ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

中途半端は危険

2018-07-17 07:56:06 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「中途半端な知識」7月6日
 『開かれた新聞委員会2018』が見開き紙面で掲載されました。委員たちによって、いくつかのテーマについて話し合いが行われていましたが、私が注目したのは、『新幹線殺傷事件でのニュースサイトの記事と「おわび」』についての内容でした。
 『容疑者自閉症?「旅に出る」と1月自宅出る』という見出しで書かれた記事について、『障害と事件が関係するような表現になっていたため、関係部分と見出しを削除しました』とお詫びを出したという件についての議論です。チェック体制の不備について状況説明する新聞社側に対し、委員からは、『人をかけても障害について知識がない人がやれば同じこと』『人権意識ではなく知識の欠如だろう』『人権は優しさより、知識で育てられるものだ』と、自閉症についての知識不足を糾弾する声が相次ぎました。
 私は教委勤務時代に人権教育を担当していました。人権教育の推進・充実を考える際には、人権感覚と人権知識を車の両輪と捉えるのが一般的でした。知識も、感覚も、です。私は知識不足が問題であることを否定するつもりはありませんが、より問題なのは、知識不足ではなく、あやふやで中途半端な知識をもっていることではないかと考えています。全く知識がないところでは、人権侵害はあまり起きず、生半可な知識があるところで人権侵害や差別が発生するのです。
 東日本大震災のとき、他の地域に避難していった子供に対するいじめが横行しました。放射能が感染する、補償金もらってカネがあるんだから奢れ、というようないじめが報じられました。いずれも、放射能汚染は人命を奪うほど危険、被害に応じて補償金が支払われた、という事実について知っているからこそ起きたいじめです。しかしその知識は不正確なものだったのです。
 ゲイではなく、おかま、ホモと言ってからかういじめがあります。どちらも男なのに男が好きな変態というようなイメージで用いられます。ゲイを説明するとすれば、男性同性愛者ということになりますが、彼らは変態ではなく、人を真剣に愛することが出来るという意味で、多数派である異性愛者と何ら変わる存在ではありません。性指向が男性に、という意味では間違ってはいないのですが、やはり不正確な知識です。
 学校現場では、このような子供の「中途半端な知識」だけでなく、教員にも同じような問題があります。学校における出来事を新聞記事風に書くとしたとき、「やはり帰国子女?学級内で孤立」「自己主張か我が儘か?またも一人っ子!」「問題行動の陰に愛情不足?母子家庭で育つ子」というような見出しが頭の中に浮かんでしまう教員は少なくありません。これらも、様々な情報源から得られる知識の一部だけを記憶しデフォルメして使うことによって生じる人権侵害です。
 知らないことよりも中途半端に知っていることの怖さ、生半可な知識しかないのに自分は知っていると思い上がる怖さを、教員は肝に銘じてほしいと思います。

 

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