ゆこちんのトランペット

トランペット奏者 藤井裕子のコンサート情報、トランペット談義のつもりが…こぼれ話や大きな声では言えない話も…毎日更新中♪

音楽するとはナンジャラホイ??

2017年12月02日 01時13分33秒 | 音楽&トランペット&レッスン
本日は連投してみます。つーか、早く寝るべきだけど、忘れないうちに書いとこうと思います。


「音汚い!」「きれいに」


こういうのって、よく聞きます。

綺麗な音って、良いですよね。どんなポイントなのか?そこはよくわからないけど、なんだか「良いな」と思う音っての、ありますね。

逆に、音は良くない(これも何が基準かは分かんないけど)けど、なんだか良い演奏するってのもありますよね。

めっちゃ上手いけど、BGMみたいな音楽とか、超下手くそだけど、感動する音楽とか、、、


何が違うんでしょう??


何が良い音楽なんでしょう?
音楽ってなんなんでしょう??


ホント、謎です。

日本人はなんてんだろ?「傷のない演奏」すきですよね。

今流行りだと、カラオケの採点マシーンみたいなのもそうですよね。

吹奏楽コンクールなんかもそういう傾向にあると思うけど、「ミスがない、一糸乱れない」みたいなの、ホント好きな気がします。


ま、分かりやすいですよね。そういう演奏を「良い演奏」ってするの。間違いない!!って感じ。



でも、そういうのや、綺麗な音で綺麗に合わせることってのがホントの音楽なのかなぁ、、、ってなんだかさっき考えちまいました。


私はもし、そういうのが音楽なんだとしたら、あんま音楽好きじゃないっす。


どうも、「肚から歌ってる歌」とか、「役になりきってるオペラアリア」とか、「感情がノリまくってるトランペット」とかが好きです。

だから、めっちゃくちゃでも良いと思うこともあります。


そういうのはダメっていう世界もいっぱいある。


「音楽は癒し」
「音楽は心地よく」
「音楽は協調性」
「音楽は美しさ」


そういうのもあって良い。

でも、そうじゃないのもあっても良いんじゃないか??

「音楽は心」
「音楽は主張し」
「音楽は魂の叫び」
「音楽は自分自身」



なんて。


みんなが自分の本当の本気の音(音量ではないよ)を出す。それらがぶつかり合って、ちょっと聞き不協和だとしても、それらがもっともっとぶつかって行って、あるとき本当の調和、お互いの存在を認める、理解する、、、みたいな状態になったら、それがステキなんじゃないか?!


自分自身をさらけ出すような音が出せたら、それがいいなーと思うし、それはダメでしょ?っていう人もいるかもしれないけど、そんな一方的な「価値観」や「主観的な美しさ」だけじゃなくて、もっとたくさんの価値観をぶつけ合って、そっから何か新しいものか産まれるって作業がアンサンブルなんじゃないかなー??なんて思うに至ったわけだ。


どうも小手先の技術で終わっちまいそう。

もっと自分の深いところからの音を出していきたいな。

本気で楽しい時は本気で楽しいサウンドでいいだろうし。
ちょっと聞き汚かろうが、美しかろうが、どっちでも良い。そもそも基準がハッキリしないんだから。


音楽まで建前で生きてたら、それは音楽じゃないのかな??なんて思ったり、、、でも建前の音楽ってのも、またアリで良いんだよ。それを愛する人は、それが本気の音だろうからね!!

なーんて、思いましたとさ。頑張ろう(^^)
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