるので、これを再録し、私のスタンスを明
示しておきたい。

********************************

他人(ひと)の為になることをする。それはとても良いことだ。ただし、
それは、そのことが自分の為になる限りでのことである。「自分を犠牲に
しても人助けをせよ」なんて、まっぴら御免。そんな御託は、無責任な政
治家のくだらない妄言(たわごと)だと思って、スルーすればよい。

情けは人の為ならず。そういう諺がある。手元の電子辞書(広辞苑)を引
くと、「なさけを人にかけておけば、めぐりめぐって自分によい報いが来
る。人に親切にしておけば、必ずよい報いがある」とある。そうなのだ。
「自分によい報いがある」と思うから、人は他人になさけをかけ、他人の
為になることをする。ーーそれが人情の自然な生理というものではないだ
ろうか。「自分によい報いがある」と思えないような状況で、それでも
「他人の為になることをしよう」と考えるとしたら、そんな奴はただのア
ホか、無責任な政治家の妄言に踊らされたお人好しに過ぎない。
(中略)
たしかに、少子化対策ということで言えば、なんらかの対策が急がれる現
状はある。厚労省の諮問機関(人口問題審議会)の報告書には、次のよう
に書かれている。
(中略)
この報告書が言うように、少子化の現状を放置すれば「深刻な状況」にな
ることが予測されるとすれば、政権与党の幹事長が焦りを感じるのは当然
だろう。その気持ちは私にもよく解る。この現状を打開しようとすれば、
「産めよ、増やせよ」と昌道するしかない。それによって少子化に歯止め
が掛かれば、我々の社会は「深刻な状況」を脱し、皆がハッピーになれる
のだ。「産む」ことはなるほど「他人の為になる」行いである。

しかし、である。「産む」ことが「自分の為」にならない現状があるとし
たら、どうなのか。保育所が圧倒的に不足しているため、出産した母親た
ちが職場復帰を断念し、育児に専念しなければならない現状がある。出産
した新婚世帯は共働きができなくなり、経済的困窮を強いられる現状があ
る。こうした現状を放置したまま、政治家がただ「産めよ、増やせよ」と
唱えるとしたら、それは「社会の為だ、多少のことは我慢せよ。自分の生
活のほうが大事だ、などと勝手なことを言ってはならない」と言うに等し
い。そこで、そういう妄言に対して、私は私なりに異議申し立てをしたの
である。
             (6月27日《少子化の現状を見据える》)
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