はてさて!久しぶりにブログを書きますヾ(*´∀`*)ノ
いつも頭の中に書きたいことが山盛りなのですが、iPhoneからだと長文はちょっと面倒臭いな~なんて、ちょっと思ったりするとついついTwitterにチョロリと書く的な感じで(^_^;)
今日は、オーケストラについて。
と言っても特に学術的なことでもテクニック的なことでも何でもないんですが、最近急に腑に落ちた、というかやけに勝手に納得したことがあったので、書いてみようかと!
新潟市のジュニアオーケストラ教室、私がそういえば大学生か院生の頃から教えに行っているので、もう何十年かは言わないことにしたいくらいの長い付き合いですが、このほど、B合奏にまたまた新しい指揮者をお迎えしたんです。
既に土日にレギュラーで振ってらっしゃる団体があるために、昨年末に就任頂いたんだけど、まだほんの数回のレッスンと言ったところですが、いやーこの数回だけでも私にとってはとっても素晴らしい体験となりました。
こんなに長いことオーケストラを教えているけど、その間に忘れ果ててたことや、ずっと疑問に感じながらも自分のせいなのかな…と思っていたこととか、やっぱりそうなのか!!!ということとか…本当にたくさんのことを気づかせてくれる指揮者です。
お年はまだまだお若いんだけど、毎回、子どもたち以上に私が楽しみでなりません。
細かなことはまたあらためて書くとして…
今日書きたいことは…
口幅ったい言葉だけど、オーケストラは「愛」が大事!ってこと。
特に、ジュニアオーケストラみたいなところではそういうことを教えるのがいいのかな、と。
別に「愛」って言うと変な感じだから、もっと簡単に「思いやり」でもいいのかな。
例えば、
一緒に出る人が出やすいように。
一緒に演奏してる人がやりやすいように。
一番キツイ人をフォローするように。
次に入る人が入りやすいように。
これによって、バランスやスピード感、アインザッツ、音色、アーティキュレーション、フレージング…いろんなことが決まってくる。
この「一緒に」とか「次に」とかの中に指揮者も一緒にいて、それを共有する。
おおお!!!!ステキ!
私の少ない経験で行くと、指揮者には大きく分けたら2タイプいる気がする。
①オレが支配する!!
②みんなで作ろう!!
どっちが正しいってこともないだろうし、それに思わず楽員の方が「ついて行きます!!」となるタイプの指揮者がどっちに属するのかとか、分からん場合もあるのだけど、まあバサっと分けてね!
みんなで作ろう!!っての、いいな~って思うんだけど、ウチのジュニアは特になんだけど、受け身に慣れきっていて、「指揮者と自分」のみの関係になってた気がする。
そこをどう打破したらいいのかが、分からなかったんだけど、そうか!!!
「思いやり」
って思うと、何だか分かってもらえる気がするんだ。
譜面の通りできてるからいいじゃん、とか指揮に合わせてれば全体も合う…というのは確かにそうかもしれないんだけど、もっと楽しい一体感とか最高の高級な遊び、という観点からするとあまりに物足りない。
んで、
「思いやり」ってことばからこんなことが閃いた!!!
何かみんなで製品を作ってるとする。
日本ならカメラとかテレビとか自動車とか…いろんなモノを作ってる。
自分はその中のちょっとした部品を作ってるんだとして…
「この部品は一体何になるんだろう?」
これが分かってるのと分かってないのでは、部品を作る時にも違うんじゃないか。
それが組み上がったとき、こんな素晴らしいモノになる!って思ったら、自ずと気合いも入るし、作りも丁寧に、素材も吟味して…とかなるだろう。そしてその一部を作ったことに誇りと喜びを感じるに違いない。
でも、この納期までに何個作りさえすればいい…としか思わなければ、それほどの思い入れもなく、中には雑なモノも混ぜちゃうかもしれない。
みんな手作りで作ってるから、誰かの作ったパーツが頑張って作ったんだけど、ちょっと不具合があったりしたとする。そしたら、余裕のある人が自分のパーツをそのパーツに合うように作り替えてあげたら、もしかしたらちゃんと立派な製品になれるかもしれない。
こう作った方が、隣のパーツと組み合わせやすいな、って工夫することもできるかもしれない。
みんなで協力して、なんだったらバージョンアップした製品を作ることだってできるかもしれない。
そんな風に考えると、オーケストラにはひとりの不要な人もいないし、練習にはいつもみんなが揃っていた方がお互いのパーツの組み合わせ方なんかもシミュレーションできるし。
全体をみんなが把握していればしているほど、完成度も高くなりそうだ。で、指揮者はそれを方向づける。こう行ってみようかってみんなが感じるようにちょいとスピード感やアイデアを与えたり、合わせにくそうなところの交通整理をしたり…。でもそれぞれのメンバーは細かい箇所では自分達で組み合わせて行くんだ。
で、本番という流れていく時間の中で、その作品を完成させる。
助けたり助けられたり、おお!そんなアイデアで来たか?!となれば、んじゃこうも行けるんじゃない?!みたいに新しいモノをその場で作ったり。そんな臨場感が生演奏って感じ。
そんなやり取りができるためのチームワークづくりが合奏練習で、自分のパーツを作る基本的な技術に始まって、周りの変化に柔軟に対応できるような技術やアイデアを身につけるのが個人練習かなー、と。
プロは、もしかしたらそこに愛がなくても技術で対応できるかもしれない。それがいいのか悪いのかは別にして、こういう考えは特にジュニアオーケストラみたいなところでは大切なんだろうなー。
みんながプロになるわけじゃないんだから、楽器の技術だけがUpしたんじゃ、もったいない。でもこういう社会性とも言えるような、でももっといえば超高度な遊びを子どもの頃にタップリ経験しておくのは、とっても素晴らしいし、その後の人生にもとっても役に立つ気がする。
音楽をやるときには、音楽そのものが問題で、その他の副次的な成果を求める必要はないのかもしれない。でも音楽ってものがそもそも「愛」なのかもしれないな、なーんて思ったりして。
そういうことを考えさせてくれる、新しい指揮者と我らがジュニアオーケストラの初共演は、3月31日新潟市のりゅーとぴあコンサートホールです。
私はもうひとつのチビちゃんオケ、A合奏と一緒に参加しますよー!!
まだ子どもたちは理解してはいないかもしれないけど、少しづつ感じ始めてはいると思います。スタートを是非会場で!生演奏の臨場感をお楽しみください(*´∀`*)
いつも頭の中に書きたいことが山盛りなのですが、iPhoneからだと長文はちょっと面倒臭いな~なんて、ちょっと思ったりするとついついTwitterにチョロリと書く的な感じで(^_^;)
今日は、オーケストラについて。
と言っても特に学術的なことでもテクニック的なことでも何でもないんですが、最近急に腑に落ちた、というかやけに勝手に納得したことがあったので、書いてみようかと!
新潟市のジュニアオーケストラ教室、私がそういえば大学生か院生の頃から教えに行っているので、もう何十年かは言わないことにしたいくらいの長い付き合いですが、このほど、B合奏にまたまた新しい指揮者をお迎えしたんです。
既に土日にレギュラーで振ってらっしゃる団体があるために、昨年末に就任頂いたんだけど、まだほんの数回のレッスンと言ったところですが、いやーこの数回だけでも私にとってはとっても素晴らしい体験となりました。
こんなに長いことオーケストラを教えているけど、その間に忘れ果ててたことや、ずっと疑問に感じながらも自分のせいなのかな…と思っていたこととか、やっぱりそうなのか!!!ということとか…本当にたくさんのことを気づかせてくれる指揮者です。
お年はまだまだお若いんだけど、毎回、子どもたち以上に私が楽しみでなりません。
細かなことはまたあらためて書くとして…
今日書きたいことは…
口幅ったい言葉だけど、オーケストラは「愛」が大事!ってこと。
特に、ジュニアオーケストラみたいなところではそういうことを教えるのがいいのかな、と。
別に「愛」って言うと変な感じだから、もっと簡単に「思いやり」でもいいのかな。
例えば、
一緒に出る人が出やすいように。
一緒に演奏してる人がやりやすいように。
一番キツイ人をフォローするように。
次に入る人が入りやすいように。
これによって、バランスやスピード感、アインザッツ、音色、アーティキュレーション、フレージング…いろんなことが決まってくる。
この「一緒に」とか「次に」とかの中に指揮者も一緒にいて、それを共有する。
おおお!!!!ステキ!
私の少ない経験で行くと、指揮者には大きく分けたら2タイプいる気がする。
①オレが支配する!!
②みんなで作ろう!!
どっちが正しいってこともないだろうし、それに思わず楽員の方が「ついて行きます!!」となるタイプの指揮者がどっちに属するのかとか、分からん場合もあるのだけど、まあバサっと分けてね!
みんなで作ろう!!っての、いいな~って思うんだけど、ウチのジュニアは特になんだけど、受け身に慣れきっていて、「指揮者と自分」のみの関係になってた気がする。
そこをどう打破したらいいのかが、分からなかったんだけど、そうか!!!
「思いやり」
って思うと、何だか分かってもらえる気がするんだ。
譜面の通りできてるからいいじゃん、とか指揮に合わせてれば全体も合う…というのは確かにそうかもしれないんだけど、もっと楽しい一体感とか最高の高級な遊び、という観点からするとあまりに物足りない。
んで、
「思いやり」ってことばからこんなことが閃いた!!!
何かみんなで製品を作ってるとする。
日本ならカメラとかテレビとか自動車とか…いろんなモノを作ってる。
自分はその中のちょっとした部品を作ってるんだとして…
「この部品は一体何になるんだろう?」
これが分かってるのと分かってないのでは、部品を作る時にも違うんじゃないか。
それが組み上がったとき、こんな素晴らしいモノになる!って思ったら、自ずと気合いも入るし、作りも丁寧に、素材も吟味して…とかなるだろう。そしてその一部を作ったことに誇りと喜びを感じるに違いない。
でも、この納期までに何個作りさえすればいい…としか思わなければ、それほどの思い入れもなく、中には雑なモノも混ぜちゃうかもしれない。
みんな手作りで作ってるから、誰かの作ったパーツが頑張って作ったんだけど、ちょっと不具合があったりしたとする。そしたら、余裕のある人が自分のパーツをそのパーツに合うように作り替えてあげたら、もしかしたらちゃんと立派な製品になれるかもしれない。
こう作った方が、隣のパーツと組み合わせやすいな、って工夫することもできるかもしれない。
みんなで協力して、なんだったらバージョンアップした製品を作ることだってできるかもしれない。
そんな風に考えると、オーケストラにはひとりの不要な人もいないし、練習にはいつもみんなが揃っていた方がお互いのパーツの組み合わせ方なんかもシミュレーションできるし。
全体をみんなが把握していればしているほど、完成度も高くなりそうだ。で、指揮者はそれを方向づける。こう行ってみようかってみんなが感じるようにちょいとスピード感やアイデアを与えたり、合わせにくそうなところの交通整理をしたり…。でもそれぞれのメンバーは細かい箇所では自分達で組み合わせて行くんだ。
で、本番という流れていく時間の中で、その作品を完成させる。
助けたり助けられたり、おお!そんなアイデアで来たか?!となれば、んじゃこうも行けるんじゃない?!みたいに新しいモノをその場で作ったり。そんな臨場感が生演奏って感じ。
そんなやり取りができるためのチームワークづくりが合奏練習で、自分のパーツを作る基本的な技術に始まって、周りの変化に柔軟に対応できるような技術やアイデアを身につけるのが個人練習かなー、と。
プロは、もしかしたらそこに愛がなくても技術で対応できるかもしれない。それがいいのか悪いのかは別にして、こういう考えは特にジュニアオーケストラみたいなところでは大切なんだろうなー。
みんながプロになるわけじゃないんだから、楽器の技術だけがUpしたんじゃ、もったいない。でもこういう社会性とも言えるような、でももっといえば超高度な遊びを子どもの頃にタップリ経験しておくのは、とっても素晴らしいし、その後の人生にもとっても役に立つ気がする。
音楽をやるときには、音楽そのものが問題で、その他の副次的な成果を求める必要はないのかもしれない。でも音楽ってものがそもそも「愛」なのかもしれないな、なーんて思ったりして。
そういうことを考えさせてくれる、新しい指揮者と我らがジュニアオーケストラの初共演は、3月31日新潟市のりゅーとぴあコンサートホールです。
私はもうひとつのチビちゃんオケ、A合奏と一緒に参加しますよー!!
まだ子どもたちは理解してはいないかもしれないけど、少しづつ感じ始めてはいると思います。スタートを是非会場で!生演奏の臨場感をお楽しみください(*´∀`*)