『親』と言ってもいろんなタイプがいる。そりゃー100人いれば100人性格が違うんだから、親と言えども違って当たり前。
でもまあ地球中を5くらいに分ける…くらいのおおざっぱさで言えば、タイプに分けられるかな!
子供をよーく見てくれていて、いざという時には助けてくれるけど、それまでは口出しなどはしない。でもよーく子供の気持ちをみて感じてくれているタイプ。
次は、いつも全くみていないタイプ。
これには2つあって、全くみていないけど、やたら口は出すタイプと、本当にほったらかしのタイプ。
何でもかんでも干渉し、口出しするタイプ。結果的には自分の考えがすべて。細く分けたら、自分の考えの方がいいからと子供の意見を否定するタイプと、自分の考えイコール子供の考えと決めつけて、結果的に子供の本心を見抜けないタイプ。
叱咤激励タイプ。
何言ってんだい!!頑張っておいで!!と応援。
やたらと可哀相がるタイプ。まあ!○○ちゃん可哀相に~的な感じ。
きっともっともっといろいろあるし、複合している場合や、時と場合によって違う場合もあるだろうな。
でももっとおおざっぱさに分けると、子供の気持ちをよーく見てくれているか、見れていないかに分けられる気がする。
見れていないタイプの中には、自分は見てると思ってるけど、実は見てないってタイプも多いのではないかなぁ。
子供の気持ちをよく見れている親は、どんなやり方をしているのであれ、見ていて「いい親子関係だな」と思う。
逆に子供のことよりも自分のメンツや体面のことを、そうとは気付かずに最優先している親を見ると、早く子供をしっかり見つめてくれないかなぁ…と悲しくなる。『子供のことを考えて、自分はこんなに一生懸命やっています』という感じ。
でもこれ、結局主役は『自分』。
今ある出来事が、子供にとって一番いいか、どうあることが本当に子供の望んでいることなのかを考えることができたらいい。だけど、実は自分のことばかり考えている。
自分がちょっと何か責められたかのように過剰に反応してしまい、学校のせいにしたり人のせいにしたり、あるいは子供の能力の問題にすり替えたり、ときとして逆恨み的逆ギレなどしてみたり。
どうして子供にとって一番いいことを一緒に模索しようとできないのか?!
どうしてすぐに自己防衛に走るのか?どうして、もっと冷静に判断できないのか…
人間の脳の仕組みから考えて、自己防衛の過剰反応である。最初は何に対してそんなに自分が危険にさらされていると感じてるんだろう?と思ったけど、プライドを捨てることは正直そう簡単じゃないから、ある程度地位が高いと、普通に考えるのが難しいのかな…と思った。
でも、もしも子供のことを本当に愛してるなら、自分のプライドを守るために子供のやりたいことと全く違うチョイスをするのは、矛盾してると思う。そのときは何かしらの感情などで自分は正しいと思っていたとしても、全く子供のことを考えてない時点で、やっぱり悲しい。
ずっとそうやって行くんだろうか…いつか子供が反発する日が来るのか…それとも冷静に受け止められるような立派な子になってくれるのか、あるいは親の顔色を見るような子になっちゃうのか?!
私も含めて、大人と言ったって『人間』だから、一生懸命考えて最良&最善と思った決断も、ときには的外れだったり、全く間違っていたりすることも多々ある。
でもその『失敗』を無駄にせず、どうしたらよかったのか、次はどうすればいいのか、それを考え続けて、少しづつでも進歩していけるようにするのが、大切なことだと思う。
そういう姿は子供だろうと通じると思うし。
でも『失敗』を『失敗』と見なすことそのものを怖がって、失敗とは認めなかったり、責任転嫁したりしていては、反省することもないので、成長は望めないのではないか。
あーあ…
私も、もう一回、なにがどうなるのがいいのか考えようっと!うん。
でもまあ地球中を5くらいに分ける…くらいのおおざっぱさで言えば、タイプに分けられるかな!
子供をよーく見てくれていて、いざという時には助けてくれるけど、それまでは口出しなどはしない。でもよーく子供の気持ちをみて感じてくれているタイプ。
次は、いつも全くみていないタイプ。
これには2つあって、全くみていないけど、やたら口は出すタイプと、本当にほったらかしのタイプ。
何でもかんでも干渉し、口出しするタイプ。結果的には自分の考えがすべて。細く分けたら、自分の考えの方がいいからと子供の意見を否定するタイプと、自分の考えイコール子供の考えと決めつけて、結果的に子供の本心を見抜けないタイプ。
叱咤激励タイプ。
何言ってんだい!!頑張っておいで!!と応援。
やたらと可哀相がるタイプ。まあ!○○ちゃん可哀相に~的な感じ。
きっともっともっといろいろあるし、複合している場合や、時と場合によって違う場合もあるだろうな。
でももっとおおざっぱさに分けると、子供の気持ちをよーく見てくれているか、見れていないかに分けられる気がする。
見れていないタイプの中には、自分は見てると思ってるけど、実は見てないってタイプも多いのではないかなぁ。
子供の気持ちをよく見れている親は、どんなやり方をしているのであれ、見ていて「いい親子関係だな」と思う。
逆に子供のことよりも自分のメンツや体面のことを、そうとは気付かずに最優先している親を見ると、早く子供をしっかり見つめてくれないかなぁ…と悲しくなる。『子供のことを考えて、自分はこんなに一生懸命やっています』という感じ。
でもこれ、結局主役は『自分』。
今ある出来事が、子供にとって一番いいか、どうあることが本当に子供の望んでいることなのかを考えることができたらいい。だけど、実は自分のことばかり考えている。
自分がちょっと何か責められたかのように過剰に反応してしまい、学校のせいにしたり人のせいにしたり、あるいは子供の能力の問題にすり替えたり、ときとして逆恨み的逆ギレなどしてみたり。
どうして子供にとって一番いいことを一緒に模索しようとできないのか?!
どうしてすぐに自己防衛に走るのか?どうして、もっと冷静に判断できないのか…
人間の脳の仕組みから考えて、自己防衛の過剰反応である。最初は何に対してそんなに自分が危険にさらされていると感じてるんだろう?と思ったけど、プライドを捨てることは正直そう簡単じゃないから、ある程度地位が高いと、普通に考えるのが難しいのかな…と思った。
でも、もしも子供のことを本当に愛してるなら、自分のプライドを守るために子供のやりたいことと全く違うチョイスをするのは、矛盾してると思う。そのときは何かしらの感情などで自分は正しいと思っていたとしても、全く子供のことを考えてない時点で、やっぱり悲しい。
ずっとそうやって行くんだろうか…いつか子供が反発する日が来るのか…それとも冷静に受け止められるような立派な子になってくれるのか、あるいは親の顔色を見るような子になっちゃうのか?!
私も含めて、大人と言ったって『人間』だから、一生懸命考えて最良&最善と思った決断も、ときには的外れだったり、全く間違っていたりすることも多々ある。
でもその『失敗』を無駄にせず、どうしたらよかったのか、次はどうすればいいのか、それを考え続けて、少しづつでも進歩していけるようにするのが、大切なことだと思う。
そういう姿は子供だろうと通じると思うし。
でも『失敗』を『失敗』と見なすことそのものを怖がって、失敗とは認めなかったり、責任転嫁したりしていては、反省することもないので、成長は望めないのではないか。
あーあ…
私も、もう一回、なにがどうなるのがいいのか考えようっと!うん。
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