さーて、ひとつ前のブログの続き。
「あのときの王子くん」というのを、iPhoneのアプリで読んだ。「豊平文庫」というアプリで、おそらく著作権的なものが切れた作品などを読むことが出来るもの。数万冊ほどの登録があるらしいが、30作品までは無料で読むことができる。
「あのときの王子くん」というと、まったく聞きなれないタイトルだけど、「星の王子さま」の新訳。
世間では「星の王子さま」はとてもいい本とされている(気がする)ので、一度は読んでみたことがあるし、また旦那が演奏で参加させてもらったミュージカル「星の王子さま」も見に行ったし…だから話は分かってるつもりだった。
いや、分かってるってのは嘘だな。良く意味の分からん話だ…ということが分かった…という方が私の場合は正しい気がする。
大学を卒業したころから、ようやく本を読むようになった私なんだけど、それでも一番多いのは、いわゆるハウツー本ってやつで、そうじゃなくても科学とか音楽とか、心理学みたいな、何かしら学問的なもの。小説は、旦那がいっぱい読んでいるので、それを勧められてちょいと読んだりする程度。
そんな人だから、きっと「星の王子さま」の言わんとしてることが、今一つ良く分からず、何だか荒唐無稽な童話だな?みたいな印象であった。
で、その「豊平文庫」というアプリ。初めに3作品が自動的にダウンロードされているというわけで、あとの2作品が日本の純文学だったもんで、それならちょっとライトなタイトルの「あのときの王子くん」を読んでみよう、となったわけ。
最初は「新訳」だなんて知らなかったんで、続編?なに?ってな調子。
読んでいくと、どうも前に読んだ「星の王子さま」と同じイベントが。でも、「あれ???前に読んだときって、こういうんだったっけ?」という、何だか伝わってくるメッセージが違う感じ。
童話だと思っていたけど、これはフランス文学って感じ。観念的な様な、ものすごく具体的な様な…
で、あとがきも含めすべて読んでみて正直…
カルチャーショック!!!!
こういう話だったのか!という驚きもさることながら、なんだか今の自分に向かって発せられてるメッセージを物語で受け取ったかのような、凄い衝撃。
ここへ至って、ようやく前置きが終わり、前のブログの続きとなるのだ!
「ばらのためになくしたじかんが、きみのバラをそんなにもだいじなものにしたんだ。」
「ひとって、はやいきかんしゃにむちゅうだけど、じぶんのさがしものはわかってない。ということは、そわそわして、ぐるぐるまわってるだけ。」
「そんなことしなくていいのに…」
「ぼくが、ちいさなおとこの子だったころ。クリスマスツリーがきらきらしてて、夜ミサのおんがくがあって、みんな気持ちよくにこにこいてたからこそ、ぼくのもらった、あのクリスマスプレゼントは、あんなふうに、きらきらかがやいていたんだ。」
むむむん…かなりぐっときた。
こうやって抜き出して書いても、さっぱりポンポンだと思うんだけど、全部読んでみてだとなんだか痺れたんだ。
話の途中に、喉が乾かない薬を売っている人の話が出て来る。どうして売ってるの?というと、水を飲む時間が一週間に53分節約できる…その53分でやりたいことをやることができるって。王子さまは「ぼく、53分もじゆうになるんなら、ゆっくりゆーっくり、水くみ場にあるいていくんだけど…」って。
自分の中で、なんかたくさん無駄な時間だと思って省いてる事がある。
ときにはこうやってブログを書いたりする時間に練習した方がいいとかも思う。
ご飯を作るとか、食べるとかそういうことすらも何だか無駄な時間に感じたりする。
出かけるとか、そういうことも練習する事考えたら、無駄だと思っている節がある。
だからって、結局一日中練習するわけでも出来るわけでもない。
飲み会に行くのは無駄だな、と思ったりもする。行ってしまえば、もう何もできないんだから、と超楽しむんだけどね!
人づきあいなんかも、そんな風に思っているのかもしれない、と自分の深層心理を推し量ったりして。
でも、「ばらのためになくしたじかんが、きみのバラをそんなにもだいじなものにしたんだ」というあたりで、何か(あるいはだれか)のために何かをするってことは自分の時間をなくすって事だけど、そのことがあったからこそ、その何か(だれか)が自分にとってとても大切なものになる、ってことだ…って。
ハッとした。
ホントだ…と思った。
誰かと時間を過ごす。
それは、目標に向かって一目散に進むために無駄を省くという観点から言ったら、無駄な時間だ。
でも、そうやって時間を使った事で、その人が自分にとってかけがえのない人になる。
何かに打ち込む。
それだって、見方によっては無駄なことかもしれないけど、その自分の時間をそのもののために費やしたことで、その何かが自分にとってかけがえのないものになる。
世の中には、数え切れないほどのモノや人や生き物がいる。
でも、自分の時間を使ったモノやヒトや生き物は、他のたくさんのモノとは違う、唯一的な自分にとって大切なものになる…。。。
あー、ホントだ全くホントだ…(T_T)
どうして今更、「星の王子さま」(あのときの王子くん)を読んでそんなことを知るのだろうか!!!
でも同時に、いつも神様は今の自分にとって必要なことを授けて下さる…そんな風にいつも感じている。だから、今回も今私に必要だから、この本を読むようにしてくれたんだと思う。
本当。
何だか、これから時間の使い方が少し変わるような気がした。
もっと自分にとって大事にしたいものに時間を惜しまず使いたい。いや、逆かな?時間を惜しまず使う事で、自分の大切なものがもっと増えるってことかもしれない。
もし、興味のある方は…
大久保ゆう訳 「あのときの王子くん」 (青空文庫)
↑
これで全文を挿絵つきで読むことができます。
「あのときの王子くん」というのを、iPhoneのアプリで読んだ。「豊平文庫」というアプリで、おそらく著作権的なものが切れた作品などを読むことが出来るもの。数万冊ほどの登録があるらしいが、30作品までは無料で読むことができる。
「あのときの王子くん」というと、まったく聞きなれないタイトルだけど、「星の王子さま」の新訳。
世間では「星の王子さま」はとてもいい本とされている(気がする)ので、一度は読んでみたことがあるし、また旦那が演奏で参加させてもらったミュージカル「星の王子さま」も見に行ったし…だから話は分かってるつもりだった。
いや、分かってるってのは嘘だな。良く意味の分からん話だ…ということが分かった…という方が私の場合は正しい気がする。
大学を卒業したころから、ようやく本を読むようになった私なんだけど、それでも一番多いのは、いわゆるハウツー本ってやつで、そうじゃなくても科学とか音楽とか、心理学みたいな、何かしら学問的なもの。小説は、旦那がいっぱい読んでいるので、それを勧められてちょいと読んだりする程度。
そんな人だから、きっと「星の王子さま」の言わんとしてることが、今一つ良く分からず、何だか荒唐無稽な童話だな?みたいな印象であった。
で、その「豊平文庫」というアプリ。初めに3作品が自動的にダウンロードされているというわけで、あとの2作品が日本の純文学だったもんで、それならちょっとライトなタイトルの「あのときの王子くん」を読んでみよう、となったわけ。
最初は「新訳」だなんて知らなかったんで、続編?なに?ってな調子。
読んでいくと、どうも前に読んだ「星の王子さま」と同じイベントが。でも、「あれ???前に読んだときって、こういうんだったっけ?」という、何だか伝わってくるメッセージが違う感じ。
童話だと思っていたけど、これはフランス文学って感じ。観念的な様な、ものすごく具体的な様な…
で、あとがきも含めすべて読んでみて正直…
カルチャーショック!!!!
こういう話だったのか!という驚きもさることながら、なんだか今の自分に向かって発せられてるメッセージを物語で受け取ったかのような、凄い衝撃。
ここへ至って、ようやく前置きが終わり、前のブログの続きとなるのだ!
「ばらのためになくしたじかんが、きみのバラをそんなにもだいじなものにしたんだ。」
「ひとって、はやいきかんしゃにむちゅうだけど、じぶんのさがしものはわかってない。ということは、そわそわして、ぐるぐるまわってるだけ。」
「そんなことしなくていいのに…」
「ぼくが、ちいさなおとこの子だったころ。クリスマスツリーがきらきらしてて、夜ミサのおんがくがあって、みんな気持ちよくにこにこいてたからこそ、ぼくのもらった、あのクリスマスプレゼントは、あんなふうに、きらきらかがやいていたんだ。」
むむむん…かなりぐっときた。
こうやって抜き出して書いても、さっぱりポンポンだと思うんだけど、全部読んでみてだとなんだか痺れたんだ。
話の途中に、喉が乾かない薬を売っている人の話が出て来る。どうして売ってるの?というと、水を飲む時間が一週間に53分節約できる…その53分でやりたいことをやることができるって。王子さまは「ぼく、53分もじゆうになるんなら、ゆっくりゆーっくり、水くみ場にあるいていくんだけど…」って。
自分の中で、なんかたくさん無駄な時間だと思って省いてる事がある。
ときにはこうやってブログを書いたりする時間に練習した方がいいとかも思う。
ご飯を作るとか、食べるとかそういうことすらも何だか無駄な時間に感じたりする。
出かけるとか、そういうことも練習する事考えたら、無駄だと思っている節がある。
だからって、結局一日中練習するわけでも出来るわけでもない。
飲み会に行くのは無駄だな、と思ったりもする。行ってしまえば、もう何もできないんだから、と超楽しむんだけどね!
人づきあいなんかも、そんな風に思っているのかもしれない、と自分の深層心理を推し量ったりして。
でも、「ばらのためになくしたじかんが、きみのバラをそんなにもだいじなものにしたんだ」というあたりで、何か(あるいはだれか)のために何かをするってことは自分の時間をなくすって事だけど、そのことがあったからこそ、その何か(だれか)が自分にとってとても大切なものになる、ってことだ…って。
ハッとした。
ホントだ…と思った。
誰かと時間を過ごす。
それは、目標に向かって一目散に進むために無駄を省くという観点から言ったら、無駄な時間だ。
でも、そうやって時間を使った事で、その人が自分にとってかけがえのない人になる。
何かに打ち込む。
それだって、見方によっては無駄なことかもしれないけど、その自分の時間をそのもののために費やしたことで、その何かが自分にとってかけがえのないものになる。
世の中には、数え切れないほどのモノや人や生き物がいる。
でも、自分の時間を使ったモノやヒトや生き物は、他のたくさんのモノとは違う、唯一的な自分にとって大切なものになる…。。。
あー、ホントだ全くホントだ…(T_T)
どうして今更、「星の王子さま」(あのときの王子くん)を読んでそんなことを知るのだろうか!!!
でも同時に、いつも神様は今の自分にとって必要なことを授けて下さる…そんな風にいつも感じている。だから、今回も今私に必要だから、この本を読むようにしてくれたんだと思う。
本当。
何だか、これから時間の使い方が少し変わるような気がした。
もっと自分にとって大事にしたいものに時間を惜しまず使いたい。いや、逆かな?時間を惜しまず使う事で、自分の大切なものがもっと増えるってことかもしれない。
もし、興味のある方は…
大久保ゆう訳 「あのときの王子くん」 (青空文庫)
↑
これで全文を挿絵つきで読むことができます。
みてぃかは私とは反対に、とっても人との時間を大切にしてるな~といつも感じるよ。人のために使ったその時間の分だけ、お互いがお互いにとって大切なものになってる…そういうのを地で行ってる人だなって!
私ももっとそういう風な時間を使いたいな!って思ったさ~\(^o^)/
いつでも自分という歯車を磨きつつ、油を塗って、心地好い時を刻む為の一部でありたいと思います。