ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

旅と旅行と

2015-09-24 10:15:53 | 日記

 夏が去り、秋の行楽日和が続くこの頃、旅行への私の思いは日増しに強くなっている。旅に出たい、抜けるような青空の下で、澄んだ空気を思い切り吸い込みたい、と切に私は思う。
 だが、この思いが無いものねだりであることを、私はよく知っている。脳出血の後遺症で片麻痺になり、自由に出歩けない身体になってしまったために、余計に出歩きたいという願望にとらわれる。それだけのことなのだ。
 思い起こしてみれば、発病前の私、自由に出歩くことができた私は、決して旅行好きの人間ではなかった。むしろ私は、旅行が嫌いだった。
 なぜといって、それは私から自由を奪い、私の意思を束縛するからである。空路で海外に行く場合には、航空券の予約が欠かせないし、国内旅行でJRを利用するとなれば、まずもって指定席券の予約が必要になる。いずれの場合にも、泊りがけとなれば、宿泊先の予約も必要になるであろう。そうして私は、定まったスケジュールに従い、定められた通りの軌道に乗って行動せざるを得なくなる。「昨晩は眠れなかったし、今日は天気も良くないから、家でゆっくり寝ていたいなぁ」と思っても、インターネットで予約確定のボタンをクリックしてしまったら、もう変更は許されないのだ。
 「家でゆっくりする」という選択肢を奪う点では、旅行は現役時代の苦役となんら変わらない。私はリタイアして、今は「毎日がサンデー」の状態だが、現役時代には、朝になると定時に起床し、定時に朝食をかき込み、定時にそそくさと玄関のドアを開けて勤務先のビルを目指すという、味気なく退屈極まりない毎日を繰り返してきた。そんな日常と、旅行とはどこがどう違うというのだろう。
 そもそも旅行は、面白味のない退屈な日常を抜け出そうとしておこなう行為であるはずである。言い換えれば、それは非日常を求めてする行為であるはずである。それなのに、この行為自体が日常と完全相似形の平凡なルーチンと変わらないとしたら、そんな行為には、苦役を上塗りする愚行以上の意味はないと言うべきであろう。
 そうではないだろうか?
 え? 旅行は苦役だとしても、それは我々のようなリタイアした老人にとっては、老化防止・ボケ防止のための良いトレーニングになるのさ。だから旅行は愚行だなどとは思わないな、ですって?
  ははあ、旅行の苦役は、リハビリ・ジムの鍛錬の替りだというわけですか。あなた、まだまだお若いですね。現役時代の通勤も、もしかするとあなたは毎日、旅行に行く気分で、あるいはリハビリ・ジムに通う気分で、いそいそとこなしていたのではないのですか。
 だとしたら、私には返す言葉がない。ただただ頭が下がるだけです。あなたは達観した仙人のような人だ。もし私が現役時代に、あなたのような境地に達していたら、早期退職を選ぶのは、もうちょっと先にしていたと思いますがね。(つづく)
コメント
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