ゆこちんのトランペット

トランペット奏者 藤井裕子のコンサート情報、トランペット談義のつもりが…こぼれ話や大きな声では言えない話も…毎日更新中♪

子ども時代…必要なのは何だろう?!

2015年07月16日 13時02分14秒 | 雑感
まさに雑感なんだけど、いろいろ頭がグルグルしてきたので、バーっと書いてみようかと!

なーんとなく、昔は子どもは「遊ぶのが仕事!」だった気がする。
でも今はなーんとなく、「遊ぶ」のはイケナイことみたいな?!
別に誰かがそう言ってるわけじゃないんだけど、無言のそういう「空気」みたいなのがあるような。

それに今と昔(と言っても私が子どもの頃くらいのことしか分からないけど)って、「遊び」そのものの認識がちっと違うような。。。


私たちの頃の遊びと言ったら…


鬼ごっことか、縄跳び、ゴム飛び、虫を捕まえたり…カナブンとかトンボの尻尾に紐かけて飛ばしたり、葉っぱ拾ったり、馬跳びとか…。。。

ときには畑でいたずらして怒られたり、アパートの屋根に登ってエラく叱られたり、海でヒラヒラワカメだかアオサだか拾ったり…

釣りもしたし、川やダムに落っこちたり、雲が流れるのをずーっと見てたり、アリがどこへ行くのかじーっと見たり、水たまりでぴちゃぴちゃ…



こういう、無料かつ大人になったらしないよねって感じの、ただひたすら何かを見たり、ただ友達と野山を駆け回ったり、飛んだり跳ねたり…そういうのを「遊び」と称して、ひたすらやってた気がする。

で、そこに「遊んでたらイケナイ」という感覚はなくて、子どもとはそういうものだった気がする。


最近、小中学生に「普段何して遊ぶの?!」と聞くと、「えー、遊ばない」「トランプ」「ゴロゴロしてるのが好き」「任天堂DS」…などという答えが返ってくる。

もちろん、これが全員だとは思わないけど、さりとて特別でもないんだよね。

そんな感じだから、例え話がなかなか通じない。


私「池にドーンと大きい石投げるとさー」
生徒「???」
私「まさか?投げたことないの?」
生徒「投げない。」


私「雨の日にさー、楽しくて長靴で水たまりピチャピチャしながら、傘ブンブン振り回したりしてさー」
生徒「????」
私「えー、しないの?」
生徒「しない。」

私「なんかどうしていいか分からないくらい悲しいことがあって、でもワ―っと泣く感じじゃなくて、グッとこらえる感じさー」
生徒「あー、受験でなかなか高校が決まらないとかですか?!」
私「…んー、そういうときもあるかもだけど、もっと人間的な感情で想像つかない???」
生徒「うーん、テストがヤバいときとか?」




いろいろな質問を試みるも、なかなか…。。。

こういう例えは親には通じる。

というところをみると、親の世代から今の子どもの世代へ行く間に、何かが変わってしまったんじゃないかと。



勉強は大切だ。それに子どもたちには安全に成長してほしい。


それはどっちもそうだと思う。

でも、じゃー勉強ばっかりさせてて、果してそれでいいのか?
実際、今ってビックリするくらい頭が良くて想像力もあって、勉強以外のこともいろいろやれて、その上いろいろ心の機微も凄くて…っていう、スーパーな子どもがときどきいる。羨ましい!素晴らしい!!お前らホント凄いね!と思う。

ところが、塾だ!勉強だ!テストだ!!と凄く勉強に時間取ってるのに、ちょっとちょっと!!どうしてこんな事も分からんの?!というくらいモノを知らない、そして想像力もない子もいっぱいいるのだ。

せっかくの子ども時代にただ単に暗記教科を詰め込んでるんじゃなかろうか???

体と頭脳をいっぱい連動させたり、観察力を高めることとか、筋肉を強くしたりとか…
そういう、これから数十年生きて、年とってからも元気に生きていけるための、心と体と精神と知恵。

それの土台を作るのが子どもの仕事なんじゃないかなぁ???

暗記で詰め込んでも、もともと子どもには「経験値」がないから、想像して応用とかまだできないだろうし。いろんな経験や体験があってこそ、想像ができるんじゃないかなぁ?

親はきっと、いい学校に行っていい成績を取っていれば将来困らない、と思ってくれているのだろう。

でも、この場合の将来って、会社に入ってちょっとくらいの間じゃないかなぁ?

きっと良い学校に行っていると就職に有利だろうね。いい所に就職出来れば、きっと生活も安定するだろう。

でも、学校の成績的な部分でのみの頭の良さなんて、会社に10年くらいいたら、もう立ちゆかなくなるんじゃないかなぁ。奇抜なアイデアが出せるとか、意地でもやり遂げる気力と体力があるとか、学ぶことが好きで就職した後も勉強し続け…なんて人なら、きっと良いだろうけど。
そういうのは学校(もちろん塾とかも含めて)の勉強だけで身に付くとは思えん。

それにいろんな遊びや自分たちで考えたルールの中でやるゲームみたいなのを経験しておくのって、その先の社会での人間関係とかにも大いに役立つと思うんだよねー。

走りまわってたら、年とってからも足腰強くいられそうだし。


先日行った学校で、完全下校15:30って書いてあって。

「放課後、グランドで遊んだりできないんですか?」って聞いたら、先生が「グランド開放するときは、保護者が何人も出て、怪我しない様に見てるんですよ」って。

えー!!!!そんなところで子どもだけの怪しくて面白くてちょっといたずらな遊びとかできますかぁ~????

ちょっとぐらいの怪我なら、したりさせたりしておいた方が、大きくなった時に、痛みも分かるし、怪我させた時の心の苦さも分かるし、どのくらいまでなら自分の体が対応できるのかの限界も分かるし、絶対いいのにー。

そういうのを体が柔らかいうちにやっておかなきゃいけないと思うし、それに「危険」かどうかを見分ける能力も小さいうちから親が教えていかないと!!
「危険」から遠ざけるんじゃなくて、危険を「自分で見分けて回避する能力」をつけないと。

実際、どんな安全なものだって使い方によっては危険になるし、危険なものでも使い方さえ注意すれば安全に使う事はできるからね。
それを教えなくちゃ。

それは手間もかかるし、しばらくは親は目も離せないし、大変だと思うけど、それこそが子どもに対する愛であって、それを身に付けさせてあげるのは、ご飯を食べさせてあげるのと同じくらい、大事だと思うなぁ。だって、この先一生、その子の身を守る知恵を授けるんだから。

そういう経験をある程度積んでから、小学校に入ってくれば、あとは場面場面で大人が注意したりしてさらに知恵をアップさせるってんで良いでしょ?!
ずーっと見てるわけにはいかないんだから。


それと…

私もよくスマホのゲームとかしちまうんだけど、小さい子に「それさえ渡しておけば静かにしててくれるから」という理由でスマホを貸し与えるのはちょっとなーと思う。

いや、お父さんお母さんも忙しいんだから、そういう力を借りる時があってもいいと思うんだ。中にはとてもいいアプリもあるから!

でも、それでヨシ!!としてたらあとで手痛いしっぺ返しが来る気がする。

なんていうかなぁ…

勉強はしてるけど…っていう子の中に、話の本筋を見抜けなくて、ただ単に「連想ゲーム」みたいに、聞こえてきた言葉の「音」に対して反射的に発語してしまう子がいる。

例えば「何か質問は?!」って言う時に、本筋を見いだせるくらいの考察力があると、その質問からさらに考察が深まってさらに事の本質に近づいて行けたり、あるいは話に広がりが出て、一見無関係と見えたモノがつながりだしたりして、とても良い問答になったりする。

ところが、反射だけでしゃべっていると、「質問」という言葉に反応して単に、一般的に「質問」で良くありがちな項目を、別に興味があって聞きたいからではなく、単に反射で発語してくる。そうすると、そのときの質問や答えに対して、また興味があるわけではないけど、その言葉から連想する別な事柄を発語する…そうすると「カオス」な状況になる。

頭で考えて想像してるんじゃなくて、単に反射してるだけ。

まさにゲーム感覚。

これが小学校の高学年とかであらわれると、きっと学校も手に負えなくなるだろうと思う。
その上、先生方は躾も求められているのに体罰的なことが許されない。で相手は集団。親が自分の子ども一人見るのが大変なんだったら、先生がいくら教育のプロでも限度があるよね。


そして、最近は「子どもが興味を持つように」「分かり易く」ってのが主流。

ホントにそれって子どものためなのかね?っと最近凄く疑問だ。本当に本当に疑問だ。

分かりやすいように字幕、パネル、写真…


言葉から、文字から想像できる能力こそ、持たせてあげたい力じゃないかなぁ。

もっと小さいうちに、「子どもが興味を持つように」じゃなくて、「子どもが興味を持っているものをバカにしたり、無駄だとか急がせたりとかしないで、じっくり時間をかけさせてあげて」で、「興味を持って物事に当たることがこんなに楽しい事なんだ!」というのを身を持ってたくさんたくさん体験させてあげて、それで「もっともっといろいろやりたい!」「もっと知りたい!」という土台がしっかりできたところへ、勉強とか運動とか持ってくれば、無理に「子どもが興味を持つように」「分かり易く」なんてしなくても、自分たちで調べたり考えたりするんじゃないの?!


「もういいから」「汚いからやめなさい」「なにやってんの?早くしなさい」「こうすればいいじゃないの!」「余計な事するんじゃないの」

こう言われててなお、積極的であり続けるって無理だよね。
簡単に育てられるように、細く刈り詰めておいて、そのあといろいろ詰め込むんじゃー、本当の意味で楽しく勉強とかできない。


ウチには残念ながら子どもがいないんで、勝手な事言うよね!って思う人もいると思うけど、でもヒトサマの子どもを普通の人の何倍も見てきているから、ある意味客観的に見ることが出来てる部分もある。

みんな「子どものため」と思ってることは間違いないけど、「本当の意味でその子の一生」を考えた時に、楽しく生きていける何かを与えてやれたら嬉しいなぁ。
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4 コメント

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同年代 (トランペット命)
2015-07-16 19:18:36
はじめましてと言うか~コンサートでは、ちょくちょく会って質問している怪しい人物です。ゆうこさんと同年代と言うか、同じ歳です。マジU+1F606U+2934U+2934(新潟日報)(*_*)私もゆうこさんの言っている事は、うんうんうなずくU+2757最近思っている事を書いてあり、うれしくて…メールしました。
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Re:同年代 (藤井です!)
2015-07-18 22:42:18
あ!!ひょっとして?!
いつもありがとうございます!!同い年でしたかー*\(^o^)/*

いやはや、子どもはちっとも悪くないんですが、オトナがだんだんいろんな意味で追い詰められてて、子どもにかける「手間」と「時間」がない(あるいは精神的ゆとりがない)のが、今の日本の状況なのかな…などと大きく出てみましたが、本当にそんな気がしてきます。

昔はもっと貧乏で子どもにかけるお金はなかったかもしれないけど、その分、手間と時間と愛情はかけてくれてた気がします。

握ってくれた梅干しのおにぎりとか、煮しめ色の弁当とか…お昼代とか渡された記憶がほとんどありません。買って食べてる子が羨ましかったけど、実はスゴイ手間かけてくれてたんだなーと今さら思います。きっとウチらより上の世代はみんなそうだったんじゃないかなー。

果たして豊かになったのか…なんて思ったりもしちゃいますねー。
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同感です★ (美果)
2015-08-12 22:26:32
お久しぶりです♪


同感のお話でした。

豊かになることって こんなに感情のひだを少なくしてしまうんだなぁと思ったりもします。

子供時代にしか体験、経験出来ないことって沢山あるのに、大人の都合?で子供達が五感を使わないことが日常生活にありすぎて悲しくなります。ある程度成長してからでは遅いのに、精神的な育みは無駄と考えている時代なのでしょうか。
小学生だってあと10年もすれば立派な大人になるのに、心の成長はなされないままになっていくこの世の中にここ数年は不安を感じています。
せめて自分の身の回りの子供達には、そういったことを教えていこうと思っています。
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美果ちゃん (裕子)
2016-01-03 08:43:22
昨日はとても楽しかったねー!!

そうそう、ウチでゴロゴロするのが好きとか、どうせ無理だからヤダとか、知識(というより情報かな?!)はあるんだけど知恵にはなってない…

いろんな子どもがいて良いと思うんだけど、運動は嫌いとか、本が大好きとか、勉強は嫌いだけど運動はピカイチとかね、

でも今は、育てやすい(大きな声を出さない、暴れない)、反骨精神とか不要で、勉強最優先…

もっと、命に関わらない程度なら冒険もしたら良いし、ワルさもして近所の人にこっ酷く怒られて骨身に染みたらいいし、小さな昆虫とか植物から命の強さと儚さを学んだらいいし。友だちや兄弟とも取っ組みあっておけば、力加減も分かる。

いろんなことを「要領よく、効率優先」にしちゃうとこういうの全部無駄になっちゃう。でも、無駄の中にこそ大事なものが詰まってる。。。

って思う今日この頃ですよぉー。
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