
その日の夜が更けても、雪はまだ淳の家に居た。
鞄からズボンを取り出し、得意気に彼に見せつける。
「ジャン!今日は着替えを持って来ました!」

「先輩のズボン、大きすぎてブカブカでしたからね」
「家には何て言って来たの?」「勿論聡美のとこ泊まるって言ってあります」

ククク‥と二人は肩を揺らして笑い合った。
今日雪は、淳の家に泊まるつもりでここに来ていたのだった。

マグカップに注がれた温かい飲み物を飲みながら、ベッドサイドに座った雪が言った。
「授業一つ切りました」


淳はベッドにうつ伏せで寝転びながら、そんな彼女の話を聞いている。
「本当?」
「友達も一人縁を切りました」

淳にとっては幾分予想外の、彼女の告白は続いた。
「後々どうなるか気になりはしますが、スッキリしました」
「そっか。それで?」「それで、」

「ずっと勉強ばっかりしてるの、しんどかったなって思って。
週末は絶対に一人でガリ勉するんだって思い込んでましたけど、
そんな必要ないんだって思ったら、自然と足がここに向かってました。
単位を諦めるのは良いことじゃないでしょうけど、そういうの考えるのももう止めにしようと思って」


そう話し終えた雪は、何かが吹っ切れたかのようなさっぱりとした顔をしていた。
雪は以前彼の車の助手席で未来を憂いていた時の、あの言い様のない焦燥を思い出して言葉にする。
「先輩の未来に私がいないって思って、虚しく感じたことがありました。変に焦っちゃって‥。
でも次第に、未来に対する考え方を変えてみても良いんじゃないかって思うようになったんです」

「こんな風に、ただ会いに来ればいいんですよね」

雪はそう言いながら、淳の方を見て笑った。
淳もまた微笑みながら、彼女の達した結論に同調する。
「うん、その通り」


二人は暫し見つめ合い、キスをした。
彼らは互いを映し合う鏡のように、同じ気持ちを持つ。
「俺も、」

「正直に言えば、もう亮とは完全に終わらせようって思ってたんだけど‥」

彼の口から河村氏の名前が出て来たことで、雪は若干かしこまったように「あ、ハイ」と返事をした。
けれど彼の表情は柔らかく、亮との関係を語る口調も随分と和やかだ。
「他の方法もあるんじゃないかって‥思ってみたり」


亮の話題になると嫌悪感を剥き出しにしていた昔の彼とは、比べ物にならないくらい穏やかな彼がそこに居た。
そして淳はそんな自分自身を、どこか喜んでいるように思う。
「雪ちゃんと一緒に考えて進んでたからかな。
去年の自分と今の自分を比べてみたら、俺は少しだけど変わったんじゃないかって思うよ。
変化することもあるんだなぁって‥」

「多分未来の自分も、今とは違っているんだろうね」

”人は簡単には変わらない”そう思っていた以前の彼は、彼女に出会ってゆっくりと変わって行った。
そしてようやくそこに思い至ったのだ。
彼女の中に自分と同じ面影を見つけたその日から、運命の歯車は回り始めたのだと‥。

「雪ちゃん」

優しくその髪に触れながら、淳は彼女の名を口にする。
「俺は‥」


彼らは互いを映す鏡だった。
二人は互いに影響を及ぼし合い、その影響はさざ波のように互いに打ち寄せる‥。

しんと静まる広い部屋に、彼の寝息だけが小さく聞こえる。

雪はそれを聞きながら、手元の参考書を一人読んでいた。

しかし次第に思考は過去を辿り、様々な場面が脳内で再生されて行く。
「うん、オハヨー。ちょっとどいてくれる?トイレ行くから」

少しずつぎくしゃくして行った糸井直美との関係。
「マジか?!どうして無くなった?!ちゃんと探してみろ!教室で無くなったのか?!」

わざとらしく騒ぎ立てる柳瀬健太に困惑したあの時。
「典ちゃん」「キャッ」

黒木典。
この人がどう動くか、その先を予測して話し掛けた。
「逆に証拠が無いから、あの人はあんなにも堂々としていられるんです」

それと同じことを、直美に対して行った時のこと。
「不自然なほどお節介を焼いて、大きな声出してゴタゴタに発展させて‥」

出来得るだけの証拠を集めて、柳瀬健太に詰め寄った時のこと。
この後糸井直美が、健太に対して制裁を加えることになる。
「なによ‥大人でも大学生でもなく高校生よ?
父親に色々喋って何が悪いワケ?ぶっちゃけフラれた腹いせだけどぉ‥スッキリしたっつの‥」

偶然耳にした河村静香の告白。
そのチャンスを生かして、
「電算会計。サボらず学校に通って勉強して、私にチェックさせて下さい」

彼女を自分の意のままに動かした時のこと‥。
それなりの理由あってのことだ。それなりの理由が

皆自分の人生を謳歌してほしくて‥

瞼の裏に、微笑む河村氏と先輩の顔が浮かんだ。
彼らの為に自分が出来ること、それを追求し掴んだからこそ、今があるのだ‥。

だんだんと睡魔が、雪の意識を奪って行く。
浮かんで来るのは、

あれほど大きな顔をして歩いていた健太がオドオドと姿を隠すところや、

度々雪に向かって文句を口にした直美が逃げて行くところ、
そして、

河村静香との関係性の主導権を勝ち得たと、確信したところー‥。

無意識と意識の狭間で、雪は嘲笑っていた。
まるで誰かと同じ様に、打ち寄せるさざ波を見下ろしながら‥。
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<鏡(1)>でした。
本家の題名と合わせてます。
二人のチューシーンがあるのに、なんとも不穏な雰囲気ですねー。
そして意外にも先輩、亮との関係を終わらせない方法を考えたりしていたとは‥。
このまま雪に影響を受けて淳が変わって行ってハッピーエンド‥だったら良いんですが‥。
次回<鏡(2)>に続きます。
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