ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

愚民政策

2020-05-03 08:28:40 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「同一歩調の乱れ」4月25日
 書評欄に、松原隆一郎氏による『「教養の書」戸田山和久著(筑摩書房)』の書評が掲載されました。その中で松原氏は、『(財界は)日本がチマチマした新製品しか生み出せず「イノベーション」でGAFAに大きく後れを取った理由として、専門教育の視野が狭いせいとみなした(略)サイエンスが「与えられた問題」を解くツールに過ぎず、社会がどうあるべきかを考えるのはリベラルアーツ(人文社会学)に根ざした構想力だ』と書かれていました。
 私はこのブログの中で、理系偏重の教育改革を憂え、人文科学系を見直すべきだという主張をしてきました。ですから、この記述を目にし、我が意を得たりという心境でした。しかし、一つの疑問が浮かんできました。私の認識では、政府が進めてきた教育改革は、財界の要請を受けて行われてきたはずだったからです。かつて企業が担ってきた人材育成や基礎科学・技術研究が、低成長下では重荷になり、大学に担わせるという発想で、科学技術に重点が置かれ、特にすぐに役立つ技術が優先され基礎研究には予算が回りにくくなった、という図式で捉えていたのです。
 しかし、松原氏によれば、財界は人文社会学を重視しているというのです。同一歩調を取っていると思っていた政府と財界は違う方向を目指していたのでしょうか。もしそうだとすれば、その原因として考えられるのは、愚民政策です。
 リベラルアーツ、広い意味での人文系の学びに力を入れていけば、賢い国民が増えていきます。ここで言う賢いの意味は、民主主義や人権、歴史や文化の多様性などについて、基礎的な知識をもち自ら考えようとするということです。こうした資質と能力をもった国民が増えれば、政治家や政治は常に厳しい批判の目にさらされることになります。つまり、やりにくくなるのです。
 安倍内閣は、森友加計問題、桜を見る会の私物化、河井夫婦の選挙違反問題など、従来であれば内閣が倒れるくらいのトラブルやスキャンダルに見舞われてもびくともしない一強体制と言われます。これを安倍政権の強かさと見るのか、国民の感度の鈍さと見るのか、識者の見解は分かれますが、民主主義のあり方や民主主義が崩壊した歴史について考察できる国民が多ければ、今のような状況では済まないでしょう。
 意図的に賢い国民を作らないという下心が、教育改革の方向性を歪めていると言えば、言い過ぎなのでしょうか。

 

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