ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

支離滅裂

2020-05-28 08:11:04 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「支離滅裂」5月22日
 9月入学制について、識者へのインタビュー記事が掲載されました。『個別教育転換の好機』という表題の下、教育評論家尾木直樹氏が、賛成の立場から見解を述べていらっしゃいましたが、どうにも理解しがたいものでした。尾木氏は、『9月入学のメリットの一つとしてよく挙げられるのは、秋入学の多い他国への留学がしやすくなり、グローバル化が進むことだ(略)私の言うグローバル化とは留学だけの話ではなく、もっと子どもの学びを保障するため、日本の教育制度の思想、ひいては国のあり方も変えていこうという考えだ』とおっしゃっています。
 そして、ご自身の考えるグローバル化についての説明として、『日本では4月になったら、学習の遅れている子も、精神的に未熟な子も一斉に進学・進級させている。学びのできていない子も、課程を終えれば学校から出してしまうことになる。こうした1年たてば進級する学年主義、あるいは履修主義に対し、他国は、精神年齢や生活力、学力がOKとなったときに進学・進級させる修得主義が基本だ(略)一斉に進級させなくても、個別でいい』と論を展開していくのです。
 私はこのブログで、再三履修主義を批判し、修得主義への転換を主張してきました。ですから、そうした意味では尾木氏の主張には賛成です。でも、どうして4月入学では修得主義への転換は難しく、9月入学にすると、修得主義への転換が進むのでしょうか。その点が理解できないのです。
 「日本では9月になったら、学習の遅れている子も、精神的に未熟な子も一斉に進学・進級させている。学びのできていない子も、課程を終えれば学校から出してしまうことになる」。先ほどの尾木氏の言葉の、4と9を入れ替えただけの文章ですが、何の抵抗もなく理解できます。9月にしたところで、それだけで修得主義への転換ができるというのは、どう考えても何か重要なピースが抜け落ちている論だとしか思えません。
 履修主義への転換を実現するためには、以前橋下徹氏が主張した、留年と飛び級を実現させることが不可欠です。教員が頑張りさえすれば、授業時間を十分に確保しさえすれば、オンライン教育等の環境整備に務めれば、などといくら条件整備をしても、学習指導要領に定める内容に到達できない子供は出てきます。そうしたケースでは留年を、逆に4年生なのに6年生の学習内容を理解できる子供には飛び級を、という制度にしなければ、本当の意味での修得主義は実現しないのです。そして、この留年と飛び級には、国民の多数からの反対が予想されるのです。
 国民の反対を説得する、もしくは押し切るという難業、荒業に挑む覚悟がもてるか否かが、修得主義への転換の鍵を握るのであり、入学時期は全くの別問題であるというのが私の考えです。
 もし、9月入学にすることで履修主義への転換が進むという理屈を説明できる方がいれば、是非ご教授願いたいものです。

 

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