哲学が好きになるのは、知恵のない人。
倫理学が好きになるのは、モラルがない人。
宗教学が好きになるのは、信仰心がない人なのです。
昔むかし、だれかがそんなことを言ったのを思い出した。
数日前に老子の18章を読んでいて、である。
要するに、無いものねだり。
この言葉を聞いたとき、私はまだ大学生で、
哲学に興味を持っていた。
大学院に行って哲学を勉強したいと言ったら、
相手がそう答えた。
答えたのは、哲学の授業を受け持っている女性の助教授だった。
では、ボクもあなたも知恵のない人だということですね。
そういう言葉が口から出かかったが、
私はその言葉をぐっと飲み込んで、口には出さなかった。
無いものねだり。
老子は語っている。
「大道廢、有仁義。智惠出、有大僞。六親不和、有孝慈。國家昬亂、有忠臣。」
〔大道廃(すた)れて、仁義有り。
智恵出でて、大偽(たいぎ)有り。
六親(りくしん)和せずして、孝慈(こうじ)有り。
国家昏乱(こんらん)して、忠臣有り。〕
(人間本来の自然な生き方である「道」が失われてしまったからこそ、人々が仁義などと言い出すのだ。
小賢しい知恵を振りかざす者がいるからこそ、人々は偽り合う様になったのだ。
家族が仲良く暮らしていないからこそ、孝行とか慈愛とかが重んじられるのだ。
国がひどく乱れて安定しないからこそ、忠義の臣などがもてはやされるのだ。)
そういえば、一時期、日本のマスコミや論壇で、
「美しい国日本」のスローガンがしきりに吹聴され、
愛国心の醸成が強調されたことがあった。
ちょうど10年ほど前、
安倍晋三氏が第一回目の総理大臣の職に就いたころである。
「美しい国日本」のスローガンを唱えたのは、
他でもない、おちょぼ口のこの人だった。
あの頃、日本はもはや「美しい国」ではなくなり、
「愛国心」を持つ人もいなくなっていたんだろうなあ。
老子の言葉を噛み締めながら、私はそんなことを考えた。
倫理学が好きになるのは、モラルがない人。
宗教学が好きになるのは、信仰心がない人なのです。
昔むかし、だれかがそんなことを言ったのを思い出した。
数日前に老子の18章を読んでいて、である。
要するに、無いものねだり。
この言葉を聞いたとき、私はまだ大学生で、
哲学に興味を持っていた。
大学院に行って哲学を勉強したいと言ったら、
相手がそう答えた。
答えたのは、哲学の授業を受け持っている女性の助教授だった。
では、ボクもあなたも知恵のない人だということですね。
そういう言葉が口から出かかったが、
私はその言葉をぐっと飲み込んで、口には出さなかった。
無いものねだり。
老子は語っている。
「大道廢、有仁義。智惠出、有大僞。六親不和、有孝慈。國家昬亂、有忠臣。」
〔大道廃(すた)れて、仁義有り。
智恵出でて、大偽(たいぎ)有り。
六親(りくしん)和せずして、孝慈(こうじ)有り。
国家昏乱(こんらん)して、忠臣有り。〕
(人間本来の自然な生き方である「道」が失われてしまったからこそ、人々が仁義などと言い出すのだ。
小賢しい知恵を振りかざす者がいるからこそ、人々は偽り合う様になったのだ。
家族が仲良く暮らしていないからこそ、孝行とか慈愛とかが重んじられるのだ。
国がひどく乱れて安定しないからこそ、忠義の臣などがもてはやされるのだ。)
そういえば、一時期、日本のマスコミや論壇で、
「美しい国日本」のスローガンがしきりに吹聴され、
愛国心の醸成が強調されたことがあった。
ちょうど10年ほど前、
安倍晋三氏が第一回目の総理大臣の職に就いたころである。
「美しい国日本」のスローガンを唱えたのは、
他でもない、おちょぼ口のこの人だった。
あの頃、日本はもはや「美しい国」ではなくなり、
「愛国心」を持つ人もいなくなっていたんだろうなあ。
老子の言葉を噛み締めながら、私はそんなことを考えた。