京都のお作法で、何回か遠慮したあとで、「そうですかー、それじゃー…」と受ける、と言うのがあると聞く。
きっと京都だけじゃなくて、古くからの日本のステキな習慣なのに違いない。
でも実は私。こういうやりとりがあんまりよくできない。というよりあまり好きじゃないらしい…。
自分が何かを勧める(例えば…よかったらどうぞー!とか言う)場合、こちらもかなり勇気を出して言っていることが多いから、断られる(本当は遠慮なのだろうけど)とガビーンと思うので、ついそこで引き下がってしまう。
普通はそこで、「いやいやそう言わずに!いーからいーから!」と言うべきところに違いない。
そして「そーですかー?!じゃあ遠慮なく…」と言う風に進むに違いない。うんうん。
それが奥ゆかしいのは分かる。
でも好きじゃない。
人の好意は、ちゃんと考えて必要であれば、心から感謝してすぐに受ける方がいいし、本当に必要ない時にはありがたいけれどお断りしますね、と言うのでいーじゃんかー?!と思ってしまうのだったぁー!
あるいは、もしも遠慮しているなら、「それはありがたいけれど、申し訳ないので…」と言ってもらえれば、「何をおっしゃるウサギさんっ!まあまあいいからいいからー!」となることができる!!
もしやっ?!とは思うが、時として断られることを前提に社交辞令的に言ってる場合もあるのかな?!
するってーと、即「ありがとうございます!お願いします!」と来たらまずいのか?!
うーん?!どうなんだー?!
ちなみに…私は勧められて、「わーい!」と思えば即お願い派である。
なので勧めた時は即お願いしてほしいのだー!
それと…「期待」も好きじゃない。
きっとこうしてくれるに違いない!!という期待(するのも、されるのも。)
普通こうするよなー…みたいな…。
してほしいなら、ちゃーんと口があるのだからお願いするとよい。
やってあげたいと思っている人はもちろん言わなくたってやってくれるので、そこはいちいちあれこれ言わなくたって、「ありがとう」をちゃんと心を込めて言えばいい。
自分の勝手な(心で思っているだけの)期待に応えない人を悪く言うのはよくない。考えが違うだけなんだから、言えばいいだけ。
察するだろう、と思う方がずれている可能性もあるんだし!!
ちゃんとお願いする。そしたらやった人も感謝されたら気持ちがいい。
言わないで、「やれよなー…」「察してくれよー」と思って、通じなかったからって、「何だよー!チッ!」と思うのも思われるのもお互いのためにち~っともよくない。
京都などに伝わるやり方は『お作法』であって、みんなに共通の認識があったから良いのだ!
その共通認識のない(あるいはずれている、違っている)ところでは、意志をハッキリ示すことが円滑な関係を作るのに大切な気がする!!
そんな今日この頃…(*^_^*)
きっと京都だけじゃなくて、古くからの日本のステキな習慣なのに違いない。
でも実は私。こういうやりとりがあんまりよくできない。というよりあまり好きじゃないらしい…。
自分が何かを勧める(例えば…よかったらどうぞー!とか言う)場合、こちらもかなり勇気を出して言っていることが多いから、断られる(本当は遠慮なのだろうけど)とガビーンと思うので、ついそこで引き下がってしまう。
普通はそこで、「いやいやそう言わずに!いーからいーから!」と言うべきところに違いない。
そして「そーですかー?!じゃあ遠慮なく…」と言う風に進むに違いない。うんうん。
それが奥ゆかしいのは分かる。
でも好きじゃない。
人の好意は、ちゃんと考えて必要であれば、心から感謝してすぐに受ける方がいいし、本当に必要ない時にはありがたいけれどお断りしますね、と言うのでいーじゃんかー?!と思ってしまうのだったぁー!
あるいは、もしも遠慮しているなら、「それはありがたいけれど、申し訳ないので…」と言ってもらえれば、「何をおっしゃるウサギさんっ!まあまあいいからいいからー!」となることができる!!
もしやっ?!とは思うが、時として断られることを前提に社交辞令的に言ってる場合もあるのかな?!
するってーと、即「ありがとうございます!お願いします!」と来たらまずいのか?!
うーん?!どうなんだー?!
ちなみに…私は勧められて、「わーい!」と思えば即お願い派である。
なので勧めた時は即お願いしてほしいのだー!
それと…「期待」も好きじゃない。
きっとこうしてくれるに違いない!!という期待(するのも、されるのも。)
普通こうするよなー…みたいな…。
してほしいなら、ちゃーんと口があるのだからお願いするとよい。
やってあげたいと思っている人はもちろん言わなくたってやってくれるので、そこはいちいちあれこれ言わなくたって、「ありがとう」をちゃんと心を込めて言えばいい。
自分の勝手な(心で思っているだけの)期待に応えない人を悪く言うのはよくない。考えが違うだけなんだから、言えばいいだけ。
察するだろう、と思う方がずれている可能性もあるんだし!!
ちゃんとお願いする。そしたらやった人も感謝されたら気持ちがいい。
言わないで、「やれよなー…」「察してくれよー」と思って、通じなかったからって、「何だよー!チッ!」と思うのも思われるのもお互いのためにち~っともよくない。
京都などに伝わるやり方は『お作法』であって、みんなに共通の認識があったから良いのだ!
その共通認識のない(あるいはずれている、違っている)ところでは、意志をハッキリ示すことが円滑な関係を作るのに大切な気がする!!
そんな今日この頃…(*^_^*)
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