ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

専門家集団のプライドが泣く

2020-05-27 08:18:08 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「逃げ得」5月22日
 『黒川検事長 きょう辞職 賭けマージャン引責』という見出しの記事が掲載されました。黒川氏が、『都内の新聞記者宅で賭けマージャンをしていたとされる問題で、黒川氏は21日、辞職願を提出した。森雅子法相は同日、黒川氏が賭けマージャンをしていたことが確認されたとし、黒川氏を訓告処分にしたと明らかにした。辞職は22日の閣議で承認され、正式決定する見通し』であることを報じる記事です。
 ひどい話です。私は教委勤務時代に、体罰やわいせつ行為、公金着服、信用失墜行為などの服務事故を起こした教員の研修や処分に関わる仕事を担当していたことがあります。こうした不祥事はあってはならないことですが、そんなことを言ってみても始まりません。大切なのは学校における教育活動を円滑に進めるために必須な都民からの信頼を取り戻すことです。そこで重要になるのが、きちんとした調査と処分です。
 教員の懲戒処分は、重い方から免職、停職、減給、戒告となります。一番軽い戒告は、戒められるだけですが、その事実は教職にある間ついて回ります。当然、異動や昇任などに負の影響が及びます。減給は給与が減らされますし、停職はその間無給となります。管理職が処分を受ける場合、停職以上が予想されるケースでは、ほとんどの人が即座に辞職願を提出します。反省の意を表し、処分軽減を狙う意図からです。
 しかし、その時点で辞職を認めることはありません。辞職を認めてしまえば、それ以後、その教員は一民間人となり、教委は何ら働きかけることができなくなります。簡単な事実確認さえ本人の同意がなければできなくなり、事実関係の確認は不可能になってしまうからです。また仮に、きちんと調査できていれば詳しい事実が見つかり、免職処分にふさわしいような事案でも、自主的な退職で済んでしまい、退職金が満額支払われることになってしまいます。それは都民感情から言っても許されることではありません。
 こうした考え方を基に、黒川氏のケースについて考えてみると、全く理解不能ないい加減さが目につきます。そもそもなぜ退職届ではなく、辞職願なのかを考えてみる必要があります。届は一方的に届けることで完結します。しかし、願ということは、お願いを受け許可するかどうかは受け取った側が判断するということを意味します。つまり、黒川氏の場合、願を受け取った内閣側が認めるか否かの判断、いつ認めるかの判断をする権利があり、しばらくの間願を預かっておいて、じっくりと調査することが可能であり、そうすることが国民の信頼回復には絶対に必要だったのです。
 それなのにわずか1日の聞き取りで処分を決定しているのです。私が教委にいるとき、のぞき行為で逮捕された教員の事案を担当しました。捜査権がなく、被害者の民間人から接触を拒まれ、警察からの情報収集や釈放後の本人からの聞き取りしかできず、事実関係の確認には大変苦労しました。しかし、黒川氏のケースは検察庁です。教委の調査には応じてくれない人でも、検察庁の調査依頼には応じるはずです。そして、検察庁には調査や聞き取りのプロがそろっているのです。それなのにどうしてたった一日の聞き取りだけで済ますのでしょうか。相手側の記者、新聞社に協力依頼もしていません。黒川氏の携帯は押収したのでしょうか。自宅や職場のデスクにメモや文書はないか調べたのでしょうか。黒川氏を知る同僚や部下からの聞き取りはしたのでしょうか。
 学校や教委は、組織体としての自覚が乏しく、法にも無知で、世間の常識が通用しない特殊な世界だと非難されてきました。しかし、今回の事例を見れば、少なくとも法務省や検察庁よりはきちんとした対応ができる組織です。そう言われて悔しければ、もっと調査の専門家集団としての意地を見せてほしかったです。
 繰り返しますが、教委や学校は法の専門家集団である法務省や検察長よりは不祥事にはきちんと対応しています。

 

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