12月3日に父が82年の生涯を終えました。
このイラストは、遺影のために選んだ写真を長女がイラストに
しました。
我が家の娘3人と、妹のところの息子2人。
孫5人が色紙に寄せ書きをし、おじいちゃんへの思いのたけを
書き記し、ひつぎに納めました。
20年前に心筋梗塞の発作で倒れ、その時はドクターの
適切な処置で一命を取り留め、通院しながらも普通の生活を
送ってきた父。
今年6月に倒れ、入院し、いったん元気になり退院はしたもの
の、心臓の機能は弱っており20%ほどしか動いていないとい
われていました。
10月にふたたび倒れ入院し3週間ほどで退院し、その後は
穏やかに家で過ごしており、顔色も体調も良好でした。
倒れた12月3日は、朝少々お腹の調子が悪く、トイレに入り
汚れたのでお風呂に入ると言いゆっくりとお風呂に浸かり、
出るものを出したらスッキリとしたなどと言い、大好きなパン
を食べ、普段あまり飲まない冷たいお水を飲んで「ああ、美味
しい!水がこんなに美味しいなんて今気づいた」などど話し、
遊びに来ていたご近所の友達と冗談を言い合い笑っていたと。
その友人が「お昼も近いから帰るわ」と帰宅され、父も「それじゃ
オレも少し休もうかな」とベッドに向かおうとしてそのまま横に
なり、大きな息を数回してそのままこと切れたということです。
まるで自ら身を清め、末期の水を飲み、安らかに眠るような最期。
入院中に同室の人たちが、おむつをあて、認知症のような症状に
なっているのを見て、「オレは家でコロっと逝きたいな」などと
母に話していた通りの大往生でした。
救急車で病院には搬送されましたが、すでに家で心肺停止の状態。
病院の先生は「もう、ここまでよく頑張ってこられました。これ
以上痛い思いをさせるような、心臓マッサージはやめてもいいで
すよね?」と言われたということで、本当にあっという間の出来
事だったのです。
3日の火曜日に亡くなり、通常ならば4日5日でお通夜葬儀となる
けれども、親戚が遠方から駆けつけて来られるし、5日6日でどう
かと思えば、6日が友引になる…
それで、やや時間は置くけれども6日お通夜、7日が告別式という
流れになり。。
その分家族で父を囲み、ゆっくりとお別れをすることができました。
もし、6月の発作の時に亡くなっていたら、あまりの突然のことで、
私たちもショックが大きかったかもしれないけれど、この冬を越せる
かどうかが山場だと言われていたので、ある程度の覚悟もあったり。
いつかは来る別れの時、それでも家族で父を心おきなく送ることが
出来、幸せな最期だったと思っています。
母が一人暮らしになることが、少し心配ではありますが、現在は
健康的にも不安はなく、どうにか生活の面では不安はなさそうかと。
妹も車で1時間以内の場所に住んでいるので、小まめに面倒を
見てもらうと言うことになりそうです。
私たちも、もっともっと母の元へ出かけてあげようかと思います。
心よりお悔やみ申し上げご冥福をお祈りいたします
ご遺族にも思いやりのある穏やかな御最期でしたね
そうは言っても悲しく、寂しく、お力落としでありましょう
寒さ厳しき折、心身ともにご自愛なさいますようにお祈り申し上げます
父は自分の思うままの人生を送り、最期はみんなに
笑顔とよい思い出を残して旅立ちました。
若いころのやんちゃ話を、父の高校時代の後輩の方に
うかがったり、昔勤めていた会社の同僚の方々もお出で
下さったり。
何だか、悲しいけど笑ってしまうという、お葬式でしたよ。
大往生で人生を終えた人の葬儀は、楽しい雰囲気になる
って聞いたことがあったけれど、本当なんだなって思い
ました。
私も自身の健康と母への気遣いを忘れずに日々を過ごし
て行きたいなって思っています。
亡くなられたことは悲しいことですが、羨ましく思える
最後を迎えられました。私も最後のときはこうありたい
と思います。
いつかは命の終わりの時がくるわけですが、満足のいく
最期の時を迎え、こういう亡くなり方は理想的なのかも
って思いましたよ。
これからも、一日一日を大切に過ごして行きたいなって
思います。