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ささやんの天邪鬼 ほぼ隔日刊

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

在日■■■■爺さんの晩年

2025-07-29 09:23:26 | 日記
私が週に二回通っているデイサだが、この高齢者介護施設も最近は国際色が豊かになってきた。
外人が二人いる。
一人は、■■■■■■国籍の■■■■■■■・■■■■さん。
もう一人は、■■■■・■■■■■■出身の■■■■さんである。

■■■■さんとは、同じテーブルを囲んで隣り合わせなので、親しく話すようになった。
もっとも、■■■■爺さんの彼とのコミュニケーションの手段は、もっぱら■語である。■語のヒアリングもスピーキングも苦手な私は、そのつどけっこうなストレスをかかえこむ。
■■■■さんは■■歳。日本に来てもう■■年になる。■■■■■■関係の仕事(■■■■■■)をしていたそうだ。■■人の奥さんがいる。だから彼は■■語でもコミュニケーションがとれるはずなのだが、私と話すとき、彼はなぜか楽しげに■語を使う。
たぶん初対面の日に、私が(かなり!)無理をして、■語で対応したのが良くなかったのだろう。それ以来、彼は私に対して、「こいつは■語が通じる」と誤解してしまったようなのだ。

それはともかく、先日こんなことがあった。私が通うデイサでは、帰りの時間になると音楽(たいていは懐メロ)を流すのだが、この日は誰かのリクエストでばたやん(田端義夫)の「帰り船」が流された。
この唄は(歌詞から判断する限り)終戦に伴って戦地から故国日本に帰還する日本兵の心情を歌ったものらしい。スクリーンにも、ボロの軍服をまとった日本兵のおぼつかない姿が大写しになった。

この唄を聞きながら、私は、「■■■■は一体、どんな気持ちでこの唄を聞いているのだろう」と気になって仕方がなかった。■■■■を見るのがためらわれ、私はまぶたを閉じて眠ったふりをしていた。

帰りの送迎車はドライバーがこのデイサの■■■だったので、私は後部座席から彼に話しかけてみた。

「ばたやんの『帰り船』ですがね、この曲は戦地から帰還する日本兵の気持ちを歌った唄ですよね。■■■■はこれを聞いて、どう思ったのでしょうねぇ?」

■■■■は■■歳。終戦時は■歳だったことになる。だから彼が「日本の敗戦」に何の感慨も持たない可能性はあるが、自分の祖国・■■■■が我々の国・日本とかつて激戦を交わした敵国同士だったことは、知らないはずがない。

送迎車を運転するデイサ■■■の彼は答えた。
「ああ、そうですね。たしかにこの選曲はまずかったかもしれません。今後はこんなことがないように、スタッフに注意しておきます」

この送迎車には利用者の■爺さんが乗っていた。ばたやんの「帰り船」をリクエストしたのは、おそらくこの(■■歳の)■爺さんではないかと私はにらんでいた。その■爺さんが言った。
「なあに、■■■■だって、太平洋戦争がどうのこうのとか、日本の敗戦がどうのこうのなんて、そんな昔のこと、気にしてはいませんよ」
■爺さんのこの言葉は、この曲をリクエストした自分を正当化しようとして出た言葉に違いなかった。
私はこう言い返したかった。

「あんたみたいに鈍感で無神経なら、たいていのことは気にならないでしょうが、人間、だれもがそれほど鈍感であるわけじゃないですから・・・」

そう言いかけたとき、送迎車が我が家に着いたので、私は何も言えなかった。「それじゃあ、■さん、お先にどうも」とだけ言って、私は車を出た。

*固有名を書くと、必ずクレームが涌く。面倒くせえなあ・・・。

日本国憲法には、こう謳われている。
「第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。」

きのう固有名をめぐって湧いたボウフラは、この憲法21条の理念を蹂躙し、重大な憲法違反の犯罪を犯していることに気づかないのだろうか。これによって私が被った精神的苦痛がどれほどのものなのか、冥土の土産に、損害賠償の訴訟を起こしたらどうかと思案中である。
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石破首相「続投」に固執する理由、固執できる理由

2025-07-27 10:46:04 | 日記
四面楚歌の石破首相だが、彼はなぜこれほど続投に固執するのか。固執することができるのか。
こんな記事を読んだ。

『首相が退陣の意向を固めた』との一部報道が伝えられた23日夜、首相は周囲に『古い自民党には戻したくない』と強い口調で語った。
首相が『古い自民党』として強く意識するのが、『石破おろし』を主導している面々だ。首相は『石破おろし』は派閥単位による政治行動であり、とりわけ派閥の裏金問題の震源地だった旧安倍派が活発に動いているとみているからだ。首相は周囲に『こんなでたらめをやられてたまるか。だれがここまで自民党を駄目にしたんだ。自分のことしか考えていない』と強い憤りを見せる。

(朝日新聞7月26日)

なるほどねえ。石破首相は「強い憤り」の中で、党内の「石破おろし」に対抗する・うまい手立てを考えだしたようだ。石破首相の言い分はこうだ。
先の参院選で有権者が忌避したのは、あくまでも(裏金体質の)「古い自民党」であって、(出直しを図って模索中の)「新しい自民党」ではない。私、石破は「新しい自民党」のリーダーなのだから、参院選での大敗の責任を問われる筋合いはない、むしろ責任をとるべきなのは、これまで「古い自民党」を牽引してきた旧安倍派の面々ではないか、というわけである。

う〜む、自民党が新旧の二つの勢力に割れ、がちんこでいがみ合う現状では、この党の分裂はどのみち避けられない。そんな気がする。「古い自民党」と「新しい自民党」とは、しょせん水と油であり、折り合う見込みがないとなれば、袂を分かつしかないだろう。

実際、智謀にたけた石破首相は、「いっそのこと、党を割ってはどうか」と旧安倍派に持ちかけるタイミングを見計らっているのかもしれない。「古い自民党」と「新しい自民党」に党を割れば、自分たち「新しい自民党」の側は、有権者からそこそこの支持を得ることができる。
一方、敵側・「古い自民党」の側がどうなるかは、言うまでもない。こちら側は次の選挙では大敗間違いなしだろう。

「古い自民党」の命運はだれが見てもはっきりしている。「古い自民党」に仕分けされるセンセ方、旧安倍派のセンセ方も、自民党が新旧に分裂すれば自分たちが生き残れないこと、地獄を見ることは必至だとわかるから、「これはヤバい!」と腰砕けになり、「お願いだ、党を割らないでくれ」と「新しい自民党」のリーダー、石破氏に泣きつくことになる。

そこで、石破首相はこう答える腹なのだ。

「そうですか。断っておきますが、私は退陣しませんよ。続投するつもりです。それでも良いのですね。」
ついさっきまで「石破おろし」にしゃかりきになっていた旧安倍派のセンセ方だが、事ここに至っては「はい、異存ありません」と答えるしかないだろう。

石破首相が四面楚歌の逆風にもかかわらず、「私は退陣しない、続投する」と言い張る理由の一端が、わかった気がする。

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石破退陣はあるのか

2025-07-25 09:06:07 | 日記
石破首相が退陣しないという。図々しくも居座るのだという。

う〜む、わからない。この人の頭の中が、わからない。
この前の参院選で負け、その前の東京都議選でも負け、さらにはその前の衆院選でも負けと、立て続けの3連敗にもかヵわらず、「責任をとれ!」、「スリーアウト・チェンジだ!」の声もどこ吹く風。いけしゃあしゃあと居直りの構えなのだ。厚顔無恥にもほどがある。

このご仁、自民が大敗した理由がまるでわかっていないのではないか。「信なくば立たず」という。先日の本ブログで、私は次のように書いた。
「言行不一致、羊頭狗肉、ホンネとタテマエの使い分け、腹に一物(いちもつ)、ーーこうしたこの党の「お家芸」は、この党につきまとう一連の問題ーー旧統一教会問題や裏金問題ーーにも示されている。」
(7月21日《(臨時投稿)参院選での自民大敗の原因を深堀り》)

これまで、こうした自民党の「お家芸」を散々見せつけられてきた国民は、自民党政治に辟易し、この党への信頼を失ってしまっているのだ。自民党が国民の信頼を失ってしまった以上、自民党政治は成り立つはずがない。

しかも「覆水盆に返らず」と諺に言うように、一度失った信頼は、そう簡単には元に戻らない。「心を入れ替え、誠心誠意、国民のためになる政治を行えば、国民はわかってくれるはずだ」と言ったところで、後の祭りである。

そこで、ひとつ提案があるのだが、自民党はここらでいったん下野し、野党に政権を渡したらどうだろうか。お手並み拝見、と行くのだ。野党が政権政党として行う政治を国民が見て、これまでの自民党政治と比較し、「なんのかんの言っても、自民党政治のほうが良かったよなあ。やっぱり腐っても鯛なのさ」ということになれば、政権は自ずと自民党に戻ってくるだろう。

石破くんよ、あんたは当年とって68歳。まだまだ若いのだから、ここは潔く身を引いて、来るべき「野党政権の後」に備えるべきではないかな。

ーーあ、待てよ。「下野する」とか、「野党に政権を渡す」とかいっても、そもそもそんなことができるのだろうか。手続きからいえば、そのためには、国会での首班指名選挙で、いずれかの野党の党首がトップの票数を獲得しなければならない。そのためには、野党が一致結束して、いずれかの野党党首の名前を書かなければならない。
実際はどうか。昨年秋の首班指名選挙では、当時野党第1党だった立憲民主党の党首・野田佳彦代表が他の野党に頭を下げ、「投票依頼」をして回ったのに、他党からの援護射撃は得られず、結局、総理大臣になることができなかった。

それもそのはず。一括りに「野党」といっても、中身はてんでんばらばら。基本政策が全く違う。そんなばらばら野党の各党が一致結束して、どこかの党の党首を首班に担ぐことなど、しょせんあり得ないのだ。

とすれば、望むと望まざるとに関わらず、現与党・自民党の石破総理が「首班候補者」の第1位として票を集め、首班に、つまり内閣総理大臣になってしまうのではないか。


ーーあ、もしかしたら石破くん、こうした成り行きを見越した上で、「私は退陣しない、続投する」と言っているのかな・・・。やれやれ。


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外地で敗戦国民は(その3)

2025-07-23 10:18:00 | 日記
(承前)
これまで二回にわたり、NHKの番組「映像の世紀バタフライエフェクト ふたつの敗戦国」で放送された内容を、文字に置き換えてみた。これを読んで、「ずいぶん盛り沢山だな」と感じた人も多いことだろう。
だが、モノクロとはいえ、映像によって伝えられる情報はその何倍ものボリュームがある。いずれも私が初めて見る映像ばかりで、その迫力に私は圧倒された。感無量の一語に尽きる。

この番組がつむぎだした一連のドラマは、私には手の届かない歴史上の伝説のようなものだったが、身近に感じ、「今現在のこの現実も、歴史を背負っているのだなぁ・・・」と感じさせる事例もあった。
たとえば、「筑波の研究学園都市は、引き揚げ者が切り開いた戦後開拓地だった」という話を聞いて、私は「ああ、そうか、あのことだな」と思い当たった。
私は今、何を隠そう、筑波の研究学園都市内に暮らしている。数年前、デイサの利用者であるかなり高齢の老人がこんなことを言っていた。
「ここらは昔、どこも開拓地だったんだよ。開拓したら、その分だけ自分の土地にしてもらえたから、みんな必至で、精を出して働いたもんだ」

数年前、この話を聞くまでは、私はこの一帯が戦後開拓地であることを知らなかった。この開拓事業が引き揚げ者や復員兵の救済のために始められた国家事業であることは、NHKのこの番組「映像の世紀」を見てはじめて知った事実である。
「一昔前、このあたりはひどい寒村だったらしい。夕方暗くなると、追い剥ぎが出たそうだ。それが、突然『研究学園都市』構想が持ち上がり、近代的なビルが立ち並ぶとともに、地価が高騰して、このへんの土地持ちはにわか成金の金持ちになったらしい・・・」
私はそんな認識しか持っていなかった。だが、このNHKの番組を見たあとでは、良いことづくめではなかったことがわかる。禍福はあざなえる縄のごとし、という。このあたりにはどんな「禍」があったのだろうか、と私は想像をめぐらせたが、知る由もなかった。

私が知らなかったこと、再認識を迫られたことは、この他にもある。私が学生だった昔々、成田空港の建設をめぐって「三里塚闘争」が盛んだったが、新左翼までが加わって展開されたこの反対運動の意味が、私にはよくわからなかった。
成田に新空港が建設されれば、三里塚付近一帯の土地は空港用地として接収の対象になる。だが、この土地の地主たちが多くの血を流してまで国家権力と戦う意味が、私にはわからなかった。彼らがなぜそこまで自分の土地にこだわるのか、それが私にはわからなかった。

だが、この番組を見て、私は合点がいったのである。三里塚の地主たちが自分の土地にこだわるのは、そこが長年、自分たちが苦労をして切り開いた土地だからなのだ。

過去の歴史を知ることで、初めて明らかになる今現在の意味がある。この番組は、さまざまな「悲劇」の具体相を示して見せることによって、血と涙に染まった「歴史」の重さを我々に教えてくれた。力作というべきだろう。


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(臨時投稿)参院選での自民大敗の原因を深堀り

2025-07-21 13:51:46 | 日記
きのう7月20日は参院選の投票日だった。私は投票には行かなかった。
「なにぃ〜!ブログで社会時評もどきをやっておきながら、何たる不届き。面倒くさがりも大概にしろ!」とお叱りを受けるかもしれないが、ひとこと弁解をさせていただきたい。
私は片麻痺のため、どこに行くにも車イスが欠かせないのである。
投票所に行くとなれば、老妻にお願いして、猛暑の中、1時間近くをかけて(車イスに乗った)私を押してもらわなければならない。
ずっと以前のブログにも書いたことだが、デイサ施設の中に期日前投票所を設置してもらえれば、私は躊躇せずに投票をしたことだろう。

罪滅ぼしに、と言ってはナンだが、今回の参院選について、私の受けとめを書くことにしよう。自民大敗の原因について、私はどう考えるのか。

今回の参院選での自民党大敗の原因は、この党が選挙前、急きょ「外国人との秩序ある共生社会実現に関する特命委員会」なる仰々しい名前の委員会を立ち上げたことによく表れている。そう私は思っている。これは「国民の安心と安全のための外国人政策」の一環だということで、自民党は「外国人政策」の基本方針として、次のように提言をしている。

・法令遵守の徹底:公の秩序の維持の観点も踏まえ、ルールを守る外国人を受け入れ、ルールを守らない外国人には厳格に対応
・制度の適正利用:制度の目的に反する利用を防止するため、制度・運用を適正化
・透明性の確保:土地の取得や制度の利用状況について、国籍等の実態を把握

自民党が急きょこのような提言を発表したのは、このところ躍進著しい「参政党」が露骨に排外主義を打ち出し、参院選の争点に「外国人対策」の問題が浮上してきたからだろう。「我が自民党も外国人対策をまじめに考えているのですよ」というわけだが、上に見られる個々の提言は、いかにも自民党らしい、というのが私の受けとめである。

どういうことか。
自民党はまずもって「外国人を排斥するのではなく、共生を目指します」と言うが、この「共生」には「秩序ある」という限定が付けられている。つまり、自民党が受け入れるのは、あくまでもルールを守り、秩序を乱さない「良い外国人」であって、そうでない外国人、「悪い外国人」に対しては、我が自民党は厳格に対処しますよ、というのである。
つまり、外国人だからといって特別扱いするわけではなく、日本人に対してと同様、是々非々の対応をとるということである。

この提言がいかにも自民党らしいというのは、ここには自民党のお家芸である「言行不一致」があからさまに見てとれるからである。

どういうことか。
自民党は人手不足の労働力を補うため、外国人労働者を積極的に受け入れてきたが、「外国人技能実習制度」なる妙ちきりんな制度をつくり、外国人に低賃金での労働を押しつけてきた。
この技能実習制度は「発展途上国への技術移転を目的とした制度」であるとご大層に謳っているが、実態はといえば、これは発展途上国の外国人を低賃金で働かせるための制度であり、羊頭狗肉も甚だしい。

つまり、ホンネの部分にある底意は「日本人ファースト」の発想であり、これではあの「参政党」と何ら変わるところがない。むしろ自民党のほうがヨリ巧妙な、ヨリずる賢い策略をめぐらしており、手練手管の点では自民党のほうが参政党より一枚も二枚も上手(うわて)だと言わなければならない。

問題は、自民党のこうした手練手管ぶりを、有権者がどう受けとるかである。
事は外国人問題だけではない。言行不一致、羊頭狗肉、ホンネとタテマエの使い分け、腹に一物(いちもつ)、ーーこうしたこの党の「お家芸」は、この党につきまとう一連の問題ーー旧統一教会問題や裏金問題ーーにも示されている。

今回の参院選では、争点に「外国人問題」が浮上したことから、自民党は大慌てでこの問題に対する「提言」を発表したが、美辞麗句で飾られたそのお題目を見て、有権者は「ああ、またあれか・・・」と、この党の「お家芸」を思い出し、うんざりしたに違いないのである。
この党の手練手管ぶりに比べれば、参政党・神谷代表の弁舌はまだしもナイーブであり、ストレートで虚飾がなく、誠意が感じられて、なんと好ましいことか。
はからずも自民党は、反面教師として、参政党の引き立て役になってしまったのである。

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