ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

新しいゲーム理論は

2018-01-06 10:56:14 | 日記
このところ本ブログで注目している北大の共同研究であるが、友人であり、ゲーム
理論のエキスパートであるomg05さんから、貴重なコメントをいただいた。その
コメントに対して、今度は私の側からリプライを差し上げる番であるが、やや長く
なるし、内容上のつながりもあるので、コメント欄ではなく、以下のブログ記事本
文の中で述べることにしよう。

さてomg05さんは、こう述べておられる。「『理論的研究』(ゲーム理論)ある
いは"Tit for tat"戦略では、プレーヤーは罰に対し合理的に対応すると仮定されて
いますが、現実的なケースではこの仮定が成り立たない場合が多くある、だからこ
の仮定の見直しが必要だ、と論文は言いたいようです」。

たしかに、ゲーム理論では、プレーヤーが合理的にふるまうことが前提されている。
しかし、現実の人間は、必ずしも常時「自己利益の追求者」としてふるまうわけで
はない。たとえば、北の豚魔大王は、気が触れているのかも知れず、あるいは、認
知症に罹っているのかも知れない。そうでなかったとしても、人はしばしば怒りに
我を忘れて、理性的な判断をしないこともある。冷静な心理状態であったとしても、
彼が「今はアメリカと戦争中なのだ」と思っていたら、彼の判断は、平時の人間の
それとは異なったものになるだろう。

彼がゲーム理論の想定外のふるまいをする場合、「彼は理論の前提を充たしていな
い」、つまり「彼は合理的な人間ではない」と考えられることになるが、この「合
理的でない」場合にも、上で述べたケースのようないくつかのパターンが考えられ
る。北大の実証実験の被験者たちの場合も、従来のゲーム理論からすれば、想定外
の判断(合理的でない判断)をした人が多かったようだ(酒に酔っていたか、ニコ
チンが切れて、苦しんでいる人がいたのかも)。

とすれば、私は思うのだが、「プレーヤーは合理的にふるまう」というのではなく、
「プレーヤーは合理的にふるまうかどうかわからない」という前提に立って、新た
に現実的ゲーム理論は組み立てられないだろうか。新しい現実的ゲーム理論は、合
理的にふるまうかどうかわからないプレーヤーを前提にして組み立てられるべきで
はないか、ーーそう考えるのである。

omg05さん、そんな新理論を考案しているゲーム理論家はいないのでしょうね?
コメント (2)
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