ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

何歳でもいい

2017-12-27 08:25:37 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「何歳でもよい?」12月20日
 読者投稿欄に、名古屋市の大学生F氏の『「もののけ姫」9歳には早い?』という表題の投書が掲載されました。その中でF氏は、『(もののけ姫について)大学の先生が「自分の9歳の息子にはまだ早い」と話していて驚きました。「バイオレンスの表現がある」ことが理由だそうです』と、ご自身が感じた違和感を記しています。
 さらにF氏は、3歳のときに「もののけ姫」を見たそうで、『白くて大きい犬と弓がかっこいい』という感想をもったことを述べた後、『子供は、信頼する大人が与えたものから自分の好きなものを見つけ、愛し、育っていく』とし、大学の先生氏の意見には同意できない立場を示唆していました。
 私は「もののけ姫」全編を見たことがありません。ですから、9歳が早いかどうかを論じるつもりはありません。ただ、F氏の投稿を読んで、かつてあった「裸足のゲン」論争を思い出してしまったのです。
 「裸足のゲン」論争とは、反戦・反核を訴えるマンガ「裸足のゲン」について、残酷な描写や性的な描写が含まれていることを理由に、学校図書館での閲覧に制限を加えた校長の判断に対して、賛否両論が沸き起こった件です。
 そのとき私は、思想的な判断とは別に、子供の発達段階に応じて制限を加えることは、一般論として容認されるべきだという立場で、このブログで取り上げました。ですから、F氏のように、「信頼する大人が与えた」という理由だけで、どのような映像や文章であっても、発達段階には関係なく、子供の成長によい影響を及ぼすという考え方には賛成できません。「裸足のゲン」論争のときには、実際には個別の場面の描写よりも、作品がもつ思想性が問題となり対立を生んでいた側面が大きかったように思います。それだけに、発達段階をどのように考えるかという部分についての論争は深まらなかったという気がしています。
  だからこそ、思想性についての対立が少ない「もののけ姫」を例に、子供の発達段階と触れさせるべき「事実」との問題について、考えるよい材料であると考えます。私は、そもそも、F氏の言う「信頼する大人」という条件が問題だと考えます。一般的に言えば、教員はその範疇にはいるはずです。そして教員の中には、自虐史観的な偏向教育を正しいと信奉する者もいれば、歴史修正主義・偏った愛国主義的な教育こそが望ましいとする者もいるのです。そのことを考えれば、教員が「善意」で行えば、どんな残酷な、あるいは性的に過剰な描写でも許されるという結論になってしまいます。
  児童心理や発達の専門家の知見に基づいた「科学的な議論」を静かな環境下で行い、発達段階を重視した情報提供のあり方について、ガイドラインが作成されるべきだと思うのですが。

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