「アスリートから教員へ」2月10日
『高梨失格 真っ黒の画像と謝罪投稿』という見出しの記事が掲載されました。『北京オリンピックのノルディックスキー・ジャンプ混合団体で失格となった高梨沙羅選手は、8日夜、自身のインスタグラムに謝罪の言葉と共に、真っ黒な画像を投稿した』ことを受け、アスリートによるSNS発信について考察する記事です。
記事によると、『選手が既存のマスメディアに頼らず、自由に自分の意見を発信できるSNSは「もろ刃の剣」である。今回のように普段、積極的に投稿している選手に何かあった場合、沈黙に耐えきれず「何か投稿しなければいけない」との強迫観念に駆られるケースがあり、閲覧者が匿名ゆえに、批判を受けるリスクも高い』ということです。
IOCは、若者のオリンピック離れが加速することを懸念し、その対策としてかつては否定的であった、選手のSNS発信を推奨するようになりました。個々の選手に関心をもってもらい、それをオリンピック自体への理解・支持につなげようという思惑です。
私は、理解や支持を得るためということから、少し突飛な連想をしてしまいました。それは、教員にSNS発信を推奨するという教委や学校が現れるのではないか、ということです。
昔から、予備校などでは名物教官という存在がありました。個性的な名物教官の指導を受けるために受験生が集まるという現象があったのです。少子化で生徒集めがより重要になっている現在、私立校では、教員にSNSで発信させ、保護者や子供の関心や好感度を高めようと考える経営者が現れてもおかしくありません。
そうした事例が増えれば、公立校でも同じことを試みようとする者が現れない方が不思議というものです。特に、地方教育行政の主導権が教委から首長に移っている現在、民意至上主義、競争原理・市場原理万歳という発想の首長が、特色ある教育行政として、独断的に推進する可能性はあると思います。
もちろん、うまくいく例もあるでしょうが、何かあったとき、小さなミスや教員本人の責任ではない不運な出来事が、バッシングの対象になり、高梨沙羅氏のように追い込まれてしまうというケースの方が圧倒的に多いように思えます。新種の教員受難時代到来です。
まあ、あくまでも妄想レベルですが、不吉な予感はします。
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