「ゆるちょ・インサウスティ!」の「海の上の入道雲」

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1月12日(ひとの中身は、その言葉でわかってしまうもの!)

2012年01月12日 | 毎日のしあわせの為の知恵
おはようございます。

自分で超朝に起きておいて、

「寒い、寒い」

と言っているのも、なんですが、

まあでも、

「頭の回転には、いいかな」

と普通に思っていたりするわけですけどね。

まあ、スッキリして仕事は、捗りますねー。


つーか、今年最低気温だそうで・・・そりゃ、寒いわな(笑)。



さて、なんか、昨日、兵庫県の知事が、「平清盛」に対して、

「薄汚れた画面」

などと発言したそうですが、人間というのは、吐く言葉でその人間の能力がわかってしまうという、典型例ですねー。


さて、それに対して、神戸市の市長は、

「私は違和感はなかった。ドラマは人物を描くという点からすると、地味かどうかを引き合いに出すのはどうか」

ということです。


どちらの人間がモノを見る能力を有しているか、わかるってもんですよね。


実際、あの画面を、

「薄汚れた画面」

としか、捉えられない、ということは、どういう意図で、ああいう表現をしているか、そういうことを汲み取る能力すらない、ということになるわけです。


他人が何らかのメッセージを出している、というのに、その意図すら考えない人間、ということになるわけですよ。


僕は「平清盛」が本放送されるまでに、幾多の「平清盛」を盛り上げる番組を見てきました。


そこでは、たくさんの人間が、この、

「平清盛」

を盛り上げようと、一致団結して、尊い汗をかきながら、がんばっている姿が現されていました。

「いい作品にして、たくさんのひとに見てもらおう」

そういう思いが、画面から、伝わってきた。


もちろん、がんばりゃ、すべていい、というわけじゃないけれど、

少なくとも、それが観光振興にもつながったり、なにより、今の震災後のこの日本に勇気や元気を与えられればいい、という思いを持って、

やっていることが、よーくわかる。


「この時代の日本のために」


そういう思いが、あの「平清盛」の本放送から、透けてみえる。


そういう作品に対して、

「薄汚れた画面」

という捉え方しか出来ないということは、

「平清盛」=兵庫にお金を落とすためのツール

としか、見てない、ということになりますね。

「こんな薄汚れた画面じゃあ、兵庫にお金が落ちないじゃん。何をやっているんだ、NHKは!カス野郎!」

そういう思いから、発言している、ということになります。この知事は。


何もわかっていない・・・というか、ひとの気持ち、それすらわかっていない。


さらに言えば、知事がそういう介入発言をすることが、どういうことかも、わかっていない。


人間として、どうなんでしょう?こういうひとは。


ま、俺偉い病の典型事例、ということでしょうね。


まあ、それに「薄汚れた画面」と言いますが、あれは平安時代末期の末法の世、混沌とした風景を表現しているモノで、

それすら、理解していないってことになるわけよ。


時代を表現するのが、大河ドラマの本分でしょ?


それが理解出来ないってことは、大河ドラマを理解する能力がないってこと。

そういうおっさんに何か言われたくないね。普通に。


まあ、だから言葉ってのは、怖いわけですよ。


自分の能力が劣悪だということが、すぐにバレちゃう。


怖い怖い。


日本人は、そういうの、すーぐ見抜くからねー。



まあ、話は変わりますが、「平清盛」のプロデューサーが、脚本家の藤本有紀さんに対して、

「歴史上の出来事を、ただ、そのまま描くやり方ではなく、それぞれが意味を持つストーリーとして再構成している。素晴らしい脚本家さんです」

ということを言っていました。

これ、前段の、

「歴史上の出来事をただ、そのまま描く」

というのは、どう考えても、ヘッポコ大河「江」を指しているモノでしょう。

つまり、このプロデューサーは、

「「江」最悪。あんなの歴史年表をただ映像化したに過ぎないじゃん」

と思っていることがだだわかりで、ちょっと笑いましたねー。


まあ、まったく同感ですけどねー。


まあ、ひとの言葉ってのは、おもしろいですね。

いろいろなことがわかってしまう。


ま、僕もせいぜい、言葉を大事に生きていこうと思います。


さあ、今日は一晩の冷え込みということですが、

寒さに負けず、がんばっていきましょう。


ではでは。