「ゆるちょ・インサウスティ!」の「海の上の入道雲」

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1月30日(知恵者、厩戸皇子だからこそ!)

2012年01月30日 | 毎日のしあわせの為の知恵
おはようございます。

えー、月曜日ということで、まあ、元気にがんばっていきたいわけですが、

まあ、最近は、デニムの下に履くタイツが手放せません(笑)。

まあ、とにかく暖かくしないと・・・ということで、もう、ほんと、防寒装備バリバリです。

まあ、ゆっくりと春を待ちますかねー。


さて、久しぶりに歴史の話でも、しますかー。


昨日、BSで聖徳太子の話やってましたねー。

まあ、いわゆる、

「聖徳太子については、日本書紀にその記述があるだけで、多くの功績があるが、それをひとりの人物がやったとは、証明できない」

「だから、これは、複数の人物の功績を、ひとりの象徴的な人物を作り上げ、その人物の功績とした・・・のではないか」

という説ですね。


まあ、番組では、いろいろな観点から論じてましたけど、結論的には、

「乙巳の変で、蘇我氏を倒した中大兄皇子と中臣鎌足が、蘇我氏は悪人だったから、とでっちあげたくて、その代わりに、聖徳太子の子を殺した蘇我氏」

「の印象悪くするために、100年前の聖徳太子そのものをスーパーマン化した」

ということでしたけど、まあ、それはそれとして、

「十七条の憲法も、日本書紀を書いた人間の創作ではないか」

という物言いについては、僕は明確に反対の立場です。


というのも、十七条の憲法を読んでいけば、この条文を書くには、仏教道教その他の知識がまず、根底になければ、書けない内容だ、ということがわかるからです。

かなりの知識人でなければ、書けない内容であり、さらに、僕がこの十七条の憲法を重要だと考えている理由は、第一条として、

「和をもって尊しとなす」

をあげているからです。


これは、日本人の最高正義を言い当てているんです。


これを見極められるひとってのは、相当の知識人であり、知恵者でなければ、ならない。


つまり、この仕事を成し遂げられる人間は、限られてくる、ということです。


で、この仕事を成し遂げられる人間であれば、例えば、当時の対中国外交の話も、納得が行くんですね。


まあ、有名な話ですけど、当時、日本が中国に送った書簡は、

「日出処の天子、書を、日没する処の天子にいたす。恙無きや」

なんですけど、これー、僕は考え違いしていたのは、

「日出処、日没する処」

という表現が、仏教書で、東、西という意味を現していた、ということなんですね。


つまり、これを書いた人物は、その仏教書の出典を俺は知っているんだぞ、というアプローチだったりするわけです。


まあ、中国の皇帝は、これくらい知っているだろうということで、ある意味、煬帝は、試されたということです。

当時の日本は、中国に比べれば、東夷そのものだったわけで、

この書簡を送った人間は、

「俺はインテリだけど、おまえ、この出典わかるか?」

とぶちかましてきたというわけで、中国の皇帝はさぞや、

「こいつ、やるな」

と思った、ということになるわけです。


まあ、よく教科書なんかでは、対等外交を狙ったなんて解説がありますが、

今ひとつよくわからなかったんですけど、

「おまえ、これくらいの知識あるか?」

という問いですからね。これ。

だから、

「俺は東夷でもなんでもない。おまえ、これわかるか?」

というメッセージなんですよ。

だから、対等外交になるんですよ。そういう解説がないとだめなんだよねー。


まあ、だいたい外交というのは、当事者がどれくらいの能力を持っているか、それを見切る、という行為が大切になりますから、

この書簡を送った人物は、かなりのやり手だったと想像出来るわけです。


だから、この書簡を送った人物と、「和をもって尊しとなす」を十七条の憲法の第一条に置いた人物は、同程度の知恵者であり、

同一人物と考えても、いいのではないか・・・と僕は考えていますね。


知恵者と知識者は、違うんです。


知識がいくらあろうと、そこから知恵を引き出せなければ、単なるウィキだ、そいつは。

まあ、番組では、多くの渡来人が厩戸皇子に知識を与えたから・・・みたいな話をしていましたが、

結局、知恵者にならないと、知識者を使えませんからね。


だから、僕は、そこのニュアンスが違うと思いましたね。


多くの知識者がいたから、厩戸皇子は多くの業績を残せた・・・そういうニュアンスではなく、

多くの知識者から知識を預かり、そこから知恵を作り出していたからこそ、日出処の天子表現だったり、和をもって尊しとなすをしっかりと言葉に、

出来た・・・それが知恵者、厩戸皇子であり、だからこそ、多くの業績を残せた・・・そう僕は見ますねー。


知識者になんか、なっちゃいけない。常に知恵を作れる人間でないと。


まあ、だから、僕は、聖徳太子はいた、と考えますね。

知恵者になり得た厩戸皇子だからこそ、聖徳の号を得た・・・そういうストーリーだと僕は見ますね。


ま、このあたりは、さらに研究が必要だと思いますがね。


とりあえず、知恵者厩戸皇子だからこそ、というのが、結論かなー。


業績を残せるのは、知恵者です。知識者は、思考しなければ、知恵者になれませんからねー。


そのニュアンスの違いが、大事なんだなーと僕は思いますね。


さて、今日は月曜日。寒いかもしれませんが、がんばりましょう!



ではでは。